2009年12月29日火曜日

皆様、よいお年を!


2009年ももう少しで終わってしまいますね。 この1年は皆様にとって、どんな1年だったでしょうか? 私にとっては、概してあまり良い1年だったとは言えなかったかもしれませんが、ブログを始めることができたり、アルゼンチン・タンゴの歌を習い始めたり、新しいことに挑戦する機会が与えられたので、その事をむしろ喜ぶべきだと、今では思うようにしています。 私が大好きな曲の1つに、Princeの”Sometime it snows in April” という歌があります。
http://www.dailymotion.com/video/x5zf7h_prince-sometimes-it-snows-in-april_music
曲の内容は、4月、春だというのに雪が降ることがある。 人生でよい事がいつまでも続いて欲しいけど、そうはなかなかいかなくて、時には思いがけず悪いことが起こることがある・・・というものです。(歌詞の概要で直訳ではありません。) とっても美しい曲です。  悲しい時、寂しい時、うまくいかないことがあると、時々この曲を心の中で歌います。
そして、2009年に一番ショックを受けたことは、やはりMichael Jacksonが天に召されたことです。 この12月には彼の特別追悼番組をいくつもテレビでやっていて、それらを沢山見ました。 今年の6月の彼の訃報の直後に書いたブログでは、私は”Rock with You”、”She’s out of my life”が好きだと言いましたが、もう1曲心に残る曲として“You are not alone”を追加します。
http://www.youtube.com/watch?v=2pFLcN4fYQg&feature=related
また、今日改めてMadonnaの追悼スピーチを見ました。 
http://www.mtvjapan.com/video/program/19585
スピーチの中で、MadonnaがMichaelの後年の一連の事件やマスコミのパッシングに触れこう言っています。”I had abandoned him. We had abandoned him.” (私は彼を見捨ててしまったのです。 私達は彼を見捨ててしまったのです。) 確かにそうだなーと心が痛みます。 私がMichaelを応援しなくなった理由は、顔がどんどん整形手術によって変わり、皮膚の色がどんどん白くなっていったことによって、何だか別人のようになっていくように思えたからです。 私は彼が皮膚の病気(尋常性白斑)だということは知らなかったので、彼が皮膚の色まで変えて、白人のようになろうとしているのかと思っていました。 それなのに、人種差別を批判していた彼のことが理解できなかったのですが、病気のことを知っていたら、見方が違っていたと思います。(今更ながら・・・。) よく言われることですが、人は何かを失ってから、その失ったものの大きさや大切さを知ると言います。 Michael Jacksonが作品や様々な活動を通して発してきたメッセージを、考えたいと思います。 本当に大事なことは、私たちの目には見えるものではなくて、心でしか感じることが出来ないのだと痛感します。 
そして、心からMichaelが天国でリラックスして過ごされるよう、お祈りしています。

さて、2010年はどんな年になるでしょうか? 冬のオリンピックやサッカーのワールドカップなどのイヴェントもあり、とても楽しみです。 
皆様それぞれ良い年末・年始を過ごされますように。 
今年もお世話になった、私の家族と友人の皆様、いつもどうもありがとう。
(今年最後のブログはアルゼンチンとは関係のない話になっちゃった・・・。)

2009年12月22日火曜日

FIFA クラブワールドカップ - TOYOTA CUP 2009


先週、FIFA クラブ・ワールドカップ、通称TOYOTA CUPがUAEで開催されていて、土曜日の深夜(日本時間)に決勝戦が行われました。 決勝戦に進んだのは、ヨーロッパのクラブ王者の“バルセロナ”と南米クラブの王者“エストゥディアンテス”でした。
試合は、前半にまず南米王者のエストゥディアンテスのボセッリ選手のヘッドで1点が入り、前半はエストゥディアンテスペースでした。 後半はヨーロッパ王者のバルセロナが猛攻撃をしかけましたが、エストゥディアンテスが守って守って、もしかしてこれで試合は終わるかとおもっていましたが、後半44分になんとバルセロナのペドロ選手から同点が生まれ、試合は延長戦に突入しました。 そして、延長戦も後半に入り・・・・、待ちに待ったメッシのゴーーール。 結局2対1でバルセロナが2009年世界1のクラブチームになりました。 

バルセロナ・ファンの皆さん、おめでとうございます。 

そしてエストゥディアンテスのサポーターの皆さん、お疲れ様でした。(負けた方のチームを応援していた人にとっては、どんな言葉をかけられても、ガックリしちゃって辛いのは、よく分かりますが。)

ところで、この試合の解説を盛り上げる為に、見所は“バルセロナのアルゼンチン選手メッシ対アルゼンチンのエストゥデイアンテスのベロン選手”だと言ったり、“バルセロナの世界一美しいサッカー対エストゥディアンテスの世界一ずる賢いサッカー”と言ったりしていましたけど・・・。 確かに、そういう対比を分かり易く見せるのは良いのですが、エストゥディアンテスのサッカーを世界一ずる賢いサッカーと言うのは、ヒドイと思いました。バルセロナはカンテラというユースチーム(少年強化チーム)から一緒にプレーをしている選手が多いので、バルセロナの戦術を子供の頃から理解し、それを子供の頃から一緒に実現するよう訓練を受けて育った選手達がそのまま大人のプロチームでもプレーをするので、息のあった連動性のある素晴らしいプレーが見られるわけで、もちろんそれは美しいと思います。 でも、エストゥディアンテスの選手の特に守備の動きは、運動量も多くて素晴らしかったと思いました。 ボールを持っている選手に対して、必ずといっていいぐらい2人ディフェンスについていたし、すでにベテランの34歳になったベロン選手は、メッシがドリブルを始めようという時に、それはそれは素早くボールをチェックに行っていて、体格も大きな選手なのに、いざという時の敏捷性は若い選手に劣らないとビックリしました。 だから私に言わせれば、世界一美しい攻撃サッカーのバルセロナ対気迫の運動量のエストゥディアンテス だったと思います。 試合後に元日本代表選手の中田英寿さんも、インタビューで私と同じようなことを言っていて、エストゥディアンテスの守備は、今後日本代表がワールドカップなどで強い国のチームと戦う時に、とても参考になると言っていました! そう、私と中田さんは同じ視点を持っていたんだ!!(と、結局は自慢話かって・・・。) それにしても、メッシ選手の最後のゴールを見て思うことは、世界最高の選手に選ばれるような人は、何か超越した力を神様から授かっていて、それを発揮できる場所を神様が用意しているに違いないのです。 そしてそこに神様は、それを見ている私たちに対して、何らかのメッセージを送っているような気がします

2009年12月17日木曜日

映画 マラドーナ


12月12日から、渋谷で“マラドーナ”という現アルゼンチン代表監督のドキュメンタリー映画が公開されていて、見に行ってきました。 
この映画はセルビアのクストリッツァ監督が、2005年から2007年まで、つまりはマラドーナ氏が代表監督に就任する前の約2年間にインタビューをした映像を中心に構成されています。
私がこの映画を是非観たかった理由は、長年彼に対して私が持っている感想と疑問を少しでも解明したいと思ったからです。 私は、マラドーナ監督に関しては、今まであまり良いイメージを持っていませんでした。 私がサッカーを熱心に観るようになのは1994年のワールドカップ、アメリカ大会以来のことです。 その時のイタリアのロベルト・バッジョ選手の華麗なプレーと、フランコ・バレージ キャプテンを中心とした鉄壁の守備(というか、ギリギリのところでファールをせずにシュートを打たせないディフェンス力がすごく見事でした)に魅了されました。 しかし、この時のワールドカップで、イヤな記憶もあります。 1つはオウンゴールをしてしまったコロンビアの選手が、帰国後にマフィアに殺されてしまったことと、もう1つは、当時まだ選手だったマラドーナが、ドーピングで大会を追放されたことです。彼がちょうどその同じ年に、マスコミに向って空気銃を乱射した事件も大会中には何度も取り上げられていました。 私はマラドーナの輝かしい現役時代をリアルタイムで知らないので、確かに過去にスーパースターだったかもしれないけれど、それは過去の話で、現在がこんなお粗末な人は話題にするに値しないと思っていたのでした。以前私は、イタリア人の上司のもとで働いたことがありますが、何かの折に“マラドーナが、彼の足の半分、いや十分の一でも頭を働かせることができればあんなにミジメにならずにすんだ”と言っていたことを、今でも覚えています。(この話は1997年頃のはなしです。)(もちろんこの上司、ナポリの人ではありません。)
私の彼に対するイメージはこのようにかなり悪かったのですが、その後、サッカー雑誌を読んでいると、多くの世界中の活躍選手が、“マラドーナに憧れた”とインタビューで発言していました。(日本の中村選手や、現解説者の名波さんもマラドーナが好きだったと言っていました。)また、こんなに問題の多い人なのに、現役引退後でもアルゼンチン国民のマラドーナに対する熱狂ぶり、というか、妄信ぶりが、私にはどうしても理解できませんでした。 エヴィータとマラドーナに対する異常なまでの、アルゼンチン国民の思いは、しょせんアルゼンチン人ではない私には永遠の謎なんだろうな~と思っていました。

