2012年3月11日日曜日
東日本大震災から1年
ご無沙汰しています。 皆さんお元気にお過ごしでしょうか? 私はお陰さまで元気です。
まず、このぼやけた写真は、los glaciares(ロス・グラシアレス)というアルゼンチンの国立公園なんですが、実は会社の壁にかかっているカレンダーの1・2月にはこの写真が載っていました。
2月29日にカレンダーをめくる時に撮った写真です。 アルゼンチンは非常に自然の豊かな国で、世界の3大滝のイグアスの滝もブラジルの国境にありますし、そのスケールがとにかく大きいことは簡単に想像できますね。 世界遺産(自然遺産)にも登録されています。 詳細は、ウィキペディアをご覧くださhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B9
自然って綺麗で、ダイナミックで、素晴らしいし、そしてよくよく考えてみると私達は動物である以上、私達自身も自然の一部なんですよね・・・・。
その自然の恐ろしさをしみじみ、あるいはひしひしと感じたのが、2011年3月11日におこった東北大震災でした。
3月になってから、テレビでは、あの地震を振り返り、現地のその後1年の状況を紹介する番組が多くなりました。 去年はテレビを見ては涙が流れ、なんとも空しい気持ちになっていることが多々ありました。 しかし、アルゼンチン・タンゴのダンスの先生方や有志の方々がチャリティーのダンスパーティーを開催してくださり、その参加費用を募金してくださったり、自分でも少し募金をしたり、東北の食品をなるべく買ったりするようにすると、全く大したことはしていませんが、何もしないよりかは心が少しばかり軽くなるような気がしました。 (ところで、募金活動をしてくださった方々が、その集金と募金のことをかなり詳細にご自分のホームページやブログなどで報告してくださいましたが、一方ご報告がなかった団体に対しては、どうせアノ人たちは集金だけして使ってしまったんではないのか・・・という悪い噂が流れてしまいました・・・。)
最近見たテレビ番組で言っていたことですが、今年は東北のわかめが質が良く、沢山取れるそうです。 牡蠣も大漁なのだそうです。 これは海が津波のせいで綺麗になり、海水の透明度も上がったおかげなのだそうです。 今年見るテレビ番組では、復興がまだまだ進んでいない状況も取材されていますが、人々が必死に頑張り力を合わせて再興をはたしている模様も多く見られました。
数多いテレビ番組の中で、“チェルノブイリから26年”というチェルノブイリ原発事故のその後を取材した番組を見ました。 その番組を見て、昔フランスに語学留学をしていたときのことを思い出しました。 私はブザンソンというスイスの国境近くのフランスの町の語学学校に通っていたことがありますが、その際学校には多くのドイツ人の学生もいました。 その彼らが“フランスのスーパーでは、食品に放射能数値が記載されていない!”というのです。 当時私は彼らが問題視していることの意味が分らなかったのですが、彼らが説明してくれたのは、ドイツでは牛乳をはじめとする生鮮食品に放射能数値が記載されていて、規定数値以下の食品かどうか確認することができるのに、フランスではそういう記載がないというのです。 もう20年ぐらい前の話しですが、今考えると、ドイツでは多分セシウムの数値が食品にラベル記載されていたと思われます。 クラスメートから言われたのは、“チェルノブイリはロシアのことだと思っているかもしれないけれど(正確にはウクライナですね)、私たちは1つの空のもとで繋がっているのよ、地図には国境線があるけれど、放射能は簡単に国境を越えてくるのよ!”とと言われたことを、こうして20年たった今身に沁みて感じます。 原子力発電のこと、日本国民は深刻に考えなくてはなりませんが、危ないからダメというだけでは、ではその代わりはどうするの・・・という答えも同時に導き出さなければならなくて、難しいですよね。 でも、この事故をきっかけに自分達が日々使っているエネルギーを勉強するきっかけにしたいです。 風力発電とか、地熱発電とか、サトウキビからバイオエタノールを抽出するとか、ソーラーパネルの太陽発電とか・・・。 私が最近思うのは、駅とかスポーツクラブでは、皆が歩いたり走ったりしてる人力を蓄電池にためて、それをその施設で使えるようにしたらどうかと・・・。 そう、駅とかの電気が足りなくなってきたら、みんなでプラットホームとか階段で足踏みしたりその場でランニングして暗くなりかけてきた駅を明るくするとか・・・。 節電もそうですが、みんなで出来る小さいことを積み重ねて、大きな力にし、少しでも明るい未来が見える社会になるよう前を向いて生きて生きたいですね。 ドイツ人のクラスメートが言っていた、“私たちは1つの空のもとで繋がっている・・・。” まさしくそうですね。
2011年7月17日日曜日
コパ・アメリカ2011 アルゼンチン大会
ウルグアイに勝てませんでした・・・
今年の3月11日東日本大震災は、私たちの生活の大きなことから小さなことまで様々な側面に影響を及ぼしています。 電気の供給量の問題で、土曜日と日曜日に働いて木曜日と金曜日が定休日になる自動車産業の会社とお付き合いがある私の会社は、担当者によっては土曜日・日曜日もお仕事をする人がいます。 先日、やっぱり節電の為に扇風機を買おうかな~と思って、ヤマーダ電気に行きました。店員さんに、扇風機売り場は?と尋ねると、“この人今更何言ってんの・・・”と言わんばかりに、“ないと思いますが、あるとしたら、あちらのエアコン売り場の前の棚においてあります”と言われちゃって、実際1つも扇風機はありませんでした! ランチの時に牛肉を食べようとすると、必ず煩い同僚のフランス人が、セシウムだの何だの言ってチョッカイ出してきます。
電気や食べ物、などの事に比べたら重要度は低いとは思いますが、地震によって私が楽しみにしていたスポーツの大きな大会がキャンセルになってしまいました。その一つは3月に東京で開催されるはずだったフィギュアスケートの世界選手権で、もう一つは今アルゼンチンで開催されているサッカーのコパ・アメリカ2011の日本チームの招待参加でした。 日本が参加しないので、あまり大会の様子はニュースになりませんが、開催国であるアルゼンチンはハラハラ・ドキドキの予選通過となりました。初戦のボリビアと1対1の引き分け。 続くコロンビア戦は0対0 。こんな時、国民の矢面にたたされるのは、世界のスーパースターのメッシ選手です!そしてアルゼンチン国民の神様“ディエゴ様”ことマラドーナ元監督が、メッシ選手を擁護! そして後がないコスタリア戦に3対0で勝利! これでグループ・リーグを2位通過。なんとか首の皮1枚で繋がりました。 そして本日、(現地時間では昨夜)、ウルグアイとの勝負!ここからはグループリーグではないので、負けたらおしまい。
アーッ!アルゼンチンは勝ち進めませんでした。 それもなんとPKで!! いつもPK戦に突入した時に思うんのが、PK戦ではなくて、とにかく1点入るまで戦わせた方が選手にとっては納得がいくのでは・・・と。 ところで、知ってましたか? たとえPK戦で負けても、公式には負けにはならないんです。 あれは“引き分け”なんです。そう、だから日本も去年のワールドカップのパラグアイ戦は引き分けの末、次に行けなかったんです!!って、そんな屁理屈を1人で騒いでもしょうがないですね。 スポーツなんだからルールに従わなくてはなりません。 いやはや、それにしても残念! しかし、あのアルゼンチンをもってしても、コパ・アメリカで勝ち進めない・・・、それぐらい大変な戦いなんですね。 確かに人によっては、コパ・アメリカとかユーロ(ヨーロッパの国々で戦われるカップ戦)で優勝する方が、ワールドカップで勝つより大変といいますよね。 勝ったウルグアイという国は、1930年にサッカーワールドカップが初めて開催された時の開催国で、同時に優勝国だったそうです。 その時の準優勝がアルゼンチンです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1930_FIFA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97
良く、ウルグアイのことを、南米の古豪とかと言いますが、今や古豪でなく新豪となるかもしれませんね。(って新豪なんて言葉ないけど)サッカーの楽しみは、こうした私達日本人にとって馴染みの薄い国が勝ったりして、その国に興味を持つことでもあります。それにしても、もしもこのカップ戦に日本も参加していたら、一体どこまで勝ち進めたのか、あるいは勝ち進めなかったのか・・・、ウーン知りたかった! ま、いいや。 今の私の心のモヤモヤは今夜の“なでしこ戦”で晴らしたいと思います。 日本女子のサッカーもいつの間にか本当に強くなっていたんですね。 是非アメリカから点をとって、日本に金メダルをもたらして欲しいです。
ガンバレ日本!ガンバレなでしこ!
