アルゼンチンの独立記念日
本日7月9日は、アルゼンチンの独立記念日です。 在日アルゼンチン大使館にお勤めの方はお休みですね~。
まずは、写真の大きな通りをご覧ください。 これはブエノスアイレス市の中心を通るAvenida 9 de Julio (7月9日大通り とでも訳すかね)! 世界一大きな通りだそうです。
アルゼンチン大使館のサイトの説明では、
7月9日通り (Avenida 9 de julio)大統領府と国会議事堂を結ぶ五月通りと交差して市の中心を走る大通り。南北4km、最大幅約140m、16車線の規模を誇る。アルゼンチン人曰く、世界で一番幅の広い道路であり、1回の青信号で渡り切るのは難しい。その名はアルゼンチンが独立を果たした1816年7月9日に由来する。同通りができる以前、この一帯にはフランス様式の家々が立ち並んでいたが、1936年、この通りを作るためそれらは全て取り壊された。唯一フランス大使館のみが取り壊しを免れ、7月9日通りがリベルタドール通りに合流する部分に今でも美しくそびえ立っている。
本日7月9日は、アルゼンチンの独立記念日です。 在日アルゼンチン大使館にお勤めの方はお休みですね~。
まずは、写真の大きな通りをご覧ください。 これはブエノスアイレス市の中心を通るAvenida 9 de Julio (7月9日大通り とでも訳すかね)! 世界一大きな通りだそうです。
アルゼンチン大使館のサイトの説明では、
7月9日通り (Avenida 9 de julio)大統領府と国会議事堂を結ぶ五月通りと交差して市の中心を走る大通り。南北4km、最大幅約140m、16車線の規模を誇る。アルゼンチン人曰く、世界で一番幅の広い道路であり、1回の青信号で渡り切るのは難しい。その名はアルゼンチンが独立を果たした1816年7月9日に由来する。同通りができる以前、この一帯にはフランス様式の家々が立ち並んでいたが、1936年、この通りを作るためそれらは全て取り壊された。唯一フランス大使館のみが取り壊しを免れ、7月9日通りがリベルタドール通りに合流する部分に今でも美しくそびえ立っている。
とのこと。
私が昔誰からか聞いたか、あるいは何かの資料で読んだかした時には、この通りはパリのシャンゼリゼ通りをイメージして作られて、オベリスクもパリのコンコルド広場のオベリスクを真似たものだ・・・とのことでした(でもシャンゼリゼ通りはせいぜい4車線4車線計8車線ぐらいじゃない?)。 ブエノスアイレスは、“南米のパリ”と呼ばれるそうですし、実際に街を作る時に建築家達はパリに似せて作ったといいます。(ガセネタではないことを祈る・・・。)移民の国だから、もちろんフランスからの移民の人もたくさんいらっしゃるのでしょうが、国民の大半は、もともとスペインかイタリアのご出身みたいなのに、何でローマ風な街づくりとか、マドリードっぽいとかバルセロナ的な街づくりにしなかったんでしょうか? 不思議です。 ま、それはいいとしても、この通り、メチャ広い。 説明文にも書いてあるけど、一回の青信号で渡りきるのは難しいと・・・。
そこで、タンゴの先生のリカルド先生に1回で渡りきれるのか現地の方々の対処方法を聞いたら、このテンポで歩けば大丈夫といって“1、2、3、4・・・”とカウントしてくれましたが、かなり早いテンポで、これではオシャベリしながら楽しく歩くのは難しそうな感じでした。 これからAvenida 9 de Julio を渡る可能性のある人、気合をいれてれ横断しましょう。
あと9 de Julioといえば、タンゴの曲もあります。
まずは、前のブログで少しお話したファン・ダリエンソ楽団の演奏をY-tubeでお楽しみください。
http://www.youtube.com/watch?v=8pS_qbG_tWU
いやー、タンゴ全盛期の迫力ある演奏ですね。 そしてバンドネオン奏者が5人も!!