それで、映画を観た感想はというと、マラドーナ現監督の私のイメージは、以前より遥かにアップしました。 また、アルゼンチンの人が、なぜマラドーナなのかということも少し分かりました(歴史的な背景があるんですね。)映画の中で、彼は自分がコカイン中毒であったことを、とても後悔していました。“今までの過ちは、全て自分の責任だ。 しかしボールは汚れていない。”と語っている彼が、私には印象的でした。 (潔い言葉だと思えました。) そして、この映画を通して、イロイロなことを考えました。 正しいとは、一体どういうことなのか、とか、正直であるということとは・・・などなど。  

また、昨日ちょうど“マイケル・ジャクソン 愛と哀しみの真実”と称して、故マイケル・ジャクソンの幼児虐待容疑に関する裁判のことをテレビ番組でやっていたのを観たのですが、とにかく、マラドーナにしてもマイケルにしても、スターといわれる人達は、マスコミに追いかけられ、それによって相当な心労を負い、また、そのマスコミの取り上げ方ひとつで、全世界を見方にも敵にもしてしまうことになるのだと、感じました。 

残念ながら、マイケルの人生は終わってしまいましたが、マラドーナには新たな喜びがある人生をこの先続けて欲しいと思いました。 それにしても、神様から選ばれた、特別な素晴らしい才能を与えられた人って、本当に大変なんだなーと痛感します。 

2009年12月10日木曜日

アルゼンチンのイナゴ対策!


11月28日のネットのニュースで、こんな記事を見つけたんです。 
(産経ニュースだったんだけど、もう記事の期限切れになっていたため、記事をそのままコピペしました。)

空軍使ってイナゴ迎撃 アルゼンチン
12~1月に小麦の収穫期を迎えるアルゼンチンでは、政府がイナゴの大発生による農産物被害を防ぐために空軍機2機の投入を決定した。アルゼンチンのフリアン・ドミンゲス農政・漁業大臣は「地方政府へのイナゴ対策資金の助成に加え、殺虫剤噴霧のために空軍機2機を派遣することを決定した」と述べ「降雨があり天候条件も変わってきたため、イナゴ対策には一層効果が出るだろう」と語った。イナゴは乾燥期に繁殖しやすい性質がある。同国政府は先週、農業生産者らに計1500万ペソ(約3億4400万円)の燻蒸(くんじょう)助成金を拠出すると保証しており、近日中に地方政府へ送付される手はずだ。同国の農学者ディエゴ・ライムンディ氏によると、生産者のイナゴ対策費用は約5000万ペソに上るという。米農務省のデータによると、昨年度は世界の小麦輸出国で4位だったアルゼンチンだが、来年6月までの1年間では8位に転落する見通しだ。ブエノスアイレス穀物取引所によると、干魃(かんばつ)と輸出規制の影響により、今年の同国の小麦の生産高は史上最低になるという。 アルゼンチン産小麦の半分以上を生産しているブエノスアイレス州では、州政府が小麦作付面積103万ヘクタールのうち約75万ヘクタールでイナゴ被害が発生すると推定。また生産者らは、小麦・トウモロコシ農地と牧草地を合わせた州内約200万ヘクタールに被害リスクがあるとみている。前年度は同州で約32万ヘクタールの農地がイナゴによる食害を受けた。アルゼンチン農業連合の地域マネジャー、パブロ・コルネーゴ氏は20日のインタビューで、昨年は燻蒸処理を行う予算が不足していたため、今年大発生する見込みだと話した。


オー、アルゼンチンは小麦を沢山作っているんですね。で、またネットで調べてみると、小麦の生産が多いのは、中国、インド、アメリカ、ロシア、フランス、カナダ・・・となっていて、2006年の統計ではアルゼンチンは12位でした。 しかし、小麦輸出国の上位の順位は生産順位と違っていて、アメリカ、フランス、カナダ、オーストラリア、アルゼンチンとなっています。 (最近パン屋さんで、フランス産小麦使用と書いてあるパンを良く見かけて、少々高くても、フランス産小麦だからしょうがない・・・なんて思っていたけど、日本はいずれにしても小麦はほとんど輸入ものだから、そんなに有難がる必要もないのかな・・・。 そんな中、アルゼンチンからは小麦を日本は輸入していないようです。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%82%AE

それにしても、アルゼンチンではお国を挙げてイナゴ退治をしなくてはならないなんて、大変ですね。 相当沢山発生するんでしょうね。 (ウー、怖い。) ところで、日本ではイナゴを食べますよね・・・。 私は食べたことないけど、そうそう、食べ損なったんだ。 ずーと昔、あるフランス人の友達(一瞬)が、神楽坂の和食屋さんで一緒にゴハンを食べたいと言うので、気軽についていったら、目的のお店はお休みで、後から聞いたらそこではイナゴを食べさせてくれるから、是非トライしたかった・・・というのです。それ以来イナゴを食べる状況にならないのですが、食わず嫌いでしょうけれど、わざわざチャレンジしたいとは思いませんけど~。 でも、パリパリして美味しいという話は何度か聞いたことがあります。 ネットでも佃煮の作り方とか紹介しているし、タイ料理でもイナゴを食べるみたい。
http://www.chinjuh.mydns.jp/hakubutu/kuirejo/inago_b.htm
そこで思いつきました!! アルゼンチンの人達は、駆除したイナゴを日本のように食べればいいんですよ。 (アルゼンチンの人達にそういう食文化があるか、分からないけど。)
日本でも、稲をイナゴが食い荒らすから、イナゴを取って食べちゃったわけですから・・・。 どうしても食べたくないなら、日本に輸出するというのはどうだろう? 小麦の輸出がダメなら、イナゴを輸出したらどうだろう!! フリアン・ドミンゲス農政・漁業大臣、私の意見、どう思います???

2009年12月4日金曜日

メッシ選手、バロン・ドール受賞、おめでとう!


アルゼンチン人、初の快挙!!

今年もサッカーファンにとって、アルゼンチン人のメッシ選手の活躍は、希望や勇気を私達に与えてくれたと思いますし、また、そのメッシ選手であっても、時には苦しい時を過ごさなくてはならないこともあるということを感じたと思います。 以前、私のブログでもメッシ選手の生い立ちについて、書いたことがあると思いますが、このアルゼンチンの若きサッカー選手は、幼少時代に成長ホルモンの難病を持ち、その難病に打ち勝つために、自らの手で(足でという方が正しい・・・)自分の医療費を稼ぎ出し(13歳でアルゼンチンからスペインのバルセロナに移住して、クラブ・チームに医療費を払ってもらった)病気を克服し、22歳の成人した今でも身長169cmと小柄なのに、世界で一番レベルの高いスペインのサッカーリーグの一番強いチームのキャプテンとして活躍しているのです。 世界のあらゆるところで、プロのサッカー選手を目指す子供が家に居るお宅では、もし子供が怠けたり、くじけそうになったら、メッシ選手の生い立ちを話すことでしょう。 そんなメッシ選手も、今年行われていた2010年ワールドカップの為の南米予選で、アルゼンチン代表としては得点をあげるとか、思うようなプレーができず、本人も悔しい思いをしたでしょうし、アルゼンチン国民からは批判を浴びてしまいました。 神様は、栄光と挫折を交互に用意しているのでしょうか? でも、神様は年末にメッシ選手にご褒美を授けることにしたようです。 12月1日に、バロン・ドールというサッカー選手にとって最も栄誉ある賞が、メッシ選手に贈られました。 アルゼンチンのサッカー選手として、バロン・ドールを受賞するのはメッシ選手が始めてだそうです。 
メッシ選手、心から、おめでとうございます!!
バロン・ドールがどういう賞なのかは、次のリンクをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB

で、歴代の受賞選手を見て、おや~と思った方、いませんか? そうそう、同じくアルゼンチンのあの偉大なるマラドーナ現代表監督はバロン・ドールを受賞したことがありません。(きっとノミネートさえもないでしょう。) 選手としては最高、監督としては最低と言われていますが・・・。 説明を見ると・・・、1995年までは、ヨーロッパの選手しかノミネートされなかったんですね。 (1995年以降はヨーロッパのクラブチームで活躍する選手全体がノミネート対象になりました。 日本人では中田選手や中村選手もノミネートされたことあるんですね!) マラドーナ監督が選手を引退したのは1997年だったようですが、1990年以降は問題が多くて、話題には事欠かなくても、あまり良い話題ではなかったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%8A

ところで、バロン・ドール(フランス語でバロンはボール、ドールは金色のという意味だから、金色のボール)の呪いという話があります。
http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20091201-571408.html
バロン・ドールを獲得した選手がいるチームは、その次の年のワールドカップで優勝できないし、その選手もワールドカップで活躍できないという逸話というかジンクス!
メッシ選手には、来年のワールドカップでも活躍してもらい、この呪いを是非とも払拭してもらいたい! ガンバレ、レオ~!!(メッシ選手の愛称はレオ)

2009年12月1日火曜日

ブエノス・アイレスのクリスマス


体験談、伺っちゃいました!