(ところで、なでしこの花言葉は、純愛・大胆・勇敢 だそうです。イェ~!!)
今年の3月11日東日本大震災は、私たちの生活の大きなことから小さなことまで様々な側面に影響を及ぼしています。 電気の供給量の問題で、土曜日と日曜日に働いて木曜日と金曜日が定休日になる自動車産業の会社とお付き合いがある私の会社は、担当者によっては土曜日・日曜日もお仕事をする人がいます。 先日、やっぱり節電の為に扇風機を買おうかな~と思って、ヤマーダ電気に行きました。店員さんに、扇風機売り場は?と尋ねると、“この人今更何言ってんの・・・”と言わんばかりに、“ないと思いますが、あるとしたら、あちらのエアコン売り場の前の棚においてあります”と言われちゃって、実際1つも扇風機はありませんでした! ランチの時に牛肉を食べようとすると、必ず煩い同僚のフランス人が、セシウムだの何だの言ってチョッカイ出してきます。
電気や食べ物、などの事に比べたら重要度は低いとは思いますが、地震によって私が楽しみにしていたスポーツの大きな大会がキャンセルになってしまいました。その一つは3月に東京で開催されるはずだったフィギュアスケートの世界選手権で、もう一つは今アルゼンチンで開催されているサッカーのコパ・アメリカ2011の日本チームの招待参加でした。 日本が参加しないので、あまり大会の様子はニュースになりませんが、開催国であるアルゼンチンはハラハラ・ドキドキの予選通過となりました。初戦のボリビアと1対1の引き分け。 続くコロンビア戦は0対0 。こんな時、国民の矢面にたたされるのは、世界のスーパースターのメッシ選手です!そしてアルゼンチン国民の神様“ディエゴ様”ことマラドーナ元監督が、メッシ選手を擁護! そして後がないコスタリア戦に3対0で勝利! これでグループ・リーグを2位通過。なんとか首の皮1枚で繋がりました。 そして本日、(現地時間では昨夜)、ウルグアイとの勝負!ここからはグループリーグではないので、負けたらおしまい。
アーッ!アルゼンチンは勝ち進めませんでした。 それもなんとPKで!! いつもPK戦に突入した時に思うんのが、PK戦ではなくて、とにかく1点入るまで戦わせた方が選手にとっては納得がいくのでは・・・と。 ところで、知ってましたか? たとえPK戦で負けても、公式には負けにはならないんです。 あれは“引き分け”なんです。そう、だから日本も去年のワールドカップのパラグアイ戦は引き分けの末、次に行けなかったんです!!って、そんな屁理屈を1人で騒いでもしょうがないですね。 スポーツなんだからルールに従わなくてはなりません。 いやはや、それにしても残念! しかし、あのアルゼンチンをもってしても、コパ・アメリカで勝ち進めない・・・、それぐらい大変な戦いなんですね。 確かに人によっては、コパ・アメリカとかユーロ(ヨーロッパの国々で戦われるカップ戦)で優勝する方が、ワールドカップで勝つより大変といいますよね。 勝ったウルグアイという国は、1930年にサッカーワールドカップが初めて開催された時の開催国で、同時に優勝国だったそうです。 その時の準優勝がアルゼンチンです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1930_FIFA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97
良く、ウルグアイのことを、南米の古豪とかと言いますが、今や古豪でなく新豪となるかもしれませんね。(って新豪なんて言葉ないけど)サッカーの楽しみは、こうした私達日本人にとって馴染みの薄い国が勝ったりして、その国に興味を持つことでもあります。それにしても、もしもこのカップ戦に日本も参加していたら、一体どこまで勝ち進めたのか、あるいは勝ち進めなかったのか・・・、ウーン知りたかった! ま、いいや。 今の私の心のモヤモヤは今夜の“なでしこ戦”で晴らしたいと思います。 日本女子のサッカーもいつの間にか本当に強くなっていたんですね。 是非アメリカから点をとって、日本に金メダルをもたらして欲しいです。
ガンバレ日本!ガンバレなでしこ!
(ところで、なでしこの花言葉は、純愛・大胆・勇敢 だそうです。イェ~!!)
2011年7月2日土曜日
ペア結成50周年 !!
踊って踊って半世紀!! ブラボー! グローリア&エドゥアルド
先週はアルゼンチン・タンゴ三昧の1週間でした。 パブロ・シーグレルのコンサートの翌日は、アルゼンチン・タンゴダンサーの重鎮、グローリア&エドゥアルドのプロ活動50周年を記念する講演会があり、お話を伺いに行きました。 お2人は6月18日・19日に横浜で開催された、アルゼンチン・タンゴダンス、アジア選手権の審査員として来日なさっていました。 そのお2人のプロフィールをちょっとご紹介します。
1960年、シネ・テアトロ・オペラでデビュー。同年フランシスコ・カナロのタンゴ・ミュージカルでアストラル劇場に出演。カナロ楽団とともに歴史的初来日公演を果たす。自身が率いる舞踊団で「ジョ・ソイ・ポルテーニョ」「ジョ・テ・カント・ブエノスアイレス」他数知れないタンゴショーに出演。 1985年、フランスとアルゼンチン合作の映画『タンゴ~ガルデルの亡命』(ソラーナス監督作品)に出演、スピード溢れる見事なステップで世界中にタンゴ・ダンスの魅力を伝えた。 ほとんどの歴史に残るタンゴのアーティストとステージを共にしてきた。 ステージの分野では大ヒットロングランショー「タンゴ・アルヘンティーノ」「フォーエバー・タンゴ」「タンギシモ」の振付アイディアを手がけ自ら出演。グロリア&エドゥアルド舞踊団によるタンゴショー「タンゴ・タンゴ」「コラソン・デ・タンゴ」「スペル・タンゴ」等は世界的に評判が高い。 シカゴには、グローリア&エドゥアルドの名を冠したダンス学校まで出現、2000年から毎年開催されるロンドンのタンゴ・フェスティバルや、99年マイアミ、02年のスイス・チューリッヒでのタンゴ・フェスティバルには最高の特別ゲストとして招かれている。現在もブエノスアイレスの老舗タンゴスポット「ミケランジェロ」のショーを率いている。
では、ちょっとお2人が踊っている映像を見てみましょうか・・・。
まずは、お2人のお若い時の映像を・・・(モノクロで)
http://www.youtube.com/watch?v=VZtEgTCBqJI&feature=related
1973年にロシアのテレビに出演した時!?
