2009年12月29日火曜日

皆様、よいお年を!


2009年ももう少しで終わってしまいますね。 この1年は皆様にとって、どんな1年だったでしょうか? 私にとっては、概してあまり良い1年だったとは言えなかったかもしれませんが、ブログを始めることができたり、アルゼンチン・タンゴの歌を習い始めたり、新しいことに挑戦する機会が与えられたので、その事をむしろ喜ぶべきだと、今では思うようにしています。 私が大好きな曲の1つに、Princeの”Sometime it snows in April” という歌があります。
http://www.dailymotion.com/video/x5zf7h_prince-sometimes-it-snows-in-april_music
曲の内容は、4月、春だというのに雪が降ることがある。 人生でよい事がいつまでも続いて欲しいけど、そうはなかなかいかなくて、時には思いがけず悪いことが起こることがある・・・というものです。(歌詞の概要で直訳ではありません。) とっても美しい曲です。  悲しい時、寂しい時、うまくいかないことがあると、時々この曲を心の中で歌います。
そして、2009年に一番ショックを受けたことは、やはりMichael Jacksonが天に召されたことです。 この12月には彼の特別追悼番組をいくつもテレビでやっていて、それらを沢山見ました。 今年の6月の彼の訃報の直後に書いたブログでは、私は”Rock with You”、”She’s out of my life”が好きだと言いましたが、もう1曲心に残る曲として“You are not alone”を追加します。
http://www.youtube.com/watch?v=2pFLcN4fYQg&feature=related
また、今日改めてMadonnaの追悼スピーチを見ました。 
http://www.mtvjapan.com/video/program/19585
スピーチの中で、MadonnaがMichaelの後年の一連の事件やマスコミのパッシングに触れこう言っています。”I had abandoned him. We had abandoned him.” (私は彼を見捨ててしまったのです。 私達は彼を見捨ててしまったのです。) 確かにそうだなーと心が痛みます。 私がMichaelを応援しなくなった理由は、顔がどんどん整形手術によって変わり、皮膚の色がどんどん白くなっていったことによって、何だか別人のようになっていくように思えたからです。 私は彼が皮膚の病気(尋常性白斑)だということは知らなかったので、彼が皮膚の色まで変えて、白人のようになろうとしているのかと思っていました。 それなのに、人種差別を批判していた彼のことが理解できなかったのですが、病気のことを知っていたら、見方が違っていたと思います。(今更ながら・・・。) よく言われることですが、人は何かを失ってから、その失ったものの大きさや大切さを知ると言います。 Michael Jacksonが作品や様々な活動を通して発してきたメッセージを、考えたいと思います。 本当に大事なことは、私たちの目には見えるものではなくて、心でしか感じることが出来ないのだと痛感します。 
そして、心からMichaelが天国でリラックスして過ごされるよう、お祈りしています。

さて、2010年はどんな年になるでしょうか? 冬のオリンピックやサッカーのワールドカップなどのイヴェントもあり、とても楽しみです。 
皆様それぞれ良い年末・年始を過ごされますように。 
今年もお世話になった、私の家族と友人の皆様、いつもどうもありがとう。
(今年最後のブログはアルゼンチンとは関係のない話になっちゃった・・・。)

2009年12月22日火曜日

FIFA クラブワールドカップ - TOYOTA CUP 2009


先週、FIFA クラブ・ワールドカップ、通称TOYOTA CUPがUAEで開催されていて、土曜日の深夜(日本時間)に決勝戦が行われました。 決勝戦に進んだのは、ヨーロッパのクラブ王者の“バルセロナ”と南米クラブの王者“エストゥディアンテス”でした。
試合は、前半にまず南米王者のエストゥディアンテスのボセッリ選手のヘッドで1点が入り、前半はエストゥディアンテスペースでした。 後半はヨーロッパ王者のバルセロナが猛攻撃をしかけましたが、エストゥディアンテスが守って守って、もしかしてこれで試合は終わるかとおもっていましたが、後半44分になんとバルセロナのペドロ選手から同点が生まれ、試合は延長戦に突入しました。 そして、延長戦も後半に入り・・・・、待ちに待ったメッシのゴーーール。 結局2対1でバルセロナが2009年世界1のクラブチームになりました。 

バルセロナ・ファンの皆さん、おめでとうございます。 

そしてエストゥディアンテスのサポーターの皆さん、お疲れ様でした。(負けた方のチームを応援していた人にとっては、どんな言葉をかけられても、ガックリしちゃって辛いのは、よく分かりますが。)

