ウルグアイに勝てませんでした・・・
今年の3月11日東日本大震災は、私たちの生活の大きなことから小さなことまで様々な側面に影響を及ぼしています。 電気の供給量の問題で、土曜日と日曜日に働いて木曜日と金曜日が定休日になる自動車産業の会社とお付き合いがある私の会社は、担当者によっては土曜日・日曜日もお仕事をする人がいます。 先日、やっぱり節電の為に扇風機を買おうかな~と思って、ヤマーダ電気に行きました。店員さんに、扇風機売り場は?と尋ねると、“この人今更何言ってんの・・・”と言わんばかりに、“ないと思いますが、あるとしたら、あちらのエアコン売り場の前の棚においてあります”と言われちゃって、実際1つも扇風機はありませんでした! ランチの時に牛肉を食べようとすると、必ず煩い同僚のフランス人が、セシウムだの何だの言ってチョッカイ出してきます。
電気や食べ物、などの事に比べたら重要度は低いとは思いますが、地震によって私が楽しみにしていたスポーツの大きな大会がキャンセルになってしまいました。その一つは3月に東京で開催されるはずだったフィギュアスケートの世界選手権で、もう一つは今アルゼンチンで開催されているサッカーのコパ・アメリカ2011の日本チームの招待参加でした。 日本が参加しないので、あまり大会の様子はニュースになりませんが、開催国であるアルゼンチンはハラハラ・ドキドキの予選通過となりました。初戦のボリビアと1対1の引き分け。 続くコロンビア戦は0対0 。こんな時、国民の矢面にたたされるのは、世界のスーパースターのメッシ選手です!そしてアルゼンチン国民の神様“ディエゴ様”ことマラドーナ元監督が、メッシ選手を擁護! そして後がないコスタリア戦に3対0で勝利! これでグループ・リーグを2位通過。なんとか首の皮1枚で繋がりました。 そして本日、(現地時間では昨夜)、ウルグアイとの勝負!ここからはグループリーグではないので、負けたらおしまい。
アーッ!アルゼンチンは勝ち進めませんでした。 それもなんとPKで!! いつもPK戦に突入した時に思うんのが、PK戦ではなくて、とにかく1点入るまで戦わせた方が選手にとっては納得がいくのでは・・・と。 ところで、知ってましたか? たとえPK戦で負けても、公式には負けにはならないんです。 あれは“引き分け”なんです。そう、だから日本も去年のワールドカップのパラグアイ戦は引き分けの末、次に行けなかったんです!!って、そんな屁理屈を1人で騒いでもしょうがないですね。 スポーツなんだからルールに従わなくてはなりません。 いやはや、それにしても残念! しかし、あのアルゼンチンをもってしても、コパ・アメリカで勝ち進めない・・・、それぐらい大変な戦いなんですね。 確かに人によっては、コパ・アメリカとかユーロ(ヨーロッパの国々で戦われるカップ戦)で優勝する方が、ワールドカップで勝つより大変といいますよね。 勝ったウルグアイという国は、1930年にサッカーワールドカップが初めて開催された時の開催国で、同時に優勝国だったそうです。 その時の準優勝がアルゼンチンです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1930_FIFA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97
良く、ウルグアイのことを、南米の古豪とかと言いますが、今や古豪でなく新豪となるかもしれませんね。(って新豪なんて言葉ないけど)サッカーの楽しみは、こうした私達日本人にとって馴染みの薄い国が勝ったりして、その国に興味を持つことでもあります。それにしても、もしもこのカップ戦に日本も参加していたら、一体どこまで勝ち進めたのか、あるいは勝ち進めなかったのか・・・、ウーン知りたかった! ま、いいや。 今の私の心のモヤモヤは今夜の“なでしこ戦”で晴らしたいと思います。 日本女子のサッカーもいつの間にか本当に強くなっていたんですね。 是非アメリカから点をとって、日本に金メダルをもたらして欲しいです。
ガンバレ日本!ガンバレなでしこ!
(ところで、なでしこの花言葉は、純愛・大胆・勇敢 だそうです。イェ~!!)
2011年7月17日日曜日
2011年7月2日土曜日
ペア結成50周年 !!
