2009年8月31日月曜日

Hiroshi y Kyoko ペアー おめでとうございました !!


日本でも歴史が変わったその日に、アルゼンチンで日本人快挙 !!

昨夜8月30日(日)は、有料放送のテレビ番組以外、通常のテレビ番組はどのチャンネルも衆議院選挙の番組でしたね。 そして民主党のこれ程の圧勝ぶりには、私も驚きましたが、そんな中、別の驚くべき嬉しいニュースを友人からメールで知らされました。 現在、ブエノスアイレスで開催されている、アルゼンチン・タンゴダンス選手権のサロン部門で(サロン部門とステージ部門があります)、何と日本人のHiroshi y Kyoko ペアーが優勝したというではないですか。  凄い! 

ヒロシさん、キョウコさん、本当におめでとうございます。
 
お2人は、すでに2007年の世界選手権のステージ部門で第3位に入賞し、2008年はサロン部門でアジア選手権のチャンピオン、世界選手権のファイナリストになり、とうとう今年2009年はこのサロン部門で世界1位になってしまいました。 この素晴らしい結果は、お二人の普段からの努力・タンゴダンスに対する情熱と目標を達成しようという強いお心の賜物に違いありません。もちろん、毎日努力を重ねて、この選手権で勝ちたいと願っているのは他のダンサーの方々も同じことだと思いますので、その中で外国人ペアーが1位に選ばれることは、本当に大変なことだと思います。 

ところで、ダンス選手権はステージ部門とサロン部門があります。 
ステージ部門とは、私達がアルゼンチン・タンゴショーを見に行くと、ダンサーの方々が音楽に合わせて脚を高く上げたり、女性ダンサーがリフティングされたり、様々な派手な足技やアクロバティックな動きを見ることができますが、そういうステージで披露されるような踊りを競うのがステージ部門です。 ここに出場なさるダンサーは、プロだったり、これからプロになろうという方々が大半で、自分達で選曲をし、前もって振り付けを考えて戦いに臨みます。ちなみに世界選手権のステージ部門のチャンピオンは翌年の1月~3月まで、民音タンゴシリーズというツアーで日本全国をタンゴ・ショーをして巡業します。 
それで、ヒロシ&キョウコ ペアーが今回優勝したサロン部門というのは、アルゼンチン・タンゴのダンス・パーティー“ミロンガ”で皆が踊るようなダンスとでもいいましょうか・・・。 私のようなアルゼンチン・タンゴ愛好家が普段踊るのは、このサロン・スタイルというものです。アルゼンチン・タンゴは、ある程度自由なペアー・ダンスだと私は思います。しかし、ミロンガ・パーティーで、皆が(老若男女、上手い人も下手な人も)楽しく気持ちよく踊るのには必要最低限のルールというかマナーがあります。 フロアーをみんな左回りに踊るとか、他のペアーとぶつかってはいけないとか・・・。 選手権のサロン部門では、一度に10~15組ぐらいのペアーが同時に踊りますが、競技会ですからこうしたベーシックなマナーに加えてすごく厳しい規定が課せられます。 男女の足はフロアーから○○cm以上上がっていたら減点対象だとか、ペアーの2人が常に密接にコンタクトしながら動かなくてはいけないとか・・・。 また、ステージ部門と違って、サロン部門の大会ではどんな曲がかかるのか、誰にもわかりません。 だから、どんな曲がかかっても踊れるように普段から沢山曲を聴いてなくてはならないし、もしも知らない曲がかかってしまったら、当然不利です。 (大会でかかるような曲を知らないような人は、参加しないと思いますが。) サロン部門の審査は、イロイロ厳しい決まりがあるとはいえ、非常に困難です。 というのも、サロン部門に出場する選手達は当然レギュレーションを心得ているわけですし、また技が制限されている分、実力の差が出にくく、上位陣の戦いは、紙一重で、審査員の好き嫌いが左右されないとは言い切れないと思うからです。 そんな中で、世界チャンピオンになった、Hiroshi y Kyokoペアーにあらためて敬意を表し、心からのお祝いを申し上げます。

おめでとうございます!!