http://www.youtube.com/watch?v=Wi6PLgZxXag&NR=1
そして2008年のご様子は・・・
http://www.youtube.com/watch?v=bVJZr5fLkCs&feature=related
私が5年前にブエノアイレスに行ったとき、ミケランジェロというタンゴ・ハウスに連れて行ってもらいましたが、舞台監督として、また自ら出演ダンサーとしても活躍していました。 私はその時、アノ体型でアノ動きの敏捷さ、ノリの良さはあり得ないと感嘆しました。
今回の講演会では、1961年に初めてフランシスコ・カナロ楽団のダンサーとして日本に来日した時の映像にはじまり、昔の貴重な映像を沢山見せていただきました。 映像を見せながらのエドゥワルドのコメントもユーモアたっぷりでした。 1973年は日本に来日して、それからメキシコとロシアに行くことになっていたそうです。 冷戦時代真っ只中のロシアに行くことはとても難しく、日本でヴィザを申請していたけれど、すごく時間がかかってしまったのだそうです。 日本の来日公演が終わってしまったのに、ロシア行きのヴィザを待たなくてはならなく、滞在費がかさんでしまい、困っていたところ、日本人にダンス・レッスンをしてはどうかという話が持ち上がり、その時はじめて日本人にレッスンをしました・・・といって、その時の映像も見せてもらいました。 お2人は、今までどれだけの国を旅したのでしょうか? どれだけ多くの人々から賞賛を受け、尊敬されてきたのでしょうか? 50年間、常に公私共々一緒で、きっと相手のことが自分の体の1部のようになっているのではないでしょうか? アルゼンチンタンゴのショーで、ダンサーが重要視されるようになったのは、1980年代に世界中で大ヒットしたタンゴ・アルヘンティーノの頃からのようです。 それまでのショーでは、ダンスペアが5組もあるいはそれ以上ツアーに同行することはなく、そんな状況のもとで、常にトップの楽団に選ばれツアー同行したのは彼らでした。 考えてみれば、彼らが頑張ったからこそ、そして多くの後輩達を育て、手本になったからこそ、タンゴダンサーの地位が向上したともいえるのではないでしょうか? そんな自分達の偉業はおくびにも見せず、タンゴアルヘンティーノの映像を見せながら、「この頃までは、ステージで男性ダンサーは女性ダンサーを放り投げるような野蛮なことは、まだやっていませんでした!体が地面についていました。」(1990年代以降のステージタンゴでは男性が女性をアクロバティックにリフティングしたりすることが多いことをうけて。)とユーモアたっぷりにニコニコ顔で話をするエドゥアルドとその話をやはりニコニコしながら横で聞いているグローリア、2人の存在やこれまでの軌跡こそが、まさにブラボーという言葉にふさわしく、“奇跡”だと思います。 お2人がこれからも元気に、ダンスを通して、音楽に合わせて踊ることの喜びや、年齢を重ねることの楽しさとか、何かを一緒にする相手に対する思いやりとか、色々なことをその存在で示してくださることと思います。 グローリアとエゥアルドのお2人が、末永く健やかにお幸せでありますように。
先週はアルゼンチン・タンゴ三昧の1週間でした。 パブロ・シーグレルのコンサートの翌日は、アルゼンチン・タンゴダンサーの重鎮、グローリア&エドゥアルドのプロ活動50周年を記念する講演会があり、お話を伺いに行きました。 お2人は6月18日・19日に横浜で開催された、アルゼンチン・タンゴダンス、アジア選手権の審査員として来日なさっていました。 そのお2人のプロフィールをちょっとご紹介します。
1960年、シネ・テアトロ・オペラでデビュー。同年フランシスコ・カナロのタンゴ・ミュージカルでアストラル劇場に出演。カナロ楽団とともに歴史的初来日公演を果たす。自身が率いる舞踊団で「ジョ・ソイ・ポルテーニョ」「ジョ・テ・カント・ブエノスアイレス」他数知れないタンゴショーに出演。 1985年、フランスとアルゼンチン合作の映画『タンゴ~ガルデルの亡命』(ソラーナス監督作品)に出演、スピード溢れる見事なステップで世界中にタンゴ・ダンスの魅力を伝えた。 ほとんどの歴史に残るタンゴのアーティストとステージを共にしてきた。 ステージの分野では大ヒットロングランショー「タンゴ・アルヘンティーノ」「フォーエバー・タンゴ」「タンギシモ」の振付アイディアを手がけ自ら出演。グロリア&エドゥアルド舞踊団によるタンゴショー「タンゴ・タンゴ」「コラソン・デ・タンゴ」「スペル・タンゴ」等は世界的に評判が高い。 シカゴには、グローリア&エドゥアルドの名を冠したダンス学校まで出現、2000年から毎年開催されるロンドンのタンゴ・フェスティバルや、99年マイアミ、02年のスイス・チューリッヒでのタンゴ・フェスティバルには最高の特別ゲストとして招かれている。現在もブエノスアイレスの老舗タンゴスポット「ミケランジェロ」のショーを率いている。
では、ちょっとお2人が踊っている映像を見てみましょうか・・・。
まずは、お2人のお若い時の映像を・・・(モノクロで)
http://www.youtube.com/watch?v=VZtEgTCBqJI&feature=related
1973年にロシアのテレビに出演した時!?