その5人の中の左から2番目の、大きな目をギョロギョロさせてバンドネオンを自由にあやつっている方が、先日訃報をお伝えしたカルロス・ラサリ マエストロで、もちろん凄いアクションで指揮をしているのが、ファン・ダリエンソ マエストロです。 こんな演奏、生で聴けたらいいですね。 “ヨッ!ブラボー!!”と拍手拍手(ヨッ!はいらないけど、日本人だから思わず言っちゃいそうじゃない?!)。
私が昔誰からか聞いたか、あるいは何かの資料で読んだかした時には、この通りはパリのシャンゼリゼ通りをイメージして作られて、オベリスクもパリのコンコルド広場のオベリスクを真似たものだ・・・とのことでした(でもシャンゼリゼ通りはせいぜい4車線4車線計8車線ぐらいじゃない?)。 ブエノスアイレスは、“南米のパリ”と呼ばれるそうですし、実際に街を作る時に建築家達はパリに似せて作ったといいます。(ガセネタではないことを祈る・・・。)移民の国だから、もちろんフランスからの移民の人もたくさんいらっしゃるのでしょうが、国民の大半は、もともとスペインかイタリアのご出身みたいなのに、何でローマ風な街づくりとか、マドリードっぽいとかバルセロナ的な街づくりにしなかったんでしょうか? 不思議です。 ま、それはいいとしても、この通り、メチャ広い。 説明文にも書いてあるけど、一回の青信号で渡りきるのは難しいと・・・。
そこで、タンゴの先生のリカルド先生に1回で渡りきれるのか現地の方々の対処方法を聞いたら、このテンポで歩けば大丈夫といって“1、2、3、4・・・”とカウントしてくれましたが、かなり早いテンポで、これではオシャベリしながら楽しく歩くのは難しそうな感じでした。 これからAvenida 9 de Julio を渡る可能性のある人、気合をいれてれ横断しましょう。
あと9 de Julioといえば、タンゴの曲もあります。
まずは、前のブログで少しお話したファン・ダリエンソ楽団の演奏をY-tubeでお楽しみください。
http://www.youtube.com/watch?v=8pS_qbG_tWU
いやー、タンゴ全盛期の迫力ある演奏ですね。 そしてバンドネオン奏者が5人も!!
その5人の中の左から2番目の、大きな目をギョロギョロさせてバンドネオンを自由にあやつっている方が、先日訃報をお伝えしたカルロス・ラサリ マエストロで、もちろん凄いアクションで指揮をしているのが、ファン・ダリエンソ マエストロです。 こんな演奏、生で聴けたらいいですね。 “ヨッ!ブラボー!!”と拍手拍手(ヨッ!はいらないけど、日本人だから思わず言っちゃいそうじゃない?!)。
曲の話に戻りますが、この曲には歌詞もついていたようです。 タンゴ名曲事典(アッ、この本も先日お亡くなりになった石川浩司先生が編集している!)の解説によると、作曲したのはホセ・ルイス・パドゥラで1908年に自ら初演しているそうです。 曲はかなり売れて、1919年にはパドゥラさんが知らないところで、勝手に暗黒街のことを歌ったスラング混じりの歌詞がついちゃったそうです。 で、1925年になって、アルゼンチン独立記念日にちなんだ愛国的な歌詞がついたんだけど、失敗に終わったんだそうです。 1931年になると、リト・パジャルドが、遠い昔の7月9日に愛を失った・・という内容のセンティメンタルな歌詞をつけ、まあまあ成功したようです。 でも、今ではほとんど歌われることはありません。 この曲の雰囲気で、昔の失恋を歌ったセンチメンタルな歌詞って・・・??? 実は今年の2月からタンゴの歌も習っているんですが、ステキな曲だな~と思っても、歌詞の内容は失恋ばかし・・・なんですよー。 それもいいけどねー、誰かメチャクチャハッピーな内容のタンゴの歌を見つけたという方は、是非ご一報ください~。 それとも、私もパドゥラさんに無断で(だって断るにも本人たぶんご存命じゃないでしょ)、9 de julioの曲に楽しい歌詞とかつけちゃおうかな~、日本語で!!
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