また、これを機に、さらに日本でアルゼンチン・タンゴに興味を持つ方々が増えることを期待します。

追伸: 本日8月31日は、ステージ部門の決勝戦が行われます。 ここでも日本人ダンサーの快挙第二弾があるのか楽しみに結果を待ちましょう。
http://www.mundialdetango.gob.ar/home09/web/es/press/news.html
 

2009年8月27日木曜日

ヨーロッパのサッカーシーズン、今年も始まりました


頑張れ 外人選手

8月22日(日)から、イタリアでは、サッカーシーズンが始まりました。 その開幕戦で、カターニャというイタリアの南の方のチームに所属する、森本貴幸選手がゴールを決めました。 このゴールをはずみに是非とも今シーズンはさらに活躍するよう応援したいと思います。 確か森本選手はカターニャで今年で4シーズン目を迎えると思いますが、サッカー選手の移籍が激しいヨーロッパで、日本人の選手が同じイタリアのチームで4シーズンも在籍を続けることは、とても珍しく、そして何よりも大変なことです。(中田英寿選手はイタリアには長く居たと思いますが、同じチームに3シーズン以上いたことはないと思います。) それに森本選手レベルであれば、日本のJリーグで活躍した方がお給料は良いかもしれません。 でも少しでもレベルの高い選手が居るリーグで自分を磨きたいという気持ちが高いのだと思いますので、とても立派だな~と応援しています。 もう、イタリア語もすでに堪能で、いつか現地のインタビュアーから“時々日本からも小包郵便が届くそうですが何が入っているのでしょうか?”と質問されて、笑いながら“おかしとエロ本です。”と答えたら、チームメートからからかわれたり、頭をボコボコ叩かれていて、微笑ましかったです。 それはそうと、森本選手のチームメートをチェックしたら、非常にアルゼンチンの選手が多かったです。(あまり知っている選手はいませんでしたが)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0910/italy/team/103511.html
イタリアのチームなのに半数近くはアルゼンチン人で、ちょっとビックリしました。 これらのアルゼンチンの選手の多くは、アルゼンチンで生まれたけれど、親がイタリア人だとか、完全な外国人枠ではないはずですが。  
前シーズンまでは、セリエA優勝チームのインテルが、イタリアの中のアルゼンチンチームと言われていましたが、夏の移籍シーズンを終えてみると、今年はアルゼンチン選手が減っていました。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0910/italy/team/4215.html
そのインテルにおいて、長年キャプテンを務めているのが、ハビエル・サネッティ選手です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3
1995年にアルゼンチンのチームからインテルに移籍してきて、それからずーとインテル(ミラノ)で選手生活を続けています。 インテルはここ数年、セリエAで優勝をしていますが、その前までは、いつもスター選手を大金で獲得しては失敗し、良いところまではいくのだけどもう少しのところで勝てなくて、ファンが怒って暴れたり、マスコミからも叩かれていました。 そのような厳しい時期に、地道にプレーをし、ファンをなだめ、マスコミの意地悪な質問にも真摯に受け答えをしていたのが、サネッティ キャプテンです。 そうした男気をかわれて、アルゼンチンのナショナルチームでも、代表キャプテンを一番長く務めました。(今はキャプテンではないと思いますが、代表には呼ばれています。) 私はインテリスタ(インテルのファンの人のこと)ではなく、ライバルチームのユヴェントスのファンなのですが、サネッティ選手のことはとても尊敬しています。 
この頃ふと思いますが・・・、私も既にお勤め先を何社も変わっています。 しかし、同年代の友人の中には社会人になってから、ずーと同じ会社にお勤めしている人も居て、凄いことだなーと尊敬してしまいます。 長いこと何かをやり続けるって結構大変なことなのだと改めて考えます。 このブログも細々ながら長く続けていけたらよいな~と思います。
で、話はサッカーに戻りますが、今度の日曜日からスペインのリーグが始まりますが、なんと言っても注目はレアル・マドリードです。 イタリアのミランに在籍していたカカ選手を92億円で、イギリスのマンチェスター・ユナイテッドからクリスティアーノ・ロナウド選手を129億円で獲得し、他にも数名の選手を加え、移籍のために400億円以上を支払ったと言われています。(もちろん良い選手を放出してもいるので、払ってばかりではありませんが。) 移籍金は本人に支払われる額ではなく、契約途中にある選手を獲得する時にクラブ同士で受け渡しする金額なので、ご本人には1/5程度が支払われると推定されます。ロナウド選手は“金額に見合った活躍をする・・・”と言っていましたが、129億円の移籍金に値する活躍って・・・??? とにかく頑張るしかありませんね~。