今年も今日から12月になっちゃいました。 2009年もあと1ヶ月で終わってしまうなんて・・・。 ところで、今年ってやたらクリスマスのイルミネーションが11月中旬ぐらいから輝いていて、綺麗で良いけれど、逆にもう年末だ・・・とあせってしまいます。 みなさん、12月の予定はどんな感じですか? 忙しいと思いますが、食べ過ぎ・飲み過ぎ、風邪に気をつけてください。 
で、今日は、ブエノス・アイレスのクリスマス・シーズンってどんななのかな~と思って、いつもタンゴ・ダンスでお世話になっている、タンゴ・レックス(ダンス・スタジオ
http://tangorex.com/)のアリサさんに、お話を伺いました。

確か、2005年の12月に、ブエノス・アイレスに行かれたと思うのですが、アルゼンチンのクリスマスの事を教えてください。
質問1: 東京から、ブエノス・アイレスまで、その時どこを経由して、何時間ぐらいかかりましたか?
アトランタ経由で行ったのですが、成田からアトランタ迄12,3時間、アトランタからブエノス・アイレス迄14,5時間の予定でしたがアトランタで7時間待ちだった為、仮眠を取っていたら…ナント飛行機に乗り遅れてしまいました(>_<) 航空会社には次の便は明日になると言われたのですが、泣いて頼み込み何とかチリ行きの便に乗せてもらい、チリからブエノス・アイレスに入りました。勿論ブエノス到着は予定より何時間も遅れてしまったので、花束を持って出迎えに来てくれていたリカルド先生のお友達には大変申し訳ない事をしてしまいました…。
ブエノス・アイレスまで、何とかもう少し飛行機が便利になって欲しいですよね。 でも、乗り遅れるって・・・凄い・・・。 
質問2: ブエノス・アイレスに到着して、まずどんな印象を受けましたか? ブエノス・アイレスに行ったのは初めてでしたか? 何日に到着したか覚えていますか?
まず印象を受けたのは、空の色でした!どんな色だったか思い出せないのですが、空港から外に出た時、まず「空の色が違う!」と思った事をハッキリ覚えています。 
ブエノス・アイレスに行ったのは初めてでしたが、何日にブエノスに到着したのかは忘れてしまいました。
質問3:12月のブエノス・アイレスは夏だと思いますが、何だかヘンな感じがしませんでしたか?

ハワイやマイアミで夏のクリスマスを体験していたので、特別変なカンジはしませんでした。
質問4:街中は東京と同じようなクリスマスの飾りとかイルミネーションでしたか? ちょっと日本とは違うな~と思ったことはありますか?
クリスマスの飾りやイルミネーションはあったと思うのですが、そんなに印象に残っていません。 印象に残っているのは、ノースリーブ&ミニスカートのセクシーなサンタガール(多分キャンペーンガール???)が空港や昼間の街中で良く見られた事です!
質問5:クリスマス・イブとクリスマス当日は、どんな風に過ごされたか、差し支えなければ教えてください。 プレゼント交換とかしましたか?

クリスマスイブの夜は、リカルド先生の従姉の家に親戚の方々が集まったのですが、レストランの様なテーブルセッティングとフルコースの豪華なクリスマスディナーでした!大袈裟なものではないプレゼント交換もありました。私は夜中の1時頃には先にホテルに帰ったのですが、25日の朝の8時迄パーティーが続いたそうです!  25日の夜は特別な事はせず普通に過ごしました。アルゼンチンで一番大事な日はクリスマスイブの夜で、クリスマス当日の過ごし方はそんなに気にしない様です。
日本もクリスマス・イブの方が大切ですよね。 でも私がフランスに居た時は25日の方が大事だったと思います。 国によって、やっぱり違うんですね。
質問6:クリスマスだからということで、特別なお食事をしましたか? 日本だったら、シャンパンを飲んだり、クリスマス・チキンやクリスマスケーキを食べたりしますが、アルゼンチンならでは・・・という食べ物とかありましたか?
前記した様にご自宅なのに豪華なフルコースメニューでしたが、テリーヌなどの前菜や大きなビーフをカットして頂きました!  デザートもケーキやジェラードなどたくさん頂きました♪

アルゼンチンのクリスマス・ディナー、美味しそうだけど、次の日動けなくなるくらい沢山飲んで食べるんでしょうね・・・。
質問7:以前スペイン語の先生に聞いたのですが、スペインでは1月6日のレジェス・マゴという日に子供はプレゼントをもらえるのだそうだと。 スペインでは、12月24日とか25日にサンタさんからプレゼントをいただき、さらに1月6日に親からプレゼントを貰えるらしいのですが、アルゼンチンでもそうなのかどうかご存知ですか? アルゼンチンにもサンタさんいますか? どんな格好していますか? (ちなみにフランスでは、レジェス・マゴの日は子供にプレゼントはないんだけど、ガレット・デ・ロワというお菓子を食べます。)
今年の1月のクルージングミロンガでレジェス・マゴにちなんでプレゼント交換をしましたよね!  リカルド先生のアイデアだったので、やはりアルゼンチンでも特別な日なのだと思います。  サンタさんは、前記しましたが、所謂日本で見られる様な白いヒゲの太ったオジさんのサンタさんではなく、セクシーなサンタガールでした♪
質問8:クリスマス・ミロンガなんてあるんですか?

あるのかもしれませんが…、私が行ったミロンガでは特にクリスマスをモチーフにしていたイベントなどはありませんでした。
質問9:当然、クリスマスということで、家族や友人が集まると思いますが、その時はタンゴとか踊りますか? それともフォルクローレとかを踊りますか? (集まる人、それぞれかもしれませんが?) どうやら、必ずコレを踊るらしい・・・とか歌うらしい・・・なんてありますか?
リカルド先生のファミリーも友人もタンゴを踊る人は皆無なので、全くそんな様子はありませんでした!(笑)  又、生粋のポルテーニョなので、フォルクローレも踊りません。でもリカルド先生のファミリーはスパニッシュファミリーなので、以前(リカルド先生が小さい頃)は良くファミリーが集まると皆でパソドブレを踊ったそうです!
質問10:皆さん教会とかに行っていましたか?

人それぞれだと思いますが、特に周りの人で教会に行っていた様子は見ませんでした。
質問11:コレはステキとかカワイイ!と思って買ったお土産ありますか?
バンドネオンの形をしたCDケースが可愛かったです!

質問12:これはアルゼンチン大使館のサイトで見たんですが、アルゼンチンの12月28日は正直者の日(Día del Innocente)という日らしく、でも日本でいうエイプリール・フールにあたる・・・と書いてありました。 何か、いたずらされたり、騙されたりしましたか?
私が旅行した時には、その日の存在は知りませんでしたが、全く影響はありませんでした。改めてリカルド先生に聞いたら、ジョークを言ったりする事はあるけれど、それほど皆が気にしている日ではないそうです。
質問12:最後に、今年は12月24日にアリサさんとアヤさんで、クリスマス・パーティーを企画なさっていらっしゃいますが、どんなパーティーを企画していますか?
http://tangorex.com/tangolounge.html
毎週木曜日にミロンガを開催しているのですが、今年はたまたま24日のクリスマスイブが木曜日なのでパーティーを企画しました!キャンドルをたくさん灯したりクリスマスデコレーションのいつもとは違う雰囲気にする予定です!  クリスマスフードやクリスマスケーキサービスやシャンパンサービスなどで、私達も仕事というより皆さんと一緒に楽しくクリスマスイブを過ごしたいなと思っています♪(笑)もしかしたらサプライズデモもあるかも(!?)しれません☆

沢山の質問に、全て丁寧にお答えいただき、ありがとうございました。 ブエノス・アイレスのクリスマスって、特に男性には楽しそうですね。 だって、サンタさんがセクシー・ガールだなんて!! それで、Tango Rexでは12月は、キャンペーン・イヴェントが盛りだくさんです。 私も出来る限りお邪魔して、皆さんと楽しい12月を過ごしたいと思います

2009年11月23日月曜日

タンゴ・セラピー なんてあります!!