http://www.youtube.com/watch?v=Wi6PLgZxXag&NR=1
そして2008年のご様子は・・・
http://www.youtube.com/watch?v=bVJZr5fLkCs&feature=related
私が5年前にブエノアイレスに行ったとき、ミケランジェロというタンゴ・ハウスに連れて行ってもらいましたが、舞台監督として、また自ら出演ダンサーとしても活躍していました。 私はその時、アノ体型でアノ動きの敏捷さ、ノリの良さはあり得ないと感嘆しました。
今回の講演会では、1961年に初めてフランシスコ・カナロ楽団のダンサーとして日本に来日した時の映像にはじまり、昔の貴重な映像を沢山見せていただきました。 映像を見せながらのエドゥワルドのコメントもユーモアたっぷりでした。 1973年は日本に来日して、それからメキシコとロシアに行くことになっていたそうです。 冷戦時代真っ只中のロシアに行くことはとても難しく、日本でヴィザを申請していたけれど、すごく時間がかかってしまったのだそうです。 日本の来日公演が終わってしまったのに、ロシア行きのヴィザを待たなくてはならなく、滞在費がかさんでしまい、困っていたところ、日本人にダンス・レッスンをしてはどうかという話が持ち上がり、その時はじめて日本人にレッスンをしました・・・といって、その時の映像も見せてもらいました。 お2人は、今までどれだけの国を旅したのでしょうか? どれだけ多くの人々から賞賛を受け、尊敬されてきたのでしょうか? 50年間、常に公私共々一緒で、きっと相手のことが自分の体の1部のようになっているのではないでしょうか? アルゼンチンタンゴのショーで、ダンサーが重要視されるようになったのは、1980年代に世界中で大ヒットしたタンゴ・アルヘンティーノの頃からのようです。 それまでのショーでは、ダンスペアが5組もあるいはそれ以上ツアーに同行することはなく、そんな状況のもとで、常にトップの楽団に選ばれツアー同行したのは彼らでした。 考えてみれば、彼らが頑張ったからこそ、そして多くの後輩達を育て、手本になったからこそ、タンゴダンサーの地位が向上したともいえるのではないでしょうか? そんな自分達の偉業はおくびにも見せず、タンゴアルヘンティーノの映像を見せながら、「この頃までは、ステージで男性ダンサーは女性ダンサーを放り投げるような野蛮なことは、まだやっていませんでした!体が地面についていました。」(1990年代以降のステージタンゴでは男性が女性をアクロバティックにリフティングしたりすることが多いことをうけて。)とユーモアたっぷりにニコニコ顔で話をするエドゥアルドとその話をやはりニコニコしながら横で聞いているグローリア、2人の存在やこれまでの軌跡こそが、まさにブラボーという言葉にふさわしく、“奇跡”だと思います。 お2人がこれからも元気に、ダンスを通して、音楽に合わせて踊ることの喜びや、年齢を重ねることの楽しさとか、何かを一緒にする相手に対する思いやりとか、色々なことをその存在で示してくださることと思います。 グローリアとエゥアルドのお2人が、末永く健やかにお幸せでありますように。
2011年6月26日日曜日
時がたつのが早くって・・・
来日したピアニスト、来日中止になってしまったピアニスト
半年以上、ブログをアップしていませんでした。 そして、この約半年の間に本当に色々なことが起こりました!! 東北大震災は、そんなことあり得るの・・・というぐらいの恐ろしい出来事で、被災者の方々のことを思うと胸が痛みます。 自分が今出来ることは何かと考えると、とりあえず頭に浮かぶことは節電と義援金なので、できる範囲で実施しています。 今のところ家の中の節電は結構成功していて、去年の電気使用量に比べれば、効果が上がっていますが、努力している部分と単に仕事が忙しくて会社に居る時間が長いから家で電気を使っていないともいえます・・・。 とはいえ、はっきりと目に見えて数値が下がっていると少しは努力が報われた気持ちになり、楽しくなってもきませんか? こうなったら節電を楽しむべきですよね! もし、ご自慢の節電方法をご存知の方は、教えてください。 お願いします。 そんな東北大震災から早くも3ヶ月たってしまいました。 時間がたつのは早いな~と感じます。 おりしも昨日は6月25日で、マイケル・ジャクソンの命日でもあります。 亡くなってから2年がたちました。 今でも亡くなったことは、信じがたいですよね・・・。
ま、とにかくこの半年間は慌しかった。 だから今年の夏は節電を楽しみながら、夏休みにここ最近の忙しさで出来なかったことをしたいです。 と、私の近況はこんな感じです。
ところで、先週の水曜日は、久しぶりにタンゴのコンサートに行く機会に恵まれました。
パブロ・シーグレル&日本の若手タンゴ&ジャズミュージシャンのコラボレーションによる演奏で、アストル・ピアソラ生誕90周年記念企画なのだそうです。 パブロ・シーグレルというピアニストは、ピアソラの後期の五重奏楽団のピアニストだった方です。
http://www.latina.co.jp/pabloziegler/index.html
そして、ピアソラと一緒に演奏していた時の映像(曲目:アディオス・ノニーノ)をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=wqSxwWgpE6A&feature=related
ひゃ~、良い映像ですね!! シーグレル良し、ヴァイオリンのスアレスパス良し、ピアソラのバンドネオンがまるで指揮者のように彼らの良いところを導いていますね!
そんなシーグレルが、日本の若手ミュージシャンを1月にオーディションをして、そこで選ばれたのが、バンドネオン:北村聡さん、ギター:鬼怒無月さん(キドナツキさんと読むのだそうです)、とコントラバス:西島徹さん+ヴァイオリン:会田桃子さんです。 コンサートの内容は、私は遅れて行ったので最初の2曲目までは聞けませんでしたが、1部はちょっとつまらなかったという感想です。 一人一人のミュージシャンは凄く技術力が高くて、きっちりやっているのはよーくわかるし、音もあっているんだけど、私的には心に響いてこなかったんです・・・正直言うと・・・。 ところが2部は、凄く良かった。何が良かったかというと、ソロパーツでは各個人が自分の持ち味を出して演奏して、みんなで一緒に合わせるときは、息がピッタリあっていたことです。 それによって、ピアソラの曲の持つ力強い疾走感が現れていたのではないかと思うんだけどな~。
シーグレルのピアノの音色は、ジャズっぽいのかもしれませんが、都会の音というか洒落ている感じでした。こんな素敵なコンサートに行けて、幸せでした。 ミュージシャンの皆様、お疲れ様でした。
半年以上、ブログをアップしていませんでした。 そして、この約半年の間に本当に色々なことが起こりました!! 東北大震災は、そんなことあり得るの・・・というぐらいの恐ろしい出来事で、被災者の方々のことを思うと胸が痛みます。 自分が今出来ることは何かと考えると、とりあえず頭に浮かぶことは節電と義援金なので、できる範囲で実施しています。 今のところ家の中の節電は結構成功していて、去年の電気使用量に比べれば、効果が上がっていますが、努力している部分と単に仕事が忙しくて会社に居る時間が長いから家で電気を使っていないともいえます・・・。 とはいえ、はっきりと目に見えて数値が下がっていると少しは努力が報われた気持ちになり、楽しくなってもきませんか? こうなったら節電を楽しむべきですよね! もし、ご自慢の節電方法をご存知の方は、教えてください。 お願いします。 そんな東北大震災から早くも3ヶ月たってしまいました。 時間がたつのは早いな~と感じます。 おりしも昨日は6月25日で、マイケル・ジャクソンの命日でもあります。 亡くなってから2年がたちました。 今でも亡くなったことは、信じがたいですよね・・・。
ま、とにかくこの半年間は慌しかった。 だから今年の夏は節電を楽しみながら、夏休みにここ最近の忙しさで出来なかったことをしたいです。 と、私の近況はこんな感じです。
ところで、先週の水曜日は、久しぶりにタンゴのコンサートに行く機会に恵まれました。
パブロ・シーグレル&日本の若手タンゴ&ジャズミュージシャンのコラボレーションによる演奏で、アストル・ピアソラ生誕90周年記念企画なのだそうです。 パブロ・シーグレルというピアニストは、ピアソラの後期の五重奏楽団のピアニストだった方です。
http://www.latina.co.jp/pabloziegler/index.html
そして、ピアソラと一緒に演奏していた時の映像(曲目:アディオス・ノニーノ)をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=wqSxwWgpE6A&feature=related
ひゃ~、良い映像ですね!! シーグレル良し、ヴァイオリンのスアレスパス良し、ピアソラのバンドネオンがまるで指揮者のように彼らの良いところを導いていますね!
