2009年2月22日日曜日

リカルド・セルケイロ先生 (アルゼンチン・タンゴ ダンサー&講師)



私にとって最も身近なMade in Argentin (その1)

私がリカルド先生にアルゼンチン・タンゴ・ダンスを教えていただくようになって、4年がたちました。 現在先生は、代官山と恵比寿の間ぐらいの場所にTango Rex というスタジオを構え、東京で日々アルゼンチン・タンゴの発展に努めていらっしゃいます。
私は、だいたい週に1,2回レッスンを受けて、ほぼ毎週土曜日にミロンガというアルゼンチン・タンゴのダンス・パーティーで踊っているので、先生とパートナーのアリサさんとは、会社の人ほどではないけれど、かなり仲良い親友以上にここ何年かは一緒の時間を過ごさせていただいていることになります・・・。 と、お会いする密度は結構あって、タンゴの事以外の雑談もするわりには、先生ご自身の事はそんなに存じ上げなくて、今回ブログ始める機会に乗じて、先生がどんな経緯で、はるばるアルゼンチンから日本にやって来て、日本の何が気に入って8年も東京にお住まいなのかを聞いてみました。


質問1:東京にいらして8年になると伺いましたが、どうして日本に来たのでしょうか? 日本に来るような機会を探していらっしゃったのでしょうか? それとも偶然ですか?


リカルド先生:日本に来たのは、あるタンゴ・スタジオと、ダンサーおよび講師として契約を結んだ為でした。日本に来る機会を探していたかといえば、そうではありませんが、じゃあ偶然かというと・・・、僕は多くのことは偶然ではなくて必然だと思っています。


質問2:日本に来る前に、日本や東京のことについて、色々かなり情報がありましたか?それともありませんでしたか?


リカルド先生:東京に来ることになり、とてもワクワクした気分になりました。 東京は第二次世界大戦とその前に関東大地震で街が崩壊したのにも関わらず、それを立て直した街なのだと聞いていたからです。 そして、ポスト・インダストリアルというか、モダンで、とても興味深い建築物が多くそびえる街並みに出会いました。それは、ブエノス・アイレスのスタイルとは全く異なるものでした。 日本についてはあまり知識がありませんでしたが、日本のアーチスト、例えば黒澤、大島渚、三船敏郎、あとは有名な三島(由紀夫)などについては知っていました。 ブエノス・アイレスで演劇の勉強をしていた時に、お能や歌舞伎を観る機会にも恵まれました。 あと、日本人の先生に合気道を習っていました。 

(リカルド先生と合気道・・・、似合うような、似合わないような・・・)


質問3: じゃあ、いざ日本に来るとなった際に、ご家族や友人の方々の反応はどうでしたか? 皆さん賛成しましたか?


リカルド先生:家族の中で、母と姉はすでに他界していましたので、父に話をしたところ、私のキャリアにとって日本に行くのが良いことだと理解してくれました。 友人の中にはとても悲しんだ者もいましたが、皆、私がどうしたいのかを分かってくれました。


質問4:実際日本に着いてみて、驚いたことや印象的だったことは?


リカルド先生:何でも逆さまなので参りました。 文章は縦に読むとか、本の見開きも逆だし、ドアノブの回し方も違うし・・・。 スパゲッティとかお蕎麦を食べるのに、こちらでは音を出して良いのも驚きでした。 (蕎麦はokだけど、スパゲッティは一応洋食だから良いのかな~)飲食店の店先にある、プラスチックの見本も良く出来ていると思いましたよ。 タクシーのドアは日本では自動的に開閉しますが、知らなかったので、こちらで勝手に開けたり閉めたりしようとしたら、運転手さんにすごく怒られてしまいました。 街のその地区その地区で特徴のある若者のファッションを見るのも好きです。 電車は素晴らしく時間通り運行しますね。 そうそう、日本人の男性は、道行く女性に声をかけたり話しかけたりしないんですね・・・。 電車の中は、あんなに混んでいるのに、みんなおとなしく黙っているのも驚きです。 街中に酔っ払いが多くて、特にかなり多くの女性が平気で酔っ払っているのは、今まであまり見かけない光景だったのでビックリしました。


質問5:色々ビックリしたんですね。 でも東京に結構長く住んでいるということは、東京が気に入っているからだと思うのですが、東京の何が好きですか?


リカルド先生:全てと言っていいくらい、ありとあらゆることが興味深くて大好きです。 ここでは、何かを探せばそれに出会うことができます。 例えば、特に僕の好きな音楽について言えば、ソウル・ミュージック、ジャズ、タンゴと他では見つからないようなCD(レコード)もあるということが分かりました。



リカルド先生への質問は、その2がありますが、ちょっとここで休憩・・・。