ところで、この試合の解説を盛り上げる為に、見所は“バルセロナのアルゼンチン選手メッシ対アルゼンチンのエストゥデイアンテスのベロン選手”だと言ったり、“バルセロナの世界一美しいサッカー対エストゥディアンテスの世界一ずる賢いサッカー”と言ったりしていましたけど・・・。 確かに、そういう対比を分かり易く見せるのは良いのですが、エストゥディアンテスのサッカーを世界一ずる賢いサッカーと言うのは、ヒドイと思いました。バルセロナはカンテラというユースチーム(少年強化チーム)から一緒にプレーをしている選手が多いので、バルセロナの戦術を子供の頃から理解し、それを子供の頃から一緒に実現するよう訓練を受けて育った選手達がそのまま大人のプロチームでもプレーをするので、息のあった連動性のある素晴らしいプレーが見られるわけで、もちろんそれは美しいと思います。 でも、エストゥディアンテスの選手の特に守備の動きは、運動量も多くて素晴らしかったと思いました。 ボールを持っている選手に対して、必ずといっていいぐらい2人ディフェンスについていたし、すでにベテランの34歳になったベロン選手は、メッシがドリブルを始めようという時に、それはそれは素早くボールをチェックに行っていて、体格も大きな選手なのに、いざという時の敏捷性は若い選手に劣らないとビックリしました。 だから私に言わせれば、世界一美しい攻撃サッカーのバルセロナ対気迫の運動量のエストゥディアンテス だったと思います。 試合後に元日本代表選手の中田英寿さんも、インタビューで私と同じようなことを言っていて、エストゥディアンテスの守備は、今後日本代表がワールドカップなどで強い国のチームと戦う時に、とても参考になると言っていました! そう、私と中田さんは同じ視点を持っていたんだ!!(と、結局は自慢話かって・・・。) それにしても、メッシ選手の最後のゴールを見て思うことは、世界最高の選手に選ばれるような人は、何か超越した力を神様から授かっていて、それを発揮できる場所を神様が用意しているに違いないのです。 そしてそこに神様は、それを見ている私たちに対して、何らかのメッセージを送っているような気がします

2009年12月17日木曜日

映画 マラドーナ


12月12日から、渋谷で“マラドーナ”という現アルゼンチン代表監督のドキュメンタリー映画が公開されていて、見に行ってきました。 
この映画はセルビアのクストリッツァ監督が、2005年から2007年まで、つまりはマラドーナ氏が代表監督に就任する前の約2年間にインタビューをした映像を中心に構成されています。
私がこの映画を是非観たかった理由は、長年彼に対して私が持っている感想と疑問を少しでも解明したいと思ったからです。 私は、マラドーナ監督に関しては、今まであまり良いイメージを持っていませんでした。 私がサッカーを熱心に観るようになのは1994年のワールドカップ、アメリカ大会以来のことです。 その時のイタリアのロベルト・バッジョ選手の華麗なプレーと、フランコ・バレージ キャプテンを中心とした鉄壁の守備(というか、ギリギリのところでファールをせずにシュートを打たせないディフェンス力がすごく見事でした)に魅了されました。 しかし、この時のワールドカップで、イヤな記憶もあります。 1つはオウンゴールをしてしまったコロンビアの選手が、帰国後にマフィアに殺されてしまったことと、もう1つは、当時まだ選手だったマラドーナが、ドーピングで大会を追放されたことです。彼がちょうどその同じ年に、マスコミに向って空気銃を乱射した事件も大会中には何度も取り上げられていました。 私はマラドーナの輝かしい現役時代をリアルタイムで知らないので、確かに過去にスーパースターだったかもしれないけれど、それは過去の話で、現在がこんなお粗末な人は話題にするに値しないと思っていたのでした。以前私は、イタリア人の上司のもとで働いたことがありますが、何かの折に“マラドーナが、彼の足の半分、いや十分の一でも頭を働かせることができればあんなにミジメにならずにすんだ”と言っていたことを、今でも覚えています。(この話は1997年頃のはなしです。)(もちろんこの上司、ナポリの人ではありません。)
私の彼に対するイメージはこのようにかなり悪かったのですが、その後、サッカー雑誌を読んでいると、多くの世界中の活躍選手が、“マラドーナに憧れた”とインタビューで発言していました。(日本の中村選手や、現解説者の名波さんもマラドーナが好きだったと言っていました。)また、こんなに問題の多い人なのに、現役引退後でもアルゼンチン国民のマラドーナに対する熱狂ぶり、というか、妄信ぶりが、私にはどうしても理解できませんでした。 エヴィータとマラドーナに対する異常なまでの、アルゼンチン国民の思いは、しょせんアルゼンチン人ではない私には永遠の謎なんだろうな~と思っていました。