2009年8月23日日曜日

ブエノスアイレスの夏、秋、冬、春


ピアソラ vs ヴィヴァルディ

アルゼンチンの音楽家の中で、ジャンルを問わず一番世界的に知られている人は、アストル・ピアソラ(1921~1992)だと思います。 以前にもお話しましたが、私がアルゼンチン・タンゴを好きになったのも、テレビのサントリー・ウィスキーのコマーシャルで、ヨーヨー・マがピアソラの“リベルタンゴ(Libertango)”を弾いていたのがきっかけでした。 ピアソラは実に沢山の曲を作曲していますが、その中でも有名な曲として、ブエノスアイレスの四季シリーズがあります。(Primavera Porteño、Verano Porteño、Otoño Porteño、Invierno Porteño)まずはY-tubeでピックアップしたブエノスアイレスの春、夏、秋、冬の4曲を聴いてみてください。


・ブエノスアイレスの春
http://www.youtube.com/watch?v=ScS31gT_6y4&feature=fvw
・ ブエノスアイレスの夏
http://www.youtube.com/watch?v=RaGDlvW4Ths
・ ブエノスアイレスの秋
http://www.youtube.com/watch?v=S5FJb_nxoo0&feature=related
・ ブエノスアイレスの冬
http://www.youtube.com/watch?v=u-FuQn6XdxI&feature=related
ピアソラご自身が弾いている映像を探しましたが、春と冬は見つかりませんでした。(春は映像こそないけれど、たぶんピアソラのキンテートの演奏だと思いますけど) そして夏と秋の映像で、ピアソラの横で、それはそれは魅惑的な(まるで悪魔のささやきなのではないかと思うぐらい魂を持っていかれます)バイオリンを奏でているのが、マエストロ、フェルナンド・スアレス・パス(1941~)です。 上の写真の右から2番目が、スアレス・パスです。 マエストロは、今年2009年の1月~3月末まで民音タンゴ・シリーズというツアーで日本全国を演奏巡業しました。 もちろん私は東京公演に行きましたし、この写真は4月の初旬にご帰国なさる際に撮っていただいたものです。 とてもかわいいおじいちゃま・・・と言っては失礼なのかもしれませんが、日本でお孫さんに沢山お土産を買って、持ってきたスーツケースに荷物が入りきらず、秋葉原でもう1つスーツケースを買ったそうです。 とてもチャーミングな方でしたが、一度バイオリンを顎にあてたら、人が変わります。 その変身(?)ぶりも、見事です。 コンサートに一緒に行った方は、“凄い、人間国宝ものだ・・・。”とおっしゃっていました。 “ブエノスアイレスの冬”では、ピアソラ&スアレス・パスの映像が見つからなかったので、ギドン・クレーメル(1947~)の映像を選びました。 なぜなら、もちろんクレーメルも好きなバイオリニストだということと、スアレス・パスのバイオリンと聴き比べてみて欲しかったからです。 クレーメルのバイオリンの音色が澄んでいて天使の声のように聴こえませんか?(こう感じるのは私だけかもしれないので、今度みんなのご意見是非聞かせていただけませんか?)
ピアソラは“ブエノスアイレスの四季シリーズ”を、ヴィヴァルディの“四季”を意識して作ったという説もあるようです。 そこで、ついでと言ってはナンですが、クレーメルの演奏する、ヴィヴァルディの“四季”も聴いてみてください。 (完成度高し!ブラボー!!)
http://www.youtube.com/watch?v=tbwVJVNvMh4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=i-7GXPDVSWY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=u32_F7yY27g&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=vtTB49OjVdc&feature=related
ピアソラがヴィヴァルディの四季を意識していたかどうか分かりませんが、“ブエノスアイレスの夏”をまず1965年にある舞台劇の為に作曲したそうです。(その直後から2年間、大スランプに陥り、1つも曲が書けなかったし、1人目の奥様とも離婚) そして1969年に“ブエノスアイレスの秋”を作り、さらに同年“ブエノスアイレスの冬”と“ブエノスアイレスの春”を同時に年末発表したそうです。
で、皆さんはどの季節の曲が一番好きですか?
私の感想は、“ブエノスアイレスの夏”もヴィヴァルディの“夏”も私のイメージする夏とは違って、なかなか激しいな~というのが印象です。 そして私のお気に入りは、“ブエノスアイレスの冬”とヴィヴァルディも“冬”です。 ただ、普段は季節としては、夏と秋が好きなんですけどね・・・。 でも、曲の好きな順位って気分で変わったりしまよね。
ところでPorteñoという訳が“ブエノスアイレスの”となっていますが、“ブエノスアイレスの”とか“ブエノスアイレスの人”のことをPorteñoというのだそうです。スペイン語で港のことをPuerto(プエルト)と言うので、そこから転じて“港の人”という意味で、ブエノスアイレスの人は港の人だから・・・ということみたいです。

2009年8月21日金曜日

来た~~~!!!