そんなシーグレルが、日本の若手ミュージシャンを1月にオーディションをして、そこで選ばれたのが、バンドネオン:北村聡さん、ギター:鬼怒無月さん(キドナツキさんと読むのだそうです)、とコントラバス:西島徹さん+ヴァイオリン:会田桃子さんです。 コンサートの内容は、私は遅れて行ったので最初の2曲目までは聞けませんでしたが、1部はちょっとつまらなかったという感想です。 一人一人のミュージシャンは凄く技術力が高くて、きっちりやっているのはよーくわかるし、音もあっているんだけど、私的には心に響いてこなかったんです・・・正直言うと・・・。 ところが2部は、凄く良かった。何が良かったかというと、ソロパーツでは各個人が自分の持ち味を出して演奏して、みんなで一緒に合わせるときは、息がピッタリあっていたことです。 それによって、ピアソラの曲の持つ力強い疾走感が現れていたのではないかと思うんだけどな~。
シーグレルのピアノの音色は、ジャズっぽいのかもしれませんが、都会の音というか洒落ている感じでした。こんな素敵なコンサートに行けて、幸せでした。 ミュージシャンの皆様、お疲れ様でした。
ところで、今年は大地震の影響で、結構キャンセルになる公演がありしたね。 残念ですがしょうがないことです。 大地震のあった翌日に、私は東京の中野サンプラザで開催される予定だった、民音タンゴというタンゴショーを観に行くはずでしたが、東京公演は中止になってしまいました。この時は、コロール・タンゴというアルゼンチンの楽団とダンサー3組が来ていて、見たかった・聞きたかった~。 もう一つの残念は秋に予定されていたホセ・コランジェロ楽団の公演が中止になってしまったことです。
ホセ・コランジェロもアルゼンチンを代表する有名タンゴ・ピアニストですが、シーグレルと同じタンゴを弾くピアニストとはいえ、こんなにも違うんだ~というところを、さっきシーグレルが弾いたアディオス・ノニーノで聞き比べてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=djbryFIS6e4
私は、ホセ・コランジェロが弾くところを3年前に見たことがありますが、迫力があって、生命力のある演奏でした。 シーグレルが洗練された魅力なら、ホセ・コランジェロは野性的な魅力とでもいいましょうか・・・。 どっちも良いですね。 料理で言うなら、都会の料亭の味と、濃い味付けの郷土料理のような・・・。もちろんどっちも好きですよ。
あー、ホセ・コランジェロ楽団の来日がまたいつか実現しますように・・・。
ホセ・コランジェロもアルゼンチンを代表する有名タンゴ・ピアニストですが、シーグレルと同じタンゴを弾くピアニストとはいえ、こんなにも違うんだ~というところを、さっきシーグレルが弾いたアディオス・ノニーノで聞き比べてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=djbryFIS6e4
私は、ホセ・コランジェロが弾くところを3年前に見たことがありますが、迫力があって、生命力のある演奏でした。 シーグレルが洗練された魅力なら、ホセ・コランジェロは野性的な魅力とでもいいましょうか・・・。 どっちも良いですね。 料理で言うなら、都会の料亭の味と、濃い味付けの郷土料理のような・・・。もちろんどっちも好きですよ。
あー、ホセ・コランジェロ楽団の来日がまたいつか実現しますように・・・。
最後に、もう1人のピアニストを・・・というか、多分アルゼンチン人のピアニストといえば、まず普通はこの人の名前があがることでしょう。 マルタ・アルゲリッチです。マルタ・アルゲリッチは、日本にご縁の深い方のようで、別府に財団法人アルゲリッチ芸術振興財団という財団法人があって、毎年別府で音楽祭が開催されているようです。今年も音楽祭は中止されることなく、開催されたようです。 アルゲリッチは、メインはクラッシックの演奏家なのですが、彼女がピアソラのリベルタンゴを弾く映像があったので、ちょっと聴いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=kT3XlkxsRbU
ウーン、何か百戦錬磨、怖いものなし・・・といった雰囲気で貫禄がありますね。 アルゲリッチのプロフィールをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81
強くて、信念を持った女性なんだろうな~ということが、ここからもお分かりいただけるのではないでしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=kT3XlkxsRbU
ウーン、何か百戦錬磨、怖いものなし・・・といった雰囲気で貫禄がありますね。 アルゲリッチのプロフィールをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81
強くて、信念を持った女性なんだろうな~ということが、ここからもお分かりいただけるのではないでしょうか。
2010年11月27日土曜日
日本のアルゼンチン・タンゴ開国は
バロン・目賀田、藤沢蘭子さんの開拓者スピリットを経て
11月ももうすぐ終わり、師走に突入しそうです・・・。
今年は、毎週のように日曜日の夜にNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を見ました。 私の周りでは、結構今年の大河ドラマを見ている人多いようなんです。 そして、明日の晩はとうとう最終回を迎えますが、そう思うと何だか寂しいです。 会社の人や、時々会う友人と、坂本龍馬の話、岩崎弥太郎の話、勝海舟の話、西郷隆盛の話など、幕末を生きた人々の話をし、大いに楽しみました。 また、品川の私が勤務している会社の窓からは、三菱財閥創業者の弟の岩崎弥之助のお宅で、現在は建物の名前は開東閣といって三菱グループの倶楽部用建物として使われている、大きなお屋敷が見えるのですが、窓から見えるそのお屋敷を見ては、仕事を一瞬忘れて物思いにふけることもあります。 いずれにしても、明治時代の岩崎家の人は、よもや未来の人々が自分達のこの広いお屋敷を、高い建物から見下ろすことがあろうとは、思わなかったことでしょうね。