それで、映画を観た感想はというと、マラドーナ現監督の私のイメージは、以前より遥かにアップしました。 また、アルゼンチンの人が、なぜマラドーナなのかということも少し分かりました(歴史的な背景があるんですね。)映画の中で、彼は自分がコカイン中毒であったことを、とても後悔していました。“今までの過ちは、全て自分の責任だ。 しかしボールは汚れていない。”と語っている彼が、私には印象的でした。 (潔い言葉だと思えました。) そして、この映画を通して、イロイロなことを考えました。 正しいとは、一体どういうことなのか、とか、正直であるということとは・・・などなど。  

また、昨日ちょうど“マイケル・ジャクソン 愛と哀しみの真実”と称して、故マイケル・ジャクソンの幼児虐待容疑に関する裁判のことをテレビ番組でやっていたのを観たのですが、とにかく、マラドーナにしてもマイケルにしても、スターといわれる人達は、マスコミに追いかけられ、それによって相当な心労を負い、また、そのマスコミの取り上げ方ひとつで、全世界を見方にも敵にもしてしまうことになるのだと、感じました。 

残念ながら、マイケルの人生は終わってしまいましたが、マラドーナには新たな喜びがある人生をこの先続けて欲しいと思いました。 それにしても、神様から選ばれた、特別な素晴らしい才能を与えられた人って、本当に大変なんだなーと痛感します。 

2009年12月10日木曜日

アルゼンチンのイナゴ対策!


11月28日のネットのニュースで、こんな記事を見つけたんです。 
(産経ニュースだったんだけど、もう記事の期限切れになっていたため、記事をそのままコピペしました。)

空軍使ってイナゴ迎撃 アルゼンチン
12~1月に小麦の収穫期を迎えるアルゼンチンでは、政府がイナゴの大発生による農産物被害を防ぐために空軍機2機の投入を決定した。アルゼンチンのフリアン・ドミンゲス農政・漁業大臣は「地方政府へのイナゴ対策資金の助成に加え、殺虫剤噴霧のために空軍機2機を派遣することを決定した」と述べ「降雨があり天候条件も変わってきたため、イナゴ対策には一層効果が出るだろう」と語った。イナゴは乾燥期に繁殖しやすい性質がある。同国政府は先週、農業生産者らに計1500万ペソ(約3億4400万円)の燻蒸(くんじょう)助成金を拠出すると保証しており、近日中に地方政府へ送付される手はずだ。同国の農学者ディエゴ・ライムンディ氏によると、生産者のイナゴ対策費用は約5000万ペソに上るという。米農務省のデータによると、昨年度は世界の小麦輸出国で4位だったアルゼンチンだが、来年6月までの1年間では8位に転落する見通しだ。ブエノスアイレス穀物取引所によると、干魃(かんばつ)と輸出規制の影響により、今年の同国の小麦の生産高は史上最低になるという。 アルゼンチン産小麦の半分以上を生産しているブエノスアイレス州では、州政府が小麦作付面積103万ヘクタールのうち約75万ヘクタールでイナゴ被害が発生すると推定。また生産者らは、小麦・トウモロコシ農地と牧草地を合わせた州内約200万ヘクタールに被害リスクがあるとみている。前年度は同州で約32万ヘクタールの農地がイナゴによる食害を受けた。アルゼンチン農業連合の地域マネジャー、パブロ・コルネーゴ氏は20日のインタビューで、昨年は燻蒸処理を行う予算が不足していたため、今年大発生する見込みだと話した。


オー、アルゼンチンは小麦を沢山作っているんですね。で、またネットで調べてみると、小麦の生産が多いのは、中国、インド、アメリカ、ロシア、フランス、カナダ・・・となっていて、2006年の統計ではアルゼンチンは12位でした。 しかし、小麦輸出国の上位の順位は生産順位と違っていて、アメリカ、フランス、カナダ、オーストラリア、アルゼンチンとなっています。 (最近パン屋さんで、フランス産小麦使用と書いてあるパンを良く見かけて、少々高くても、フランス産小麦だからしょうがない・・・なんて思っていたけど、日本はいずれにしても小麦はほとんど輸入ものだから、そんなに有難がる必要もないのかな・・・。 そんな中、アルゼンチンからは小麦を日本は輸入していないようです。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%82%AE