どんなストレス解消法、知ってますか?

先日テレビの番組で、女優の“木の実ナナ”さんが、数年間うつ病で、その病気をどう克服なさったのかということを、体験談でやっていました。 おいくつになられても、いつもお元気で若々しく、笑顔がステキな女優さんだと思っていたので、そんな病気を抱えていらっしゃったなんて、チットも知りませんでした。(さすが女優!!) また、別の番組では・・・、都内で鍼灸師をなさっている方が、ストレスによる障害で悩む人があまりにも多いのを見て考え出した新しいご商売が、大変人気を呼んでいるといって、紹介していたのは・・・。 あるトラックの積荷部分を改造して、そこでストレスを発散したいお客さんに、お皿を割ってストレス解消をしてもらうというビジネスでした! やっぱり生真面目な私達日本人は(って、一応私も仲間に入れて?!)、ストレスをカラダに溜めやすく、そこから色んな病気になったりするのでしょうか? と思うのですが、ストレスは日本人に限った話ではなく、全世界的な問題です。 
そして、皆さんはストレスを感じた時、それをどうやって解消していますか? 私の場合は、家族や親しい友人と話しをすること、音楽を聞いたり、踊ったり、歌ったりすること、サッカーを観ることとか、香りのものが好きなので簡単なアロマテラピーをしたり・・・。ま、あとはガツガツ食べることです。もしかしたら、こうしてブログを書くのも一種のストレス解消法になっているかもしれません。 時にはショッピングも・・・。 きっと皆さんも時と場合によって、何種類かのストレス解消法を使い分けて、毎日を過ごされていると思います。 この世には、○○セラピーとか○○療法とかたくさんありますものね。
それで、以前こんな記事をネットで見かけました。
“世界に広がる「タンゴセラピー」、認知症治療にも活用”
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-11285620090901
アルゼンチン・タンゴが、認知症、アルツハイマー症、パーキンソン病などに効果を挙げているというのです。また、心理カウンセリングなどにも使われているようです。(日本の話ではありませんが・・・。)
http://allabout.co.jp/career/worldnews/closeup/CU20090911A/
何か、私としては少し意外な気がしましたが・・・! アルゼンチン・タンゴの音楽って、概してそんなに明るい音楽でもないし(明るいのもあるけど・・・)静かな音楽でもないし、歌の曲の内容は、ほとんど失恋とか人生に失敗しちゃったとか・・・。それに、踊りも結構難しいヨ。 なぜならペアー・ダンスだから、相手の人と一緒に歩調をあわせないとならないし、パターンが決まっていないから、結構気を使うのよ~。 もちろん、それだからこそ、相手の人と一緒に上手く踊れた時の快感はヒトシオなのでしょうが・・・。まー、そう言いながら、私ももう少しで5年近くアルゼンチン・タンゴのダンスを習い続けているのは、何か特別な魅力があるんでしょうね~。 そうだ、アルゼンチン・タンゴを一緒に習っている生徒さん同士で、“この前、こんなことをレッスンで習ったけど、あまりにも出来なくて、先生からこっぴどく注意された・・・”とかってグチっているのも結構楽しいかな。 えー、となると、私のタンゴ・セラピーは、ダメな自分をさらけ出して、グチること??? 何かチョット、いや、大部タンゴ・セラピーの本来の目的を脱線しているみたいです。 でも、木の実ナナさんも、病気のことを誰にも打ち明けられずにいたけれど、ある時メイクさんに勇気を出して病気の話をしてから、だんだん病気を克服していくことが出来たのだそうです。 だから、お話し相手って本当大事ですね。(でも、もしかして、本当に本当にアルゼンチン・タンゴがスゴーク上手に踊れたら、お話し相手さえも必要にならなくなるのでしょうか? ウーン、それには程遠い・・・。)

2009年11月11日水曜日

日本の地デジ仲間を増やせ(?)


皆さん、ご自宅の地デジ対策はお済でしょうか? 私は2年前に古いテレビが壊れたので、それを良い機会に地デジ対応のテレビを買いました。 確かにアナログで見る画像より地デジで見たほうが綺麗です。 
それで、今年、新聞で時々見かけた記事が、“南米に日本の地デジ拡大中”というものです。 日本の地デジ方式を南米で1番に決めたのがブラジル(2006年6月)で、すでに地デジ放送も始まっています。 2番目が今年の4月にペルーが仲間入りし、8月には3番目にアルゼンチンが採用決定して、続いて9月にチリが4番目の国に、10月にはベネズエラが5番目の採用国になりました。 そこでさっき急に思い立って、ヨーッシ、南米の日本化を応援したいものだと(?)、南米の地図を見て、オセロをするかのように、“まず、海沿いの国を押さえなきゃ~”とか、ヘンな知恵を絞り出し、ウルグアイはブラジルとアルゼンチンに囲まれた国だから・・・なんて意味不明の1人オセロを始めようとしましたが、ブブーッ! すでにウルグアイは2007年の9月には欧州式地デジの採用を決定していました。ガガーン!他にはコロンビアも2008年9月に欧州式地デジを決定していたようです。 ガックリ。(しかし、無知な私はやっとこの時点で、地デジには、日本式以外に欧州式とアメリカ式があることを知る!) それで、現在まだ決定していない国は、エクアドル、パラグアイ、ボリビアなんだそうです。(南米にはガイアナとかスリナムという国もありますが、かなり発展途上国で、テレビどころではないかもしれません。) とにかく残りの3カ国は、是非とも日本の地デジにして欲しいと思います。 
ところで、私がなぜ“あ~ぁ、何でコロンビアやウルグアイは日本式にしてくれなかったのよ~”と一人熱くなっているのか! だって、そもそもイロイロな国が日本式の地デジを採用してくれたからって、私の普段の生活に直接良いことがあるわけでもないじゃないですか。 日本式地デジ採用国に日本製のテレビが売れるというメリットは考えられますが、(テレビだけではなくて、ワンセグ携帯とかもらしい)私、メーカーさんに勤務しているわけじゃないし~。 
いやいや、これには深い、イエイエ、浅いワケがあるんですよ・・・。
実は9月にラテンビート映画祭に行った時、“世界のドラマを見るなら! Lala TVでアルゼンチン・ドラマ2作品 =フォーエヴァー☆ジュリア(Forever Julia)=、=華麗なるロペス夫妻(Los Exitosos Pells)=を11月に紹介”みたいな広告があって、スペイン語と英語のアルゼンチンで作られたパンフレットが置いてあったんです。 それで、我が家はスカパーが見れるので、11月になってからLala TVとさっそく有料視聴契約を結んだんです。 アルゼンチンのドラマなんて初めて見るぞ~と、ドキドキしながらLala TVのホーム・ページで番組の放送時間をチェックしようとしたら・・・。 アレー、違うの~。

http://www.lala.tv/love/world2/index.html
何が違うかって言ったら、このアルゼンチンの2作品を含む4作品の中から、視聴者がどの番組を見たいかネット投票して、1番になった番組を来年の1月から見ることが出来るという仕組みだったらしいんです。 そ、そんな話、詳しく書いてなかったよ・・・。とガッカリしているんです。 (現在、フランスのドラマがダントツで1位です。)地デジの話に戻ると、これも浅はかな私は、というか、自分の都合の良いように誇大妄想していた私は、日本式地デジを採用している国同士のテレビ番組は将来的に見れるようになるんじゃないかと思ったんです!!!
例えば10番代はブラジルの番組が、11なんてリモコンを押すと、ブラジル国営放送が見れるとか、20番代はペルーの番組、30番代はアルゼンチンの番組が・・・、35番あたりでマラドーナの番組が見れたりして・・・、40番代はチリ、そして50番代はベネズエラで、51と押すと毎日のようにチャベス大統領の強面が現れる・・・みたいな・・・。 皆さんさぞかし私のことをバカになさるかもしれませんが、遠い(あるいは近い)将来、そんなこと、あるかもしれませんよ! だって人間のテクノロジーの進化って凄いもん。そして、もし日本で南米のテレビがそんなに手軽に見れるようになったら、世の中イロイロ変わります。 中学校では、英語以外にスペイン語あるいはポルトガル語を勉強することになるかもしれません。 ハリウッド・スター並に、南米のスターがメジャーになります。  南米の料理番組とかも見れるから、餃子を作る代わりにエンパナーダがご家庭の食卓を飾るかもしれません。 ね~(?????)
http://saranwrap.net/gnks15/pub/sheet.php?id=344
とはいえ、当面アルゼンチンの番組は日本では殆ど見れません。 せめて、Lala TVでアルゼンチンのドラマが見れるよう、上記のリンクをクリックして、みなさんもアルゼンチン・ドラマに投票してください。 あなたの清き1票、お願いいたします!!