ところで、幕末の偉大な人物の1人にあげられるのが、勝海舟ですが、そのお孫さんに目賀田綱美という方がいらっしゃいます。 目賀田男爵として知られ、青年時代に過ごしたパリで社交ダンスをマスターし、「バロン・メガタ」の愛称でパリ社交界の人気者となった(?)そうです。足掛け6年のフランス滞在を経て昭和元年帰国。フランスから当時パリで流行していたアルゼンチンタンゴのレコード持ち帰り、これにより彼は日本へのタンゴの最初の導入者となったそうです。 日本のアルゼンチン・タンゴの歩みはここから始まるのですね! 実は今年の10月16日にアルゼンチン建国200年を記念して、日本アルゼンチン協会の招聘を受けて、アルゼンチン国立タンゴ・アカデミーの副会長、ガブリエル・ソリアさんが、「日本のタンゴ50年」というタイトルで講演をしてくださったのですが、その中でも“日本に最初にアルゼンチン・タンゴをもたらしたのは、なんとパリからバロン・メガタがアルゼンチン・タンゴのレコードを持ち帰ったことに始まります。”とおっしゃっていました。 さらにソリアさんは、“バロン・メガタは踊りの名手で、ブエノスアイレスにいらしたことはないにもかかわらず、なぜかパリから当時ブエノスアイレスの街角で踊られていた荒っぽいタンゴ・ダンスを見事に習得していた・・・という話も残っています。” と付け加えられました。 ここ最近、日本人のタンゴ・ダンサー達が、世界選手権で良い結果を残しているのは、きっとバロン・メガタのDNAに違いありません!! ソリアさんの話に戻ります。 その後日本は世界大戦があり、暗い時代がありましたが、1950年代にアルゼンチン・タンゴが流行り、日本にもタンゴを演奏する楽団が現れましたが、日本とアルゼンチンが直接タンゴの交流をはかったのは、1953年に藤沢蘭子さんというアルゼンチンタンゴ歌手がオルケスタ・ティピカ東京という楽団とブエノスアイレスを訪れたことが始まりなのだそうです。 講演会ではその時の映像を見せてもらいましたが、蘭子さんは着物を着て、堂々と歌っていました。 その歌いっぷりはとてもご立派で、いわゆる現代の日本の若い女の子の、可愛いけれど歌はいまひとつなアイドルとは格が違っていました。 ちょっと蘭子さんの歌を聞いてみましょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=-9dAfdRwWkk&feature=related
そういえば、4年前にブエノスアイレスでタンゴシューズを買いに行ったあるお店で、私は日本から来たといったら、“ランコ・フジサワの国からようこそ!”と言われました。私もアルゼンチン・タンゴの歌を習っていますが、いつの日か、ランコさんのように堂堂(?)とブエノスアイレスでアルゼンチン・タンゴを歌ってみたい・・・ものです?!(今の私の夢)
11月ももうすぐ終わり、師走に突入しそうです・・・。
今年は、毎週のように日曜日の夜にNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を見ました。 私の周りでは、結構今年の大河ドラマを見ている人多いようなんです。 そして、明日の晩はとうとう最終回を迎えますが、そう思うと何だか寂しいです。 会社の人や、時々会う友人と、坂本龍馬の話、岩崎弥太郎の話、勝海舟の話、西郷隆盛の話など、幕末を生きた人々の話をし、大いに楽しみました。 また、品川の私が勤務している会社の窓からは、三菱財閥創業者の弟の岩崎弥之助のお宅で、現在は建物の名前は開東閣といって三菱グループの倶楽部用建物として使われている、大きなお屋敷が見えるのですが、窓から見えるそのお屋敷を見ては、仕事を一瞬忘れて物思いにふけることもあります。 いずれにしても、明治時代の岩崎家の人は、よもや未来の人々が自分達のこの広いお屋敷を、高い建物から見下ろすことがあろうとは、思わなかったことでしょうね。
ところで、幕末の偉大な人物の1人にあげられるのが、勝海舟ですが、そのお孫さんに目賀田綱美という方がいらっしゃいます。 目賀田男爵として知られ、青年時代に過ごしたパリで社交ダンスをマスターし、「バロン・メガタ」の愛称でパリ社交界の人気者となった(?)そうです。足掛け6年のフランス滞在を経て昭和元年帰国。フランスから当時パリで流行していたアルゼンチンタンゴのレコード持ち帰り、これにより彼は日本へのタンゴの最初の導入者となったそうです。 日本のアルゼンチン・タンゴの歩みはここから始まるのですね! 実は今年の10月16日にアルゼンチン建国200年を記念して、日本アルゼンチン協会の招聘を受けて、アルゼンチン国立タンゴ・アカデミーの副会長、ガブリエル・ソリアさんが、「日本のタンゴ50年」というタイトルで講演をしてくださったのですが、その中でも“日本に最初にアルゼンチン・タンゴをもたらしたのは、なんとパリからバロン・メガタがアルゼンチン・タンゴのレコードを持ち帰ったことに始まります。”とおっしゃっていました。 さらにソリアさんは、“バロン・メガタは踊りの名手で、ブエノスアイレスにいらしたことはないにもかかわらず、なぜかパリから当時ブエノスアイレスの街角で踊られていた荒っぽいタンゴ・ダンスを見事に習得していた・・・という話も残っています。” と付け加えられました。 ここ最近、日本人のタンゴ・ダンサー達が、世界選手権で良い結果を残しているのは、きっとバロン・メガタのDNAに違いありません!! ソリアさんの話に戻ります。 その後日本は世界大戦があり、暗い時代がありましたが、1950年代にアルゼンチン・タンゴが流行り、日本にもタンゴを演奏する楽団が現れましたが、日本とアルゼンチンが直接タンゴの交流をはかったのは、1953年に藤沢蘭子さんというアルゼンチンタンゴ歌手がオルケスタ・ティピカ東京という楽団とブエノスアイレスを訪れたことが始まりなのだそうです。 講演会ではその時の映像を見せてもらいましたが、蘭子さんは着物を着て、堂々と歌っていました。 その歌いっぷりはとてもご立派で、いわゆる現代の日本の若い女の子の、可愛いけれど歌はいまひとつなアイドルとは格が違っていました。 ちょっと蘭子さんの歌を聞いてみましょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=-9dAfdRwWkk&feature=related
そういえば、4年前にブエノスアイレスでタンゴシューズを買いに行ったあるお店で、私は日本から来たといったら、“ランコ・フジサワの国からようこそ!”と言われました。私もアルゼンチン・タンゴの歌を習っていますが、いつの日か、ランコさんのように堂堂(?)とブエノスアイレスでアルゼンチン・タンゴを歌ってみたい・・・ものです?!(今の私の夢)
2010年10月26日火曜日
今期のフィギュア・スケート、高橋選手はタンゴで
浅田真央選手もタンゴ !
10月も月末になってきました!