それにしても、アルゼンチンではお国を挙げてイナゴ退治をしなくてはならないなんて、大変ですね。 相当沢山発生するんでしょうね。 (ウー、怖い。) ところで、日本ではイナゴを食べますよね・・・。 私は食べたことないけど、そうそう、食べ損なったんだ。 ずーと昔、あるフランス人の友達(一瞬)が、神楽坂の和食屋さんで一緒にゴハンを食べたいと言うので、気軽についていったら、目的のお店はお休みで、後から聞いたらそこではイナゴを食べさせてくれるから、是非トライしたかった・・・というのです。それ以来イナゴを食べる状況にならないのですが、食わず嫌いでしょうけれど、わざわざチャレンジしたいとは思いませんけど~。 でも、パリパリして美味しいという話は何度か聞いたことがあります。 ネットでも佃煮の作り方とか紹介しているし、タイ料理でもイナゴを食べるみたい。
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/kuirejo/inago_b.htm
そこで思いつきました!! アルゼンチンの人達は、駆除したイナゴを日本のように食べればいいんですよ。 (アルゼンチンの人達にそういう食文化があるか、分からないけど。)
日本でも、稲をイナゴが食い荒らすから、イナゴを取って食べちゃったわけですから・・・。 どうしても食べたくないなら、日本に輸出するというのはどうだろう? 小麦の輸出がダメなら、イナゴを輸出したらどうだろう!! フリアン・ドミンゲス農政・漁業大臣、私の意見、どう思います???

2009年12月4日金曜日

メッシ選手、バロン・ドール受賞、おめでとう!


アルゼンチン人、初の快挙!!

今年もサッカーファンにとって、アルゼンチン人のメッシ選手の活躍は、希望や勇気を私達に与えてくれたと思いますし、また、そのメッシ選手であっても、時には苦しい時を過ごさなくてはならないこともあるということを感じたと思います。 以前、私のブログでもメッシ選手の生い立ちについて、書いたことがあると思いますが、このアルゼンチンの若きサッカー選手は、幼少時代に成長ホルモンの難病を持ち、その難病に打ち勝つために、自らの手で(足でという方が正しい・・・)自分の医療費を稼ぎ出し(13歳でアルゼンチンからスペインのバルセロナに移住して、クラブ・チームに医療費を払ってもらった)病気を克服し、22歳の成人した今でも身長169cmと小柄なのに、世界で一番レベルの高いスペインのサッカーリーグの一番強いチームのキャプテンとして活躍しているのです。 世界のあらゆるところで、プロのサッカー選手を目指す子供が家に居るお宅では、もし子供が怠けたり、くじけそうになったら、メッシ選手の生い立ちを話すことでしょう。 そんなメッシ選手も、今年行われていた2010年ワールドカップの為の南米予選で、アルゼンチン代表としては得点をあげるとか、思うようなプレーができず、本人も悔しい思いをしたでしょうし、アルゼンチン国民からは批判を浴びてしまいました。 神様は、栄光と挫折を交互に用意しているのでしょうか? でも、神様は年末にメッシ選手にご褒美を授けることにしたようです。 12月1日に、バロン・ドールというサッカー選手にとって最も栄誉ある賞が、メッシ選手に贈られました。 アルゼンチンのサッカー選手として、バロン・ドールを受賞するのはメッシ選手が始めてだそうです。 
メッシ選手、心から、おめでとうございます!!
バロン・ドールがどういう賞なのかは、次のリンクをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB

で、歴代の受賞選手を見て、おや~と思った方、いませんか? そうそう、同じくアルゼンチンのあの偉大なるマラドーナ現代表監督はバロン・ドールを受賞したことがありません。(きっとノミネートさえもないでしょう。) 選手としては最高、監督としては最低と言われていますが・・・。 説明を見ると・・・、1995年までは、ヨーロッパの選手しかノミネートされなかったんですね。 (1995年以降はヨーロッパのクラブチームで活躍する選手全体がノミネート対象になりました。 日本人では中田選手や中村選手もノミネートされたことあるんですね!) マラドーナ監督が選手を引退したのは1997年だったようですが、1990年以降は問題が多くて、話題には事欠かなくても、あまり良い話題ではなかったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%8A