2009年11月6日金曜日

チャリティー・タンゴ・パーティー


楽しい思い出 + お役に立てれば 一挙両得

11月3日(火)は文化の日で祝日でした。 ここのところ、月曜日が祝日になって連休が続くことが多かったので、11月3日は火曜日がお休みなのが、なんだか少し意外な気がしていました。 この日、私がどこでウロウロしていたかというと・・・、チャリティー・タンゴ・パーティーというイヴェントに行ってきました。
このイヴェントは、東京に在住のアルゼンチン人のタンゴ講師の先生方が発起人となって、チャリティー・パーティーを開催して、その売上を(経費を差し引き)ブエノスアイレスの小児病院に寄付しようという催しでした。 パーティーは、国立競技場の向いの神宮外苑フィットネスクラブ・サマディという所で開催されたのですが、ここは1階がアイス・スケートリンクになっていて、2階がフィットネス・クラブになっています。 確かここで主催者のお一人のビクトル・ヒメネス先生がクラスを持ってレッスンをなさっている関係もあって、この場所を借りたんでしょう。 未来の荒川静香さん、浅田真央ちゃん、織田信成さんか、はたまた高橋大輔選手を目指して練習している方々(?!)の熱心な練習風景を1階に見つつ、2階の会場でアルゼンチンタンゴを楽しんでおりました。 最初の2時間ぐらいは、アルゼンチンタンゴの音楽が流れて、みんなが誘い合って踊っていたわけですが、しばらくしたらアルゼンチン大使ご夫妻がお見えになりました。 そして主催者のアルゼンチン人の先生方が集合しだして、何だかゴチャゴチャやりだしました。 どうやら、デモンストレーションを始めたかったが、デモ用の曲がうまく用意できず・・・。
そこで急遽、デモは後回しにして、リカルド・セルケイロ先生の挨拶が始まり、チャリティー・イヴェントの主旨・目的と方法が語られました。 リカルド先生は約3年前に、寄付をしようとしているブエノス・アイレスの小児病院を訪ねたことがあるそうです。この病院はアルゼンチンで一番大きな小児病院であり、かつお金がなければ診察は無料で受けられるのだそうです。 ということで、ブエノス・アイレス在住の方だけではなくて、アルゼンチン全土から病気の子供を抱える親達が、飲まず食わずの状態でこの病院を訪れるのだそうです。私は、人生で今まで一度も食べ物に困ったことがないので、こういう話を聞くと、想像がつかないし、心がチクンとします。 また、これはイヴェントの帰りに、事情にお詳しい方から伺った話なんですが、この病院が今必要としているもののうちの1つは、自家発電の装置なんだそうです。 どういう理由かわかりませんが、病院は時々停電をしてしまうことがあるそうなんです。 この病院には色々な種類の病気の子供が治療を受けていて、手術もしなくてはならないし、透析を受けなくてはならない子供もいるのに、停電してしまったら・・・大変・・・ということで、自家発電の装置を買いたいけれど、お金がそこまでまわらないのだそうです。 日本も不況ですが、アルゼンチンの不況も深刻で(2001年の時ほどではないでしょうが・・・。)今まで病院に寄付をしてくれていた国内の人や企業も今まで通りの寄付が出来るほど余裕がなくなってきてしまったようなのです。
今回のチャリティー・イヴェントの売上は、近いうちにアルゼンチンに一時帰国する先生が直接お金をアルゼンチンに持ち帰り、病院に赴き、渡されるそうです。 その時、みんなのお金がちゃんと病院に渡ったかどうか、写真もとってくれて、公開してくれるのだそうです。 ところで、今回のチャリティー・イヴェントを企画するにあたって、アルゼンチンのダンサー、講師の方々は、アルゼンチン・タンゴ・アソシエーションという協会を組織したようです。近々HPも出来るようなので、そこで写真などが公開されることでしょう。 と、挨拶が終わったところで、お待たせしましたとばかり、7組のアルゼンチン・タンゴ・ダンサーのデモンストレーションが始まりました。 7組もの先生達のダンスを一同に見るという機会はなかなかないので、楽しかったです。 細かいステップが得意なペアー、大胆な足技が魅力なペアー、アクロバティックなリフティングを披露してくれたペアーなどなど、それぞれが自分達の持ち味を出したステキなデモンストレーションでした。 前日トレーニング中に脚を怪我してしまったというイヴァーナ先生も、すごいプロ根性で、怪我を全く感じさせない笑顔でエレガントかつチャーミングな踊りを見せてくれました。 そして、その後には駐日アルゼンチン大使からねぎらいとイヴェントに来場した私達への感謝のお言葉がありました。 で、最後はシャンパンを皆で飲んで、写真撮影をしたりして、大盛況のうちにパーティーは終了しました。 ということで、11月3日(祝日)の午後のひと時は、とても良い一日になりました。 私は踊って楽しみ、みんなとオシャベリして楽しみ、ステキな踊りを鑑賞して楽しみました。 こんなに楽しんで、そして入場料の4000円の一部が素晴らしい目的の為に使われるなんて、良いこと尽くめでした。
それに、このチャリティーを企画したアルゼンチンタンゴの先生方、当日はみなさん何だかやたら楽しそう嬉しそうでした。 みなさん、遠い祖国の為に、志を同じくする同志として心を一致団結させ、清清しい気持ちだったのでしょうか。

2009年11月2日月曜日

私の携帯電話のリチウム電池は?


 チリ産、オーストラリア産、それともアルゼンチン産??

近頃スーパーの、特にお魚売り場に行くと、“ウワーっ、このマグロってイタリア産で、こっちのはオーストラリア産。 エっ、このサーモンはチリ産、こちらのエビはインドネシア産、あっちのイカはモロッコ産・・・。”と、あまりにもインターナショナルなんでビックリします。 私たちの食卓に、世界のあらゆる国々の産物が並び、それを毎日美味しく頂いているんですね。(欧米か・・、だけじゃなくて、本当にグローバル化!) もし、日本が江戸時代に戻っちゃって(あり得ないけど)鎖国したら、きっと私達は1日として生きていけないんでしょうね。私たち日本人は、色んなものを輸入して、色んなものを輸出して、豊かに暮らしているわけです。
それで、昨日日曜日(11月1日)の朝日新聞を読んでいて、目に留まった記事があります。
記事の見出しは、“南米リチウム争奪戦 塩湖の底に世界の8割”というものです。
http://www.asahi.com/business/update/1101/TKY200911010080.html
パソコンや携帯電話に使われている充電式のリチウム電池の原料のリチウムは、現在世界の5割が南米産なんだそうです。現在リチウムの生産国の上位は1位がチリ、2位がオーストラリアで3位はアルゼンチン。 今後は電気自動車などにもリチウム電池が活用されるので、2020年には現在の5倍の量が必要になる見込みだそうです。 
世界のリチウム電池の約半分は日本が生産をしているそうで、つまりは日本にはリチウムがないから、日本はチリ、オーストラリア、はたまたアルゼンチンなどの国からリチウムを輸入してリチウム電池を作って、それで国内で使ったり、海外に輸出しています。 これからも日本がリチウム電池を生産し続けるためには、リチウム生産国と仲良くして原料を売ってもらわないとなりません。 記事によると、今日本が目をつけているのが、チリやアルゼンチンに隣接しているボリビアのウユニ塩湖というところから採れるであろうリチウムをボリビアと共同開発しようとしているんだけど、ボリビア側が難色を示しているようなんです・・・。 あ~、資源がある国っていいな~。 逆に資源のない日本は、いろんな国と仲良く付き合わないと、“日本には○○はもう売ってあげないヨ”と言われちゃうんですね。 だから、日本は頭を使って、“日本にはこんなに良い技術があるんですよ・・・”とちらつかせながら、八方美人に振舞わなくては。 
日本のあるべき姿、それは八方美人???
そして、私の携帯電話のリチウム電池の原料はドコ産なんだろう??
自分が使っているものとか食べているもの、コレってドコ産なのかイチイチ調べたら、相当色んな国が出てきそうですね。 私が毎日お世話になっている携帯電話の一部はボリビアの産物なんだ・・・なんて思うと、急にその国が身近なような気がしてきませんか?でも~、出来れば私のヤツはアルゼンチン産だったらいいな~。