イロイロと・・・。

今週は、“来た~”と感じることが幾つかありました。


その1: 8月30日(日)の衆議院選挙の投票所入場整理券が郵便で来ました。 テレビでも各党の代表者の方々が討論会をしていたり、テレビコマーシャルもしていますよね。きっと今回の選挙は投票率が高そうです。 ところで、アルゼンチンでも今年、6月28日に国会議員とブエノスアイレス市議会の選挙がありました。 ちなみに結果は・・・、与党大敗、野党大躍進だったみたいです。


その2: ベルリンで開催されている世界陸上、毎晩夜更かししてみていますよ~。 某テレビ局にご勤務の○○、視聴率に貢献しておりまーす。 で、ジャマイカのウサイン・ボルト選手、凄いですね。 早い速い。 100メートルを9秒58で、昨日は200メートルを19秒19で走って、両方とも世界新記録ですよ・・・。 テレビで見ていると、結構楽々走っているみたいなので、どれ程速いのかわからないけど、でもやっぱり凄く早いんだろうな~と思うのは、いつのまにか周りの選手をドンドン突き放して、転ばない限りは絶対に追い抜けない状態になっちゃうところです。 また、大会の本番で力を発揮できるというところも、凄いな~と感じます。 ところで、陸上競技って本当に様々な国から選手が出場しています。 しいて言えば、中近東アラブ諸国の参加者は見当たりませんが(トルコの選手はいましたけど)、私がみている範囲では、アルゼンチンの選手も参加していないようです。 南米では、ブラジルやコロンビアとかの選手はいたんだけど・・・。 まだ、大会は終わっていないので、アルゼンチン選手が出てこないか、これからも一生懸命チェックしようと思います。


その3: とうとう日本でもインフルエンザが・・・。 今週の火曜日から“手洗い”と“うがい”を心がけています。 (舛添大臣に“慢心”と非難されたくないし・・・。) そしてアルゼンチンは、インフルエンザ大国と言って差し支えないかもしれません。 (アルゼンチンの皆さん、ごめんなさい。) 7月の統計でインフルエンザによる死者は130人を超えて、その数はアメリカに次いで世界第2位にまで成り上がってしまったらしいんです。 で、8月のブエノスアイレスといえば、アルゼンチン・タンゴ月間で、8月14日からタンゴ・フェスティバルが始まり、8月23日から31日まではタンゴダンス世界選手権が開催されます。 インフルエンザのことがあるので、日本からのツアーはキャンセルになったりしたようですが、ブエノスアイレス市は、(外貨獲得の為??)開催の決行をしています。 日本からも特にタンゴダンス選手権に出場するプロの先生方(アマチュアの方々もいるかもしれませんが)、応援に行く方など、大勢ではないけどいらっしゃるようです。
是非とも体調管理に努め、楽しんできて欲しいものです。 (出場する先生方には、出来ればよい結果をお待ちしております。) とにかく、これ以上、新型インフルエンザの好き勝手を許さないようにしましょう。 この暑い時期にマスクはツライよ~。

2009年8月16日日曜日

ラ・クンパルシータ


またの名は、“ラプラタ河共和国の国歌Himno del Rio de La Plata”