ところで、バロン・ドール(フランス語でバロンはボール、ドールは金色のという意味だから、金色のボール)の呪いという話があります。
http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20091201-571408.html
バロン・ドールを獲得した選手がいるチームは、その次の年のワールドカップで優勝できないし、その選手もワールドカップで活躍できないという逸話というかジンクス!
メッシ選手には、来年のワールドカップでも活躍してもらい、この呪いを是非とも払拭してもらいたい! ガンバレ、レオ~!!(メッシ選手の愛称はレオ)

2009年12月1日火曜日

ブエノス・アイレスのクリスマス


体験談、伺っちゃいました!

今年も今日から12月になっちゃいました。 2009年もあと1ヶ月で終わってしまうなんて・・・。 ところで、今年ってやたらクリスマスのイルミネーションが11月中旬ぐらいから輝いていて、綺麗で良いけれど、逆にもう年末だ・・・とあせってしまいます。 みなさん、12月の予定はどんな感じですか? 忙しいと思いますが、食べ過ぎ・飲み過ぎ、風邪に気をつけてください。 
で、今日は、ブエノス・アイレスのクリスマス・シーズンってどんななのかな~と思って、いつもタンゴ・ダンスでお世話になっている、タンゴ・レックス(ダンス・スタジオ
http://tangorex.com/)のアリサさんに、お話を伺いました。

確か、2005年の12月に、ブエノス・アイレスに行かれたと思うのですが、アルゼンチンのクリスマスの事を教えてください。
質問1: 東京から、ブエノス・アイレスまで、その時どこを経由して、何時間ぐらいかかりましたか?
アトランタ経由で行ったのですが、成田からアトランタ迄12,3時間、アトランタからブエノス・アイレス迄14,5時間の予定でしたがアトランタで7時間待ちだった為、仮眠を取っていたら…ナント飛行機に乗り遅れてしまいました(>_<) 航空会社には次の便は明日になると言われたのですが、泣いて頼み込み何とかチリ行きの便に乗せてもらい、チリからブエノス・アイレスに入りました。勿論ブエノス到着は予定より何時間も遅れてしまったので、花束を持って出迎えに来てくれていたリカルド先生のお友達には大変申し訳ない事をしてしまいました…。
ブエノス・アイレスまで、何とかもう少し飛行機が便利になって欲しいですよね。 でも、乗り遅れるって・・・凄い・・・。 
質問2: ブエノス・アイレスに到着して、まずどんな印象を受けましたか? ブエノス・アイレスに行ったのは初めてでしたか? 何日に到着したか覚えていますか?
まず印象を受けたのは、空の色でした!どんな色だったか思い出せないのですが、空港から外に出た時、まず「空の色が違う!」と思った事をハッキリ覚えています。 
ブエノス・アイレスに行ったのは初めてでしたが、何日にブエノスに到着したのかは忘れてしまいました。
質問3:12月のブエノス・アイレスは夏だと思いますが、何だかヘンな感じがしませんでしたか?

ハワイやマイアミで夏のクリスマスを体験していたので、特別変なカンジはしませんでした。
質問4:街中は東京と同じようなクリスマスの飾りとかイルミネーションでしたか? ちょっと日本とは違うな~と思ったことはありますか?
クリスマスの飾りやイルミネーションはあったと思うのですが、そんなに印象に残っていません。 印象に残っているのは、ノースリーブ&ミニスカートのセクシーなサンタガール(多分キャンペーンガール???)が空港や昼間の街中で良く見られた事です!
質問5:クリスマス・イブとクリスマス当日は、どんな風に過ごされたか、差し支えなければ教えてください。 プレゼント交換とかしましたか?