2009年10月20日火曜日

メルセデス・ソーサさんの訃報


あなたの歌声は永遠なり

今月10月4日のことになりますが、アルゼンチンのフォルクローレ歌手のメルセデス・ソーサさんが74歳で天に召されました。 遅くなってしまいましたが、天国で安らかに過ごされますよう、ご冥福お祈りいたします。
http://www.latina.co.jp/topics/topics_disp.php?code=Topics-20091005160103
フォルクローレのことは、殆ど無知な私ですが、メルセデス・ソーサさんのお名前と名曲の“Gracias a la vida”(人生よありがとう)ぐらいは知っていました。 この曲の日本語訳が付いた映像があったので、まずは聴いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=0jTBTe19TGc
曲も素晴らしいし、メルセデスさんの力強く奥深く優しい歌声に心を打たれますね。(思わず涙)
アルゼンチン人にとってのメルセデス・ソーサさんは、日本人にとっての美空ひばりさんのような存在でしょうか(何でも無理やり当てはめるのもヘンでしょうか・・・)? メルセデスさんの場合は、アルゼンチンのみならず、南米をはじめ、世界的にも有名だったようですが。 コロンビアの歌手のシャキーラをはじめ、南米の若手歌手との競演も多かったようで、皆から尊敬される偉大な歌手だったんですね。 頷けます。
それにしても、凄い。 お通夜はアルゼンチンの国会議事堂で行われ、10月5日には国葬で葬儀が行われたそうです。 ただ、その一生はご苦労も多く、特にアルゼンチンが軍事政権だった時にはフランスやスペインでの亡命生活を余儀なくされたそうです。 それぐらい、ご自分の意志が強く、周囲への影響力も大きい方だったのでしょう。

ところで、そのメルセデスさんと競演することが出来た日本人歌手がいます。 
それは、タンゴ歌手の冴木杏奈さんです。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/music/news/20090528et04.htm
折りしも冴木杏奈さんのコンサートが東京の渋谷のBunkamuraで10月26日、27日にあるようです。
http://www.annasaeki.com/actujp.html
コンサートに是非行きたいけれど、今回は行けそうにありません。 残念。
私、冴木杏奈さんのコンサートに一度も行ったことがないので、さっきYou tubeでチェックしました。 ちょっと聴いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=GsgLIptfsK0&feature=related
歌は、タンゴの名曲“カミニート”です。 日本語で歌うと、カミニートはこんな歌になるんですね!  また、タンゴを着物をきて歌うとこんな風になるんだ・・・!! そして、いくらスペイン語でカミニートを歌っていても、着物のせいか、冴木さんの振りが演歌の“都はるみ”さんのように見えるんですが・・・!!! イロイロと興味深い映像でした。

2009年10月15日木曜日

やった~!!


2010年サッカーワールドカップ、南米予選最終戦

現地時間10月14日(水)に、来年南アフリカで開催されるサッカー・ワールドカップへの南米代表、最後の参加国の権利を争って、現在順位が4位のアルゼンチンと5位のウルグアイが図らずも直接対決をしました。 南米予選で上位4位までの国は、ワールドカップに行けて、5位の国は北中米予選で5位の国とプレーオフを戦い勝った方が来年の出場国になります。
試合は、ウルグアイの首都モンテヴィデオの“エスタディオ・センテナリオ”で開催されたのですが、まず試合の前の両国の国歌が流れる場面で、アルゼンチン国歌はウルグアイの観客の凄いブーイングで最初は殆どかき消されていました。 試合が始まり、“最初は両者とも慎重な出だしで・・・”なんてことはもちろんありません!! 始めからガチンコ勝負でパスがスムースに繋がる場面などほとんどありませんでした。 前半10分以内にアルゼンチンのエインセ選手(確か左サイドバック)はイエローカードをいきなりもらっていました。ボールを持っている選手に対して、もちろん相手のチームの選手は足を出しボールを取りに行っていましたが、主審が笛を吹いた後も、チョット腕で押したり、わざとじゃないふりしてわざと脚を引っ掛けたり、ボールがないところでも選手はポジション取りで相当やりあっていました。審判はパラグアイのベテランの方だったそうですが、こんな試合で審判をするのって、大変でしょうね~。 若い選手達はほとんど命懸けで頑張っていますし・・・。 後半に入ると、ガチンコ勝負に変わりはないにしても、両者ゴール近くにまで行ける回数が増えてきました。 両者一歩も引かない状態で、試合時間は80分まで来ました。 ここで、アルゼンチンの選手がサイドをドリブルで抜けていこうとした時、ウルグアイのマルティン・カサレス選手が思わず反則。 とても悪意があるようなファールには見えませんでしたが、ファールはファール! 自分でも“アッ!やっちゃった!!”と思ったのか、ユニフォームで顔を覆ってしまいました。 私はアルゼンチンを応援していましたが、この時ばかりはチョット可哀相だと思っちゃいました。 だって・・・、マルティン・カサレス選手は、普段はイタリアのユヴェントス、そうです、私が応援しているチームの選手だし、それにこの試合の前半からカサレス選手は相当アルゼンチンの選手達から引っ張られて、ユニフォームの腕の部分が千切れていたんです・・・。 で、このファールによって、カサレス選手は2枚目のイエローカードで退場、フリーキックを得たアルゼンチンがその好機を活かしてボラッティ選手のゴールで1点を入れて、そのまま逃げ切り、試合はアルゼンチンの勝利に終わりました。 ということで、来年のワールドカップにアルゼンチンは出場が決まりました。 おめでとうございます!!!

ところで、サッカーのワールドカップが始まったのは1930年で、第一回開催国はウルグアイで、そしてその第一回目の優勝国もウルグアイなのだそうです。 今回試合をした、スタジオ、”Estadio Centenario”はウルグアイの建国100周年を記念して造られたのだそうでが、(Centenarioはスペイン語100周年という意味だそうです。 つまりは”100周年スタジオ”) その1930年にエスタディオ・センテナリオで行われた決勝戦も、ウルグアイ対アルゼンチンだったそうです。 またこの両者の試合のことを、ラプラタ・ダービーとも言うようです。 なぜならこの両国は、ラプラタ河を国境線にしているようなものだから・・・。 来年でサッカーワールドカップの歴史は80年を迎えるわけですが、その中で日本が登場するのは、ここ十数年なんですね・・・。 アルゼンチンやウルグアイのサッカーファンにしてみたら、日本はまだまだヒヨッコみたいなもんかもしれませんね~。

2009年10月13日火曜日

アルゼンチンに2つの良い知らせ


① 2010年、南アフリカでのサッカー、ワールドカップに向けての予選も、残すところ1試合になりました。 10月10日に行われた試合でアルゼンチンはかろうじてペルーに勝利し、あとは今週水曜日(日本時間は木曜日)のウルグアイとの直接対決を待つのみとなりました。 それにしてもペルー戦は、ハラハラ・ドキドキの試合展開でした。 アルゼンチンは、あんなにスター選手が沢山いるチームなのに、それともスター選手ばかりだからなのか・・・。 前半、代表には2-3年ぶりで召集を受けたアイマール選手とメッシ選手のパス交換はスムースでしたが、他の選手とは、いざゴール前のペナルティーエリアでは、あと一歩のところで噛み合っていませんでした。 そこで、マラドーナ監督は、後半にベテランのボカジュニアースのパレルモ選手(フォワード)を入れ、後半早々に1点を取ることができました。 (後半に私もパレルモ選手を入れるべきだと思っていたんです。 解説者の方は、テベス選手を候補にあげていましたが・・・。後で、私って結構監督の才能あるかも~とテレビの前でニンマリ)ところが、後半35分過ぎに凄い雨と風が吹き荒れ、ピッチは大荒れで、どんなアクシデントがあってもおかしくない状態になっていましたが、その予想が的中して、試合終了間際の90分にペルーがアルゼンチンの一瞬の隙をついて、ゴール!! もはやこれまでかと思いきや、試合は続き、そして最後まで諦めなかったアルゼンチン・チームはロスタイムに入った93分にパレルモ選手の劇的ゴールで勝利を収めました。 この劇的なゴールに喜んだマラドーナ監督は、土砂降りの雨の中をヘッドスライディングとうかダイブ!! 私にはアシカかトドにしか見えなかったけど、そりゃ嬉しかったんでしょうね~。 後は泣いても笑っても1試合、それも南米4位に浮上したアルゼンチンと5位になったウルグアイとの直接対決。 手に汗を握って試合を観たいものです。 (何か、実はワールドカップの本選よりも南米予選の方がスリルがあるかも~!)