今月の初めには、スポーツの話をしていました。 日本対アルゼンチン、男子バレーボールは負けてしまいましたが、サッカーの日本代表は、何と勝ってしまいました。 日本にとって歴史上初めての出来事でした。 数日後に行われた韓国戦では、引き分けでしたが、サッカー日本代表選手は、ここ数ヶ月で本当にレベルがアップしたと、私の目にもはっきりわかります。 1対1の場面でも負けないぞという気迫や自身が現れていたと思います。人は失敗や負けることで成長すると言いますが、成功することや勝つことでも成長することが出来るのだと思いました。
そして時は過ぎて、10月22日から24日にフィギュアスケートのNHK杯がありました。 この試合を皮切りに、今期のフィギュアスケートの季節が始まりました。 (もうすぐ冬が来てしまうなんて、あの猛暑はついこの前のことでしたが・・・。)試合をご覧になった方はご存知と思いますが、今年のバンクーバー・オリンピックでメダルを獲得した浅田真央選手は8位で、たぶん今までの人生の中で最もよくない成績だったと思います。 解説者の方のお話では、今はジャンプを一から見直して、大改造をしている最中なのだそうです。 確かにジャンプで沢山ミスをしてしまいました。 でも、これはしょうがないことなのだそうです。 今までの自分のクセをとって、質の高い確実なフォームでジャンプをしたいと、自分から決めたそうです。 きっと私たちには分からない、険しい道のりなのでしょうが、チャレンジして、是非新たな浅田真央選手の素晴らしい演技を見たいものです。 そんな浅田選手の今期のショート・プログラムに使われている曲が、アルフレッド・シュニトケ作曲(1934年~1998年旧ソ連のドイツ・ユダヤ系作曲家)映画「ロマノフ王朝の最後」に使われている“タンゴ”という曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=65N-wCBwxr8
実は、女子のショート・プログラムは金曜日に行われていて、うっかり録画をするのを忘れていたので、私は演技をみていないのですが、少し難しそうな曲に思えます。 でも、ラフマニノフの“鐘”も難しい曲だったはずなので心配していません。 一方、男子のメダリストの高橋大輔選手は、ショートはマンボ、フリーはアルゼンチン・タンゴでアストル・ピアソラの“ブエノス・アイレスの冬”です。去年の私の8月のブログに、ピアソラの“ブエノス・アイレスの四季”のことを書きましたが、ブエノスアイレスの四季の中で私が曲として一番好きなのは、“ブエノス・アイレスの冬”です。 高橋選手、よくぞ“ブエノス・アイレスの冬”を選んでくれました!! その高橋選手の試合結果は、見事優勝! おめでとうございます。 ショートとフリーで両方ともラテン系の曲を選んだ高橋選手は、「暑苦しく演技したい」と言っていたそうです。 表現力たっぷりに演技していて、素晴らしかったと思いますが、暑苦しいとまでは思いませんでした。 私の話と比べて恐縮ですが、私のアルゼンチンタンゴの歌の先生からよく言われるのは、“向こうの人(アルゼンチン人)は、日本人と比べると、気持ちを伝えるのに表現が豊かだから、あなたもチョット大袈裟だと思うぐらいやって、ちょうどよくなるから、思い切ってやってみなさい・・・”とアドバイスされます。だから、高橋選手もラテンの曲で演技するからには、自分で暑苦しいと思うくらいやって、ちょうど良いかもしれませんね。
ところで、今期も他の多くの選手が、アルゼンチン・タンゴの曲を選んでいます。
http://www9.nhk.or.jp/figure/music/music.html
その中で私が注目した曲は、アメリカのジェレミー・アボット選手がショート・プログラム用に選んだ“ビエホス・アイレス”です。 まずは、アボット選手のスケーティングをご覧ください。(NHK杯の映像が見つからなかったので、今夏、韓国で滑った時の映像を)
http://www.youtube.com/watch?v=E8yZYuljpkg&feature=player_embedded
ピアソラのメロディー・ラインに非常に似ているし、曲の持つ疾走感も・・・。この曲を作って演奏しているEnsemble Nuevo Tangoってどんな人達なんでしょう?と思ってYouTubeで映像を探して、見つけましたよ!
http://www.youtube.com/watch?v=fc2YddmHFik
このグループのメンバー編成は、ギター、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、ピアノそしてクラリネット! そしてバンドネオンがありません。 メンバーはアルゼンチン人を中心に色々な国の人が集まってメンバーを構成しているそうです。 そして、メンバー皆、やっぱりピアソラ好きらしいです。 YouTubeでは、彼らの他の演奏を聴くこともできますが、もっとジャズっぽい演奏もありましたよ。 ジェレミー・アボット選手の今までにない、男っぽい演技もよかったのですが、曲の方に気持ちがいってしまいました!
10月も月末になってきました!
今月の初めには、スポーツの話をしていました。 日本対アルゼンチン、男子バレーボールは負けてしまいましたが、サッカーの日本代表は、何と勝ってしまいました。 日本にとって歴史上初めての出来事でした。 数日後に行われた韓国戦では、引き分けでしたが、サッカー日本代表選手は、ここ数ヶ月で本当にレベルがアップしたと、私の目にもはっきりわかります。 1対1の場面でも負けないぞという気迫や自身が現れていたと思います。人は失敗や負けることで成長すると言いますが、成功することや勝つことでも成長することが出来るのだと思いました。
そして時は過ぎて、10月22日から24日にフィギュアスケートのNHK杯がありました。 この試合を皮切りに、今期のフィギュアスケートの季節が始まりました。 (もうすぐ冬が来てしまうなんて、あの猛暑はついこの前のことでしたが・・・。)試合をご覧になった方はご存知と思いますが、今年のバンクーバー・オリンピックでメダルを獲得した浅田真央選手は8位で、たぶん今までの人生の中で最もよくない成績だったと思います。 解説者の方のお話では、今はジャンプを一から見直して、大改造をしている最中なのだそうです。 確かにジャンプで沢山ミスをしてしまいました。 でも、これはしょうがないことなのだそうです。 今までの自分のクセをとって、質の高い確実なフォームでジャンプをしたいと、自分から決めたそうです。 きっと私たちには分からない、険しい道のりなのでしょうが、チャレンジして、是非新たな浅田真央選手の素晴らしい演技を見たいものです。 そんな浅田選手の今期のショート・プログラムに使われている曲が、アルフレッド・シュニトケ作曲(1934年~1998年旧ソ連のドイツ・ユダヤ系作曲家)映画「ロマノフ王朝の最後」に使われている“タンゴ”という曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=65N-wCBwxr8
実は、女子のショート・プログラムは金曜日に行われていて、うっかり録画をするのを忘れていたので、私は演技をみていないのですが、少し難しそうな曲に思えます。 でも、ラフマニノフの“鐘”も難しい曲だったはずなので心配していません。 一方、男子のメダリストの高橋大輔選手は、ショートはマンボ、フリーはアルゼンチン・タンゴでアストル・ピアソラの“ブエノス・アイレスの冬”です。去年の私の8月のブログに、ピアソラの“ブエノス・アイレスの四季”のことを書きましたが、ブエノスアイレスの四季の中で私が曲として一番好きなのは、“ブエノス・アイレスの冬”です。 高橋選手、よくぞ“ブエノス・アイレスの冬”を選んでくれました!! その高橋選手の試合結果は、見事優勝! おめでとうございます。 ショートとフリーで両方ともラテン系の曲を選んだ高橋選手は、「暑苦しく演技したい」と言っていたそうです。 表現力たっぷりに演技していて、素晴らしかったと思いますが、暑苦しいとまでは思いませんでした。 私の話と比べて恐縮ですが、私のアルゼンチンタンゴの歌の先生からよく言われるのは、“向こうの人(アルゼンチン人)は、日本人と比べると、気持ちを伝えるのに表現が豊かだから、あなたもチョット大袈裟だと思うぐらいやって、ちょうどよくなるから、思い切ってやってみなさい・・・”とアドバイスされます。だから、高橋選手もラテンの曲で演技するからには、自分で暑苦しいと思うくらいやって、ちょうど良いかもしれませんね。
ところで、今期も他の多くの選手が、アルゼンチン・タンゴの曲を選んでいます。
http://www9.nhk.or.jp/figure/music/music.html
その中で私が注目した曲は、アメリカのジェレミー・アボット選手がショート・プログラム用に選んだ“ビエホス・アイレス”です。 まずは、アボット選手のスケーティングをご覧ください。(NHK杯の映像が見つからなかったので、今夏、韓国で滑った時の映像を)
http://www.youtube.com/watch?v=E8yZYuljpkg&feature=player_embedded
ピアソラのメロディー・ラインに非常に似ているし、曲の持つ疾走感も・・・。この曲を作って演奏しているEnsemble Nuevo Tangoってどんな人達なんでしょう?と思ってYouTubeで映像を探して、見つけましたよ!