先月からお世話になっている、ブエノスアイレス在住のTomokoさんのブログを見ていたら、ラ・クンパルシータというアルゼンチン・タンゴの名曲に関する話が書いてありました。 
http://blog.livedoor.jp/tomokoar/archives/51524718.html
1917年にマトス・ロドリゲスというウルグアイの学生が、カーニバルの行進曲の為に作った曲なのだそうです(でも、本当は何年に作曲されたかは定かでないみたいです)。 タンゴ名曲事典によると、このマトス・ロドリゲスのお父さんは、ウルグアイの首都、モンテビデオ市でキャバレーを経営していて、1917年にブエノスアイレスからやってきたロベルト・フィルポ楽団に頼んで、無理やりこの曲を演奏してもらって、それがこの曲の初演とされるのが、一般的な話みたいです。 ロベルト・フィリポは1910年代から永きにわたってアルゼンチン・タンゴ界をリードしてきた作曲家兼ピアニスト(1884~1969)のの大巨匠です。 フィリポは、本当は単純すぎるマトスの曲を弾くのがイヤで、もとの曲に音を加筆して演奏したそうです。 また、さらにバンドネオンの変奏部分はルイス・モレスコという方が加筆したそうです。 この曲には、後に歌詞もつけられました。 1924年にパスクアル・コントゥルシとエンリケ・マロニという2人が歌詞をつけ、カルロス・ガルデルがそれを歌って大ヒットしたそうですが、そのヒットにビックリしたのか、作曲者自信が別の歌詞を慌てて作りましたが、それはヒットしなかったみたいです。 アルゼンチン・タンゴのショーに行くと、必ず演奏されると言って過言でないこの曲は、実は色んないわくつきというか、変遷をへているんですね。 そして、アルゼンチン・タンゴといいますが、ラ・プラタ河を隔てたお隣の国のウルグアイ出身のタンゴの作曲家や演奏家も多くいるみたいです。 その代表は、ロベルト・フィリポと同時代に活躍した“タンゴ王”ことフランシコ・カナロ(1888~1964)です。 カナロの話は、また別の日にすることにして・・・。
ラ・プラタ河に話を戻すと、この河はそれはそれは広いのですが、ブエノスアイレスから高速(?)水中翼船でこの河を渡ると3時間でモンテビデオに到着します。(神戸あたりから瀬戸内の海を水中翼船で渡って四国に行くような感じかな?)で、以前、ブエノスアイレスに行ったとき、バスガイドさんが港の横で説明をしてくれました。 “ブエノスアイレスは、ラ・プラタ河が大西洋に流れる河口に位置し、昔から港町として栄えました。 皆さん、港の水をご覧ください。 汚いですね~。 この水はとても汚染されていて、ここで溺れて3分以内に助け出されなければ、死んでしまうといわれています・・・!!” 私、次回、アルゼンチンに行ったら、イグアスの滝を見たいのと、モンテビデオにラ・プラタ河を渡って行きたいと思っていますが、ラ・プラタ河を渡る船の上では、絶対おとなしくしています。 間違っても船から落ちたりしたくありません!!  

2009年8月9日日曜日

永遠のライバル対決


日本と韓国 あるいは アルゼンチンとブラジル

昨夜、8月8日の午後7時から、テレビのチャンネルをテレビ朝日とフジテレビに切り替えながら、2つの日韓戦を楽しみました。 テレビ朝日では、両国のサッカー・プロリーグの選抜選手によるJOMOカップという親善試合中継が、フジテレビでは、女子のバレーボールのワールドグランプリの試合中継があったのです。 今回は両試合とも日本が勝ったのですが、とにかく中継をしている解説者からは、“永遠のライバル”という日韓戦にはつきものの言葉が、ここでも聞かれました。 ところで、みなさんには、ライバルがいますか? 私は自分の人生の中で、あの人が私のライバルという人が思い当たりません。 でもきっと、学生の時などは、○○ちゃんには英語の点数で負けたくない、とか、バスケット・ボール部だった時は、○○先輩よりシュートが上手になりたいとか・・・、その時その時であったはずですが、今となっては忘れてしまいました。 でも、何かをする上で、尊敬できるライバルが居るのは、良いことなのかもしれません。 どうだろう?
日本のライバルが韓国なら、アルゼンチンのライバルはブラジルなようです。 私はブラジル人の知人・友人がいないので、ブラジル側がアルゼンチンをライバル視しているかはわかりませんが、少なくともアルゼンチン人は、ことサッカーの話になると、ブラジルに対する闘志はかなりのものだと感じます。 先日、タンゴ・ダンスのリカルド先生と、来年のサッカー・ワールドカップの話をしていた時に、“アルゼンチンは今度の9月5日の予選でとにかくブラジルに勝たないと絶対ダメ!”と鼻息荒くおっしゃっていました。 日本は早々にワールドカップ予選を通過しましたが、南米は予選の時点ですでに激戦で、現在1位ブラジル、2位チリ、3位パラグアイ、4位アルゼンチン、5位エクアドルとないっていて、上位4位がワールドカップに行けて、5位になると北中米の4位とプレーオフを戦いその結果次第となります。だから、9月5日にブラジルに負けるようなことがあれば、アルゼンチンは上位4位に入れない可能性がでてきてしまうのです。(残り試合はブラジル戦を合わせて3試合) 私は、ワールドカップでマラドーナ監督ひきいるアルゼンチンがどうなるのか、是非見たい。 (何かおかしな事が起こりそうな気がしません?) その為にも皆さん9月5日は(あと1ヶ月先)日本からアルゼンチンが勝つように、パワーを贈りましょう。
ところで、上のマテ茶の写真ですが、今日の話と何ら関係がないと思われるでしょう。 確かにそうなんです。 写真の左手の緑のシールにマテ茶と書いてあるほうは、グリーンマテ茶で原産国アルゼンチンなのに対して、ピンクのシールにマテ茶と書いてあるほうは、ブラックマテ茶(ロースト)で原産国はブラジルです。 違いは、平たく言えば、緑茶なのかほうじ茶なのか・・・ぐらいの感じかな。 ご興味のある方は、日本マテ茶協会の説明をご覧ください。
http://www.matecha-kyokai.jp/
単に先日、家の近くのカルディという、海外の食材を売っているお店に行ったら、このマテ茶をみつけて、箱の色が違うから、何だろうと思って箱の裏をみたら、こんなところでも、アルゼンチンとブラジル両国は、似て非なるものを食して対抗しているように私には思えたのでした・・・。