踊って踊って半世紀!! ブラボー! グローリア&エドゥアルド
先週はアルゼンチン・タンゴ三昧の1週間でした。 パブロ・シーグレルのコンサートの翌日は、アルゼンチン・タンゴダンサーの重鎮、グローリア&エドゥアルドのプロ活動50周年を記念する講演会があり、お話を伺いに行きました。 お2人は6月18日・19日に横浜で開催された、アルゼンチン・タンゴダンス、アジア選手権の審査員として来日なさっていました。 そのお2人のプロフィールをちょっとご紹介します。
1960年、シネ・テアトロ・オペラでデビュー。同年フランシスコ・カナロのタンゴ・ミュージカルでアストラル劇場に出演。カナロ楽団とともに歴史的初来日公演を果たす。自身が率いる舞踊団で「ジョ・ソイ・ポルテーニョ」「ジョ・テ・カント・ブエノスアイレス」他数知れないタンゴショーに出演。 1985年、フランスとアルゼンチン合作の映画『タンゴ~ガルデルの亡命』(ソラーナス監督作品)に出演、スピード溢れる見事なステップで世界中にタンゴ・ダンスの魅力を伝えた。 ほとんどの歴史に残るタンゴのアーティストとステージを共にしてきた。 ステージの分野では大ヒットロングランショー「タンゴ・アルヘンティーノ」「フォーエバー・タンゴ」「タンギシモ」の振付アイディアを手がけ自ら出演。グロリア&エドゥアルド舞踊団によるタンゴショー「タンゴ・タンゴ」「コラソン・デ・タンゴ」「スペル・タンゴ」等は世界的に評判が高い。 シカゴには、グローリア&エドゥアルドの名を冠したダンス学校まで出現、2000年から毎年開催されるロンドンのタンゴ・フェスティバルや、99年マイアミ、02年のスイス・チューリッヒでのタンゴ・フェスティバルには最高の特別ゲストとして招かれている。現在もブエノスアイレスの老舗タンゴスポット「ミケランジェロ」のショーを率いている。
では、ちょっとお2人が踊っている映像を見てみましょうか・・・。
まずは、お2人のお若い時の映像を・・・(モノクロで)
http://www.youtube.com/watch?v=VZtEgTCBqJI&feature=related
1973年にロシアのテレビに出演した時!?
http://www.youtube.com/watch?v=Wi6PLgZxXag&NR=1
そして2008年のご様子は・・・
http://www.youtube.com/watch?v=bVJZr5fLkCs&feature=related
私が5年前にブエノアイレスに行ったとき、ミケランジェロというタンゴ・ハウスに連れて行ってもらいましたが、舞台監督として、また自ら出演ダンサーとしても活躍していました。 私はその時、アノ体型でアノ動きの敏捷さ、ノリの良さはあり得ないと感嘆しました。
今回の講演会では、1961年に初めてフランシスコ・カナロ楽団のダンサーとして日本に来日した時の映像にはじまり、昔の貴重な映像を沢山見せていただきました。 映像を見せながらのエドゥワルドのコメントもユーモアたっぷりでした。 1973年は日本に来日して、それからメキシコとロシアに行くことになっていたそうです。 冷戦時代真っ只中のロシアに行くことはとても難しく、日本でヴィザを申請していたけれど、すごく時間がかかってしまったのだそうです。 日本の来日公演が終わってしまったのに、ロシア行きのヴィザを待たなくてはならなく、滞在費がかさんでしまい、困っていたところ、日本人にダンス・レッスンをしてはどうかという話が持ち上がり、その時はじめて日本人にレッスンをしました・・・といって、その時の映像も見せてもらいました。 お2人は、今までどれだけの国を旅したのでしょうか? どれだけ多くの人々から賞賛を受け、尊敬されてきたのでしょうか? 50年間、常に公私共々一緒で、きっと相手のことが自分の体の1部のようになっているのではないでしょうか? アルゼンチンタンゴのショーで、ダンサーが重要視されるようになったのは、1980年代に世界中で大ヒットしたタンゴ・アルヘンティーノの頃からのようです。 それまでのショーでは、ダンスペアが5組もあるいはそれ以上ツアーに同行することはなく、そんな状況のもとで、常にトップの楽団に選ばれツアー同行したのは彼らでした。 考えてみれば、彼らが頑張ったからこそ、そして多くの後輩達を育て、手本になったからこそ、タンゴダンサーの地位が向上したともいえるのではないでしょうか? そんな自分達の偉業はおくびにも見せず、タンゴアルヘンティーノの映像を見せながら、「この頃までは、ステージで男性ダンサーは女性ダンサーを放り投げるような野蛮なことは、まだやっていませんでした!体が地面についていました。」(1990年代以降のステージタンゴでは男性が女性をアクロバティックにリフティングしたりすることが多いことをうけて。)とユーモアたっぷりにニコニコ顔で話をするエドゥアルドとその話をやはりニコニコしながら横で聞いているグローリア、2人の存在やこれまでの軌跡こそが、まさにブラボーという言葉にふさわしく、“奇跡”だと思います。 お2人がこれからも元気に、ダンスを通して、音楽に合わせて踊ることの喜びや、年齢を重ねることの楽しさとか、何かを一緒にする相手に対する思いやりとか、色々なことをその存在で示してくださることと思います。 グローリアとエゥアルドのお2人が、末永く健やかにお幸せでありますように。