http://www.youtube.com/watch?v=fc2YddmHFik
このグループのメンバー編成は、ギター、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、ピアノそしてクラリネット! そしてバンドネオンがありません。 メンバーはアルゼンチン人を中心に色々な国の人が集まってメンバーを構成しているそうです。 そして、メンバー皆、やっぱりピアソラ好きらしいです。 YouTubeでは、彼らの他の演奏を聴くこともできますが、もっとジャズっぽい演奏もありましたよ。 ジェレミー・アボット選手の今までにない、男っぽい演技もよかったのですが、曲の方に気持ちがいってしまいました!
2010年10月4日月曜日
日本 対 アルゼンチン
10月に2回も対戦
ウワ~、今年も10月になりました!
サッカーの日本代表監督にイタリア人監督のザッケローニ監督が就任したのにはビックリしました。 私は自分勝手にアルゼンチン人の監督が日本代表を率いるに違いないと勝手に思っていたので・・・。 ザッケローニ監督は、この5月まで私が応援しているイタリアのユヴェントスの監督だったので、私には馴染みがある監督です。 イタリアでは若い選手を育てるのが得意な監督だということで評判だったのですが、さて日本ではどうでしょうか?! 是非日本でも頑張っていただきたい!! そして私にとってまたまた驚きだったのが、ザッケローニ監督の初陣がアルゼンチン戦だということ。 参った! いきなりなんでこんな強い相手~~。 でも楽しみです。 9月19日のスペイン・リーグのリーガ・エスパニョーラのバルセロナ対アトレティコ・マドリー戦でメッシ選手が怪我をして、その時は、メッシはこれで日本に来られないかもしれないと思い、残念なようなホットしたような気持ちになりましたが、今の段階では代表メンバーに入っているようです。 10月8日の試合は親善試合ですが、日本もアルゼンチンも応援したいので、困りましたね。 こういう場合は、選手を決めてその選手を応援することにします。(誰にしよう・・・。)
と、私としては、だんだんと試合が近付くにつれて、心高鳴る思いでいた昨日、実家の母に“今日はアルゼンチンに負けちゃったよ・・・”と言われ、アレ、アルゼンチン戦の日程を覚え間違えていたのかと冷や汗をかいて、“アレ、アルゼンチン戦って今日だったっけ”と聞き返すと、“昼間やっていたよー”と言われ、そ、そ、そんな~~と焦っていたら、それは男子バレーボールの話でした。 現在、イタリアのローマで“世界バレー”が開催されていて、日本は残念ながらアルゼンチン・チームに負けてしまったそうです。 アルゼンチンはバスケット・ボールは強かったことは知っていますが、最近バレーボールも強いのでしょうか? バレーボール・ファンの母に“アルゼンチンって強かったっけ・・・?”と聞いてみると、“ブラジルは強いの知っているけど、アルゼンチンはあんまり聞かないよね~。でも今日はやられちゃった。 それにあっちはイケメン揃いだったわ~!!” とのお返事。 80歳にもなるウチの母、 イケメンチェックまでしていたとは恐るべし!! そうでしたか・・・。 試合を見たかったというよりも私も選手のイケメン・チェックをしたかった・・・。 サッカーの方は、アルゼンチン選手でイケメンはいたっけな~~? エインセ選手ぐらいでしょうか。 フーム、バレーボールで負けちゃったなら、バランスをとるために、サッカーでは何とか日本に勝ってもらいましょう。
頑張れニッポン! ニッポン、チャチャチャ! ニッポン、チャチャチャ!
ウワ~、今年も10月になりました!
サッカーの日本代表監督にイタリア人監督のザッケローニ監督が就任したのにはビックリしました。 私は自分勝手にアルゼンチン人の監督が日本代表を率いるに違いないと勝手に思っていたので・・・。 ザッケローニ監督は、この5月まで私が応援しているイタリアのユヴェントスの監督だったので、私には馴染みがある監督です。 イタリアでは若い選手を育てるのが得意な監督だということで評判だったのですが、さて日本ではどうでしょうか?! 是非日本でも頑張っていただきたい!! そして私にとってまたまた驚きだったのが、ザッケローニ監督の初陣がアルゼンチン戦だということ。 参った! いきなりなんでこんな強い相手~~。 でも楽しみです。 9月19日のスペイン・リーグのリーガ・エスパニョーラのバルセロナ対アトレティコ・マドリー戦でメッシ選手が怪我をして、その時は、メッシはこれで日本に来られないかもしれないと思い、残念なようなホットしたような気持ちになりましたが、今の段階では代表メンバーに入っているようです。 10月8日の試合は親善試合ですが、日本もアルゼンチンも応援したいので、困りましたね。 こういう場合は、選手を決めてその選手を応援することにします。(誰にしよう・・・。)
と、私としては、だんだんと試合が近付くにつれて、心高鳴る思いでいた昨日、実家の母に“今日はアルゼンチンに負けちゃったよ・・・”と言われ、アレ、アルゼンチン戦の日程を覚え間違えていたのかと冷や汗をかいて、“アレ、アルゼンチン戦って今日だったっけ”と聞き返すと、“昼間やっていたよー”と言われ、そ、そ、そんな~~と焦っていたら、それは男子バレーボールの話でした。 現在、イタリアのローマで“世界バレー”が開催されていて、日本は残念ながらアルゼンチン・チームに負けてしまったそうです。 アルゼンチンはバスケット・ボールは強かったことは知っていますが、最近バレーボールも強いのでしょうか? バレーボール・ファンの母に“アルゼンチンって強かったっけ・・・?”と聞いてみると、“ブラジルは強いの知っているけど、アルゼンチンはあんまり聞かないよね~。でも今日はやられちゃった。 それにあっちはイケメン揃いだったわ~!!” とのお返事。 80歳にもなるウチの母、 イケメンチェックまでしていたとは恐るべし!! そうでしたか・・・。 試合を見たかったというよりも私も選手のイケメン・チェックをしたかった・・・。 サッカーの方は、アルゼンチン選手でイケメンはいたっけな~~? エインセ選手ぐらいでしょうか。 フーム、バレーボールで負けちゃったなら、バランスをとるために、サッカーでは何とか日本に勝ってもらいましょう。
頑張れニッポン! ニッポン、チャチャチャ! ニッポン、チャチャチャ!
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