クリスマスイブの夜は、リカルド先生の従姉の家に親戚の方々が集まったのですが、レストランの様なテーブルセッティングとフルコースの豪華なクリスマスディナーでした!大袈裟なものではないプレゼント交換もありました。私は夜中の1時頃には先にホテルに帰ったのですが、25日の朝の8時迄パーティーが続いたそうです!  25日の夜は特別な事はせず普通に過ごしました。アルゼンチンで一番大事な日はクリスマスイブの夜で、クリスマス当日の過ごし方はそんなに気にしない様です。
日本もクリスマス・イブの方が大切ですよね。 でも私がフランスに居た時は25日の方が大事だったと思います。 国によって、やっぱり違うんですね。
質問6:クリスマスだからということで、特別なお食事をしましたか? 日本だったら、シャンパンを飲んだり、クリスマス・チキンやクリスマスケーキを食べたりしますが、アルゼンチンならでは・・・という食べ物とかありましたか?
前記した様にご自宅なのに豪華なフルコースメニューでしたが、テリーヌなどの前菜や大きなビーフをカットして頂きました!  デザートもケーキやジェラードなどたくさん頂きました♪

アルゼンチンのクリスマス・ディナー、美味しそうだけど、次の日動けなくなるくらい沢山飲んで食べるんでしょうね・・・。
質問7:以前スペイン語の先生に聞いたのですが、スペインでは1月6日のレジェス・マゴという日に子供はプレゼントをもらえるのだそうだと。 スペインでは、12月24日とか25日にサンタさんからプレゼントをいただき、さらに1月6日に親からプレゼントを貰えるらしいのですが、アルゼンチンでもそうなのかどうかご存知ですか? アルゼンチンにもサンタさんいますか? どんな格好していますか? (ちなみにフランスでは、レジェス・マゴの日は子供にプレゼントはないんだけど、ガレット・デ・ロワというお菓子を食べます。)
今年の1月のクルージングミロンガでレジェス・マゴにちなんでプレゼント交換をしましたよね!  リカルド先生のアイデアだったので、やはりアルゼンチンでも特別な日なのだと思います。  サンタさんは、前記しましたが、所謂日本で見られる様な白いヒゲの太ったオジさんのサンタさんではなく、セクシーなサンタガールでした♪
質問8:クリスマス・ミロンガなんてあるんですか?

あるのかもしれませんが…、私が行ったミロンガでは特にクリスマスをモチーフにしていたイベントなどはありませんでした。
質問9:当然、クリスマスということで、家族や友人が集まると思いますが、その時はタンゴとか踊りますか? それともフォルクローレとかを踊りますか? (集まる人、それぞれかもしれませんが?) どうやら、必ずコレを踊るらしい・・・とか歌うらしい・・・なんてありますか?
リカルド先生のファミリーも友人もタンゴを踊る人は皆無なので、全くそんな様子はありませんでした!(笑)  又、生粋のポルテーニョなので、フォルクローレも踊りません。でもリカルド先生のファミリーはスパニッシュファミリーなので、以前(リカルド先生が小さい頃)は良くファミリーが集まると皆でパソドブレを踊ったそうです!
質問10:皆さん教会とかに行っていましたか?

人それぞれだと思いますが、特に周りの人で教会に行っていた様子は見ませんでした。
質問11:コレはステキとかカワイイ!と思って買ったお土産ありますか?
バンドネオンの形をしたCDケースが可愛かったです!

質問12:これはアルゼンチン大使館のサイトで見たんですが、アルゼンチンの12月28日は正直者の日(Día del Innocente)という日らしく、でも日本でいうエイプリール・フールにあたる・・・と書いてありました。 何か、いたずらされたり、騙されたりしましたか?
私が旅行した時には、その日の存在は知りませんでしたが、全く影響はありませんでした。改めてリカルド先生に聞いたら、ジョークを言ったりする事はあるけれど、それほど皆が気にしている日ではないそうです。
質問12:最後に、今年は12月24日にアリサさんとアヤさんで、クリスマス・パーティーを企画なさっていらっしゃいますが、どんなパーティーを企画していますか?
http://tangorex.com/tangolounge.html
毎週木曜日にミロンガを開催しているのですが、今年はたまたま24日のクリスマスイブが木曜日なのでパーティーを企画しました!キャンドルをたくさん灯したりクリスマスデコレーションのいつもとは違う雰囲気にする予定です!  クリスマスフードやクリスマスケーキサービスやシャンパンサービスなどで、私達も仕事というより皆さんと一緒に楽しくクリスマスイブを過ごしたいなと思っています♪(笑)もしかしたらサプライズデモもあるかも(!?)しれません☆

沢山の質問に、全て丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。 ブエノス・アイレスのクリスマスって、特に男性には楽しそうですね。 だって、サンタさんがセクシー・ガールだなんて!! それで、Tango Rexでは12月は、キャンペーン・イヴェントが盛りだくさんです。 私も出来る限りお邪魔して、皆さんと楽しい12月を過ごしたいと思います