先週はアルゼンチン・タンゴ三昧の1週間でした。 パブロ・シーグレルのコンサートの翌日は、アルゼンチン・タンゴダンサーの重鎮、グローリア&エドゥアルドのプロ活動50周年を記念する講演会があり、お話を伺いに行きました。 お2人は6月18日・19日に横浜で開催された、アルゼンチン・タンゴダンス、アジア選手権の審査員として来日なさっていました。 そのお2人のプロフィールをちょっとご紹介します。
1960年、シネ・テアトロ・オペラでデビュー。同年フランシスコ・カナロのタンゴ・ミュージカルでアストラル劇場に出演。カナロ楽団とともに歴史的初来日公演を果たす。自身が率いる舞踊団で「ジョ・ソイ・ポルテーニョ」「ジョ・テ・カント・ブエノスアイレス」他数知れないタンゴショーに出演。 1985年、フランスとアルゼンチン合作の映画『タンゴ~ガルデルの亡命』(ソラーナス監督作品)に出演、スピード溢れる見事なステップで世界中にタンゴ・ダンスの魅力を伝えた。 ほとんどの歴史に残るタンゴのアーティストとステージを共にしてきた。 ステージの分野では大ヒットロングランショー「タンゴ・アルヘンティーノ」「フォーエバー・タンゴ」「タンギシモ」の振付アイディアを手がけ自ら出演。グロリア&エドゥアルド舞踊団によるタンゴショー「タンゴ・タンゴ」「コラソン・デ・タンゴ」「スペル・タンゴ」等は世界的に評判が高い。 シカゴには、グローリア&エドゥアルドの名を冠したダンス学校まで出現、2000年から毎年開催されるロンドンのタンゴ・フェスティバルや、99年マイアミ、02年のスイス・チューリッヒでのタンゴ・フェスティバルには最高の特別ゲストとして招かれている。現在もブエノスアイレスの老舗タンゴスポット「ミケランジェロ」のショーを率いている。
では、ちょっとお2人が踊っている映像を見てみましょうか・・・。
まずは、お2人のお若い時の映像を・・・(モノクロで)
http://www.youtube.com/watch?v=VZtEgTCBqJI&feature=related
1973年にロシアのテレビに出演した時!?
http://www.youtube.com/watch?v=Wi6PLgZxXag&NR=1
そして2008年のご様子は・・・
http://www.youtube.com/watch?v=bVJZr5fLkCs&feature=related
私が5年前にブエノアイレスに行ったとき、ミケランジェロというタンゴ・ハウスに連れて行ってもらいましたが、舞台監督として、また自ら出演ダンサーとしても活躍していました。 私はその時、アノ体型でアノ動きの敏捷さ、ノリの良さはあり得ないと感嘆しました。
今回の講演会では、1961年に初めてフランシスコ・カナロ楽団のダンサーとして日本に来日した時の映像にはじまり、昔の貴重な映像を沢山見せていただきました。 映像を見せながらのエドゥワルドのコメントもユーモアたっぷりでした。 1973年は日本に来日して、それからメキシコとロシアに行くことになっていたそうです。 冷戦時代真っ只中のロシアに行くことはとても難しく、日本でヴィザを申請していたけれど、すごく時間がかかってしまったのだそうです。 日本の来日公演が終わってしまったのに、ロシア行きのヴィザを待たなくてはならなく、滞在費がかさんでしまい、困っていたところ、日本人にダンス・レッスンをしてはどうかという話が持ち上がり、その時はじめて日本人にレッスンをしました・・・といって、その時の映像も見せてもらいました。 お2人は、今までどれだけの国を旅したのでしょうか? どれだけ多くの人々から賞賛を受け、尊敬されてきたのでしょうか? 50年間、常に公私共々一緒で、きっと相手のことが自分の体の1部のようになっているのではないでしょうか? アルゼンチンタンゴのショーで、ダンサーが重要視されるようになったのは、1980年代に世界中で大ヒットしたタンゴ・アルヘンティーノの頃からのようです。 それまでのショーでは、ダンスペアが5組もあるいはそれ以上ツアーに同行することはなく、そんな状況のもとで、常にトップの楽団に選ばれツアー同行したのは彼らでした。 考えてみれば、彼らが頑張ったからこそ、そして多くの後輩達を育て、手本になったからこそ、タンゴダンサーの地位が向上したともいえるのではないでしょうか? そんな自分達の偉業はおくびにも見せず、タンゴアルヘンティーノの映像を見せながら、「この頃までは、ステージで男性ダンサーは女性ダンサーを放り投げるような野蛮なことは、まだやっていませんでした!体が地面についていました。」(1990年代以降のステージタンゴでは男性が女性をアクロバティックにリフティングしたりすることが多いことをうけて。)とユーモアたっぷりにニコニコ顔で話をするエドゥアルドとその話をやはりニコニコしながら横で聞いているグローリア、2人の存在やこれまでの軌跡こそが、まさにブラボーという言葉にふさわしく、“奇跡”だと思います。 お2人がこれからも元気に、ダンスを通して、音楽に合わせて踊ることの喜びや、年齢を重ねることの楽しさとか、何かを一緒にする相手に対する思いやりとか、色々なことをその存在で示してくださることと思います。 グローリアとエゥアルドのお2人が、末永く健やかにお幸せでありますように。
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