2009年8月3日月曜日

タンゴ・ベスト・セレクション


Bravo !!

先週の7月29日に、練馬文化センターに行って、タンゴ・ベスト・セレクションというタンゴショーを見に行きました。
パンフレットの写真の通り(但しパンフレットは7月5日草加市公演のもの)、今回のショーは、3人のミュージシャン、1人の歌手、2組のダンサーという構成で、1幕各40分の2幕(アンコールも含めて約1時間半)のショーは、楽しくてアットいう間に時間がたってしまいました。
このチケットをご手配してくださったタンゲーロのSさんから写真のパンフレットを頂いた時には、今まで私が見たことがあるタンゴショーに比べてステージに立つ人が人数的に少数だった為、こじんまりしたショーなのかと思っていましたが、そんなことを全く感じさせないダイナミックで、出演者全員の高い技術が充分に発揮されていた、素晴らしいショーでした。 また、私が一番気に入った点は、ミュージシャン、歌手、ダンサー全員が一緒になって、時にはコミカルなジェスチャーを交えながら、観客を楽しませようとしていたことです。 その結果第二幕では、お客さんの多くが手拍子をしたり、“ブラボー”と掛け声をかけ、ステージと観客席が一体となる場面が作り出されました。
演目は、タンゴファンならばお馴染みの曲が並びましたが、第一幕の中に、このショー のマエストロ(楽団長)のカルロス・ルルフィー(バンドネオン)が作曲した曲が2曲演奏されました。 この曲を演奏する前に、ルルフィ氏は、“私が作曲した次の=Silencio de un teclado=を日本のNさん、Mさん、そしてSさんに捧げます。 私が今日こうして日本で演奏することが出来るのも、これらの方々のお陰と心から感謝しています。”(私のスペイン語の解釈が間違っていなければ・・・。)とおっしゃって演奏をしました。 ここで名前のあがったSさんに、私はいつもお世話になっていて、ステージが終わってからさらにSさんのお計らいで、楽屋を訪ねることができました。 7月29日の公演は日本公演最終日ということもあってか、また出演者の皆さんはショーの成功に気分も良かったのか、出演者の方々の方から私たちに歩み寄って一緒に写真を撮ってくださったり、気さくに話しかけてくださり、私達はステージも楽しみ、ステージ後も楽しみ、2倍の楽しみを満喫しました。 また、さらにその後にSさんやSさんの奥様やお友達と一緒にお茶を飲みながら、タンゴ談義に花が咲きましたが、Sさんによれば、マエストロのルルフィー氏は1984年のプロデビュー以来、日本で既に7、8回来日公演をされているそうです。 (さっき年齢を調べたら、1970年ラプラタ生まれとありました。) そして、非常に“義理堅い”方なのだそうです。 勝手な偏見ですが、義理堅いという言葉は、何だかアルゼンチン人を形容するのにピンと来ない気がしてしまいますが、そんなことはもちろんありません。どんな国にもいつの時代にも、人から受けた厚誼に感謝して、それを忘れず、その恩に報いるように頑張る方々がいますね。 実は2年前にルルフィー氏が別の楽団の一員として来日した際にお会いしたことがあるのですが、お仕事で来ると毎日毎日イロイロな都市を回って、沢山の人にも会うだろうし、日本人の顔も彼らにとっては見分けがなかなかつかないだろうから、私のことをよもや覚えていてくださるとは思ってもいませんでしたが、驚いたことに、マエストロは私のことを覚えていてくださいました!! マエストロの義理堅さだけではなく、素晴らしい記憶力にも、惜しみない拍手とブラボーを贈りたいと思います。