② で、今週木曜日にはサッカーでは敵同士として戦うアルゼンチンとウルグアイですが、両国揃って仲良く受けたグッド・ニュースがあります。 それは、今年の9月30日にユネスコ(国連教育科学文化機関)がアルゼンチン・タンゴをウルグアイとアルゼンチン両国の無形文化財に指定したんです。 
http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100101000208.html
ところで知っていましたか?! 日本って無形文化遺産が4つもあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%8C%96%E9%81%BA%E7%94%A3#.E4.B8.80.E8.A6.A7.E8.A1.A8.E3.81.AE.E7.A8.AE.E9.A1.9E
能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎と京都の祇園祭が指定されています。知らなかった~。 って、私はもっと日本の事を勉強すべきですね!!

2009年10月5日月曜日

アルゼンチンから直輸入の靴とアクセサリー


Madre Perla (マードレ・ペルラ)さんのイヴェント
本日10月4日(日)はお散歩日和の気持ちの良い1日でしたね。 私は目黒川沿いのKoop Caféというカフェで、アルゼンチンから靴とアクセサリーを直輸入しているMadre Perlaというインターネット・ショップのイヴェント(販売会)があるというので、お散歩をしながら行ってきました。
Madre Perlaさんは、アルゼンチンに留学していた若い2人の女性が去年の10月に始めたインターネット・ショップで、通常はネットを通して商品を買うことが出来るのですが、時々こうして都内でイヴェントを開催して、実際に商品を手にとって見れる機会を設けていらっしゃいます。 
http://madreperla.web.fc2.com/shop/shop.htm
私がKoop Caféに到着すると、お店の中には20歳代と思われるおしゃれなお嬢さん達がたくさんいらして、入るのに気後れしていたら、Madre Perlaの店長さんというか社長さんのお2人が優しく商品の説明をしてくれたり、お話をしてくださいました。 
店内にはとてもカラフルで独創的なデザインのお靴が並んでいました。 さすが、アルゼンチン・タンゴのシューズを作る国のお靴だけあって、カラフルで女性の足を綺麗に見せるデザインが、それも上質な革で作られています。(上質だかどうか、私には本当は良く分からないけど、靴を試した時に革が程よく軟らかかったから・・・。)お靴のある型は(2-3種類)、オーダーメイドも受け付けてもらえます。 オーダーメイドの意味は、指定されている型の靴を、皮の色見本を見て、その中かから自分の気に入った素材と色を選んで作ってもらえるんです。(自分の足型をとって木型を作って作成するけではないので、そこはご注意!)
でも、そんなセミ・オーダーメイドのお靴でも24,000円で買えます。 ただし、お靴の出来上がりは2~3ヶ月は覚悟しなくてはなりません。 アルゼンチンサイドは“1ヶ月でOKよ“と言っているようなんですが、実際、今回も新型インフルエンザで工場がお休みになったり、夏休み(イヤ、冬休み?)が重なったりで、予定よりも入荷が遅れたそうです!!(やっぱり・・・。)
アクセサリーはルハン大聖堂のマリア様や十字架のペンダントヘッドのネックレスとかが、ネットで大人気なんだそうです。 私は誘惑に負けて、お靴を2足も買い、お財布の中身を全部出してしまったので、アクセサリーまで買えませんでした。 現金のみのお取扱いで、ある意味良かった・・・。
その他、お財布とかカード入れなどの革小物もありました。 お手頃で、そちらもナイスでしたよ。 
今後はもっとお洋服とかの輸入も考えているのか伺いましたが、とにかくお2人とも靴が大好きなので、靴を中心にじっくりとお仕事を進めていかれるそうです。 でも、バックとかも今後は可能性があるようです。 何せ、2人が代わる代わる現地に赴いて買い付けをしたり、工場の人と直接交渉をなさっているのだそうです。 羨ましい! 私もアルゼンチン人と直接交渉が出来るぐらいスペイン語が上手になりたい!!
そうそう、お2人には本当はイロイロもっと聞きたいことがあったのですが、お客様もいらっしゃって、私ばかり長居して、お仕事のお邪魔をしてはいけないと思って、帰ってきました。 でも、これだけは聞いておけばよかった。 
なんで名前が“Madre Perla”?
直訳すると、“真珠の母”? つまりは“阿古屋貝”とか?? 
Madre PerlaのHPのアドレスは次の通りです。
http://madre-perla.net/
アルゼンチンの写真とかも綺麗なので、チェックしてみてください。

2009年9月29日火曜日

失言・・・


友愛精神があれば

先週末、日本の新首相である鳩山首相のアメリカでの初外交は、ご本人の英語力も手伝って、なかなか国内でも海外でも好印象だったと思います。 “友愛”をもって世界の国々と友好関係を築いて行きたいという演説も良かったと思いませんか? 国内では、建設途中にあるダム建設の中止問題、JALの再建問題、新しい年金制度への準備とか、次から次へと問題が勃発し、テレビでも政治家の方々が熱い議論を闘わせる番組が沢山あって、それを見ては、これから私達の生活はどうなっていくのか、考えさせられます。 ところで、私が思うに、今まで新しい政権が発足すると、その中の大臣のスキャンダルが発覚して、その話題で結構ニュース番組の時間を割いていたように思いますが、新しい政権大臣達は、今のところ大丈夫みたいですね。 新政権は始まったばかりですが、“その発言はあまりにも心無い失言!”と思う発言もないように思います。
失言といえば・・・、スキャンダルにことかかないイタリアのベルルスコーニ首相。 ベルルスコーニ首相は、イタリアのサッカー・チームの“ACミラン”のクラブチームのオーナーでもあるので、イタリアのサッカーの試合をテレビで観ているとよく見かけます。
こういうところでも、イタリアってつくづく日本とは違うな~と感じます。 日本の首相が、野球のプロチームのオーナーだとかってチョット考えられないと思いませんか?
そのベルルスコーニ首相の最新の失言は、“オバマ大統領夫人は日焼けしている”と言ったことです。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/italy/
それも、ベルルスコーニ首相は去年2008年の11月に、すでに“オバマ首相は若くて、よく日焼けしていてハンサムだ”と発言したことで、相当バッシングを受けたはずなのに、またもや懲りずにこんな発言をしてしまいました。
http://www.afpbb.com/article/politics/2536073/3502029
ただ、イタリアって日焼けしている人が好まれるお国柄なので、(たぶん日本のように美白化粧品は売れてなくて、日焼け用の化粧品が大事です。)悪意があっての発言ではないかもしれませんが、ほめたい気持ちがあるなら言う必要がないし、それがユーモアだと思っているなら、とんだ的外れな人ですね・・・。
ベルルスコーニ首相のそれ以外の失言、スキャンダルは沢山あるので、興味があれば、ネットでニュース検索してください。 沢山ある失言・スキャンダルからもう一つ注目したいのが、今年の2月のアルゼンチンに対する失言! 
http://www.afpbb.com/article/politics/2572958/3823102
アルゼンチンが軍事独裁政権だった時の(1976-1983)政治犯が3万人行方不明になっている話を受けて・・・ということですが。 アルゼンチンとイタリアの両国は、イタリアから多くの移民がアルゼンチンに渡ったということで、深い関係にあるのでしょう。 両国間の詳しい歴史が解らないから、何を踏まえて、何の目的でこんな発言になるのか、良く理解できませんが、誰が聞いても気持ちの良い発言ではないのは確かですよね。 失言って一番その人の人となりが判りますよね。  鳩山首相にウッカリ発言があったとしても、なんとなく友愛精神が感じられるような言葉であって欲しいものです。

2009年9月24日木曜日

シルバー・ウィーク


ラテン・ビート映画祭

シルバー・ウィークは皆様にとってどんなお休みだったでしょうか? 私はズーット東京に居ました。 一番の出来事といえば、とても仲良しの友人が海外転勤するので、送別会をしたことです。 送別会って、しょっちゅう会えない友達とかにも会えて、その会の最中はとても楽しいのですが、そろそろお開きになると、“皆さん是非パリに遊びに来てくださいね~”とか、“必ずメールするね・・・”と、お決まりの会話が始まって・・・、写真なんかも撮ったりして・・・、寂しい気持ちになります。 しかし、今回の場合、希望した海外転勤が叶ったのだから、私は心から彼女の栄転を喜ばねば!! 

バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ!!! 
(最近、バンザイ三唱する人、見かけなくなりましたね。)

それで、シルバー・ウィークの最後の日の締めくくりとして、新宿で今日まで開催されていた、第六回ラテン・ビート映画祭に行ってきました。 日本でもっとスペイン語圏の映画に親しんでもらいたいと始まったこの映画祭ですが、今年ですでに6回目を迎えたんですね。 毎年9月に開催されるから、覚えておかなきゃ・・・。 
http://www.hispanicbeatfilmfestival.com/jp09/la_buena_vida.html
それで私が今日観た映画は、邦題が“サンティアゴの光”(原題:La Buena vida 直訳したら、“良い人生(生活)”)というチリ/ アルゼンチン/ スペイン/ フランスの合作映画でしたが、話の内容は、チリの首都サンティアゴに住む現代の一般的な人々の満たされない生活を描いた話でした。 まるでドキュメンタリーのようなよくある日常が描かれていました。私にとっては、特に心に響くような話の内容ではありませんでしたし、映像も特徴的なものを感じませんでしたが、普段あまり知ることのないチリの都会の人々の抱える問題を垣間見た気がします。 また、チリという国は現代にあっても、かなり男性上位な社会なのだと感じました。
期間中は、他にもアルゼンチンの作品は2作品上映されていたようですが、全て他国との合作作品でした。 その中で邦題“檻の中”(原題:Leonera)という作品は、アルゼンチン/韓国/ブラジルの3カ国の合作作品だとパンフレットに記載されています。 アルゼンチンと韓国が合作映画を作ったなんて・・・。 (ヌヌ、何だかジェラシー・・・)日本の監督、あるいは映画製作会社の方、いつかアルゼンチンとの合作作品を実現させて欲しいものです。

2009年9月19日土曜日

重大ニュース?!


先月8月に違法薬物の所持使用ということで逮捕されていた有名芸能人が、ここのところ保釈されて、そのニュースはワイドショーのみならず、ニュース番組でもその日一番の重大ニュースのように扱われました。 確かに薬物の所持使用はいけないことなんだということを警鐘し、そういったものがどのように入手さたか調査して、その入手ルートを絶たなくてはいけないとうことは、大切な事だと思いますが・・・。 でも、初めて民主党が政権をとって、新鳩山内閣が発足したことの方が、日本国民全員にとって大事なことと思うんです。 例えば、新しく厚生労働省の大臣に選任された長妻大臣が、どういう発言をしてどういう政策をしていくかによって、私達の将来の年金の行方も左右されるんではないかと思うのです。金融・郵政担当相になった亀井大臣は郵政民営化には反対していたので、一度民営化した郵便局を国営化に戻したいのでしょうか? 私達の税金が、よりよい使い道に使われることを願いましょう。 と、チョット優等生風なコメントをしましたが、やっぱり有名芸能人の薬物使用のニュースがテレビで流れていると、何となくそのニュースに見入ってしまいます。 それにしても、保釈金って随分と高額なんですね!! 夫婦共々逮捕された家計の保釈金は500万円 x 2で1,000万円です!! 別に高額だからもっと安くしてあげれば・・・と思っているわけではありませんよ。 単に金額に驚いただけです。

そういえば、やはり先月のニュースなんですが、アルゼンチンでは8月25日に最高裁で“マリファナ所持は、個人使用目的の少量であれば、合法である。”という可決がなされたそうです!!
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090826/amr0908261145008-n1.htm
“エーッ! いいんですか?”と個人的にはビックリしますけど・・・。 私は、薬物の違法か合法かの問題って、全世界で大筋同じ法律にした方がいいと思うんですよね。 

ところで、今急に思い出した話があります。 アルゼンチン・タンゴの名曲である”Los mareados (ロス・マレアードス)“<酔いどれたち>の話です。 まずは、曲を聴いてみましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=m6Nfo4DfRgY
ここで歌っているのは、Juan Carlos Baglietto(ファン・カルロス・バリエット)というアルゼンチンの有名ロック歌手で、ピアノを弾いているのがLito Vitale(リト・ヴィターレ)という有名ピアニスト兼作曲家(日本でいうなら、坂本龍一さんみたいな方)です。 単にこの2人が好きだから、この映像を選びましたが、アルゼンチン・タンゴの大御所に登場してもらうとしたら・・・こちらの映像がいいかな。
http://www.youtube.com/watch?v=FYuMj1szqUE
この曲が”Los mareados (ロス・マレアードス)“という名前で知られるようになったのは、1942年6月15日にアンニバル・トロイロ楽団と歌手のフランシスコ・フィオレンティーノによってレコードに録音されて以来のことなんだそうです。 実はこの曲、1922年にファン・カルロス・コビアンというピアニスト兼指揮者によって、あるお芝居の為に作曲されました。その芝居の名前が”Los dopados(ロス・ドパードス)”<麻薬中毒者>でした。そして、この芝居の名前と同じ名前がこの曲にもつけられました。 歌詞もこの芝居の脚本家であったラウール・ドブラスとアルベルト・ウェイスバックが、人生の苦しみを麻薬で紛らわすキャバレーで働く女性に歌いかけるという内容で作ったそうです。 しかし、芝居も曲もあまり売れませんでした。 もちろん、当時のアルゼンチン政府としても、この芝居の内容を決して良しとしていなかったし、ここでいう薬物はコカイン・ヘロインの類で、当時から禁止薬物だったそうです。 で、1940年代初めに、アンニバル・トロイロが偶然この曲を耳にして(たぶん歌詞なしで)、自分もこの曲を演奏したいといって、エンリケ・カディカモに歌詞を依頼し、それで新しい歌詞がつき、曲の名前も変わっちゃったんです。
ちなみに、”Los mareados (ロス・マレアードス)“の歌詞の訳は次の通りです。(数名の方が日本語訳をしていますが、次のSayakaさんのが一番私は好きだから)
http://www.sayaca.com.ar/test.php#mareados
”Los dopados(ロス・ドパードス)”の方の歌詞の内容も少し気になるところですが、見つけられませんでした・・・。

2009年9月16日水曜日

デル・ポトロ選手 優勝 おめでとう! (全米オープンテニス)

                    アルゼンチンに良い知らせ!! 

アルゼンチンの20歳のファン・マルティン・デル・ポトロ選手が全米オープンテニスで大会6連覇に挑んだ王者ロジャー・フェデラー選手に勝って、初優勝しました。 
凄い凄い、おめでとうございます。 これでアルゼンチンに久々にGood Newsが訪れました。 

(私たち日本人には、ICHIRO選手のGood Newsがありましたね!)

我が家ではWOWOWで全米オープンの試合が観れるので、約4時間の激闘を手に汗を握りながら観ました。第一セットのファーストサーブで10回以上デゥースを繰り返してブレイクされると、このセットはフェデラー選手に一方的に主導権を握られ、コートを右に左に前に後ろに、大人と子供のようにやられていました。 第二セットも最初はそんな状態でしたが、徐々に長いラリーで丁寧にボールを返して自分のペースを見出すようになりました。 そしてタイブレークの末、第二セットをとり、それからは試合は互角に進みました。 確かにロジャー・フェデラー選手はファースト・サーブが入らなかったけど、それ以外は百戦錬磨の経験も手伝って、王者らしいプレーをしました。 それに対して、デル・ポトロ選手は始めての4大大会の決勝戦ということもあり、緊張したり、開き直ったり、丁寧にやろうと試みたり、一発かけに出たり、20歳の若者が必死にもがいて頑張って、そして最後に勝利しました。 素晴らしい試合でした。 
ところで、試合が終わった後のテニス選手のインタビューは、大概いつもとても清々しく、心を打たれます。  
http://www.wowow.co.jp/tennis/interview.html
そして、ロジャー・フェデラー選手は、たとえ負けても王者の風格がコメントににじみ出ていると思いませんか! 
(日本の元首相の方々にも見習っていただきたい・・・。)

勝ったデル・ポトロ選手ですが、背の高さが198cmもあります。 ロジャー・フェデラー選手だって180cmもあるのに、今日は小さく見えました。 これだけ大きい人は、概して動きが緩慢になりがちだから、テニスではかえって不利なのではと思いましたが、華麗なステップ(?)でボールに追いついていました。 でも、準決勝の時のインタビューで“タンゴを踊りますか?”という質問には“踊りません。テニスしかしません”と答えていました。(これで、もし彼が“時々踊りに行きます”と答えていたら、私、きっと明日から毎日タンゴレッスンに行くでしょうね。) で、自分の周りにこんなに背が高い人、いますか? 数ヶ月前にウチの母が某デパートで、元バレーボール選手の大林素子さんを見かけたそうです。 とても背が高かったので、遠くからでもスグに分かったそうです。それで、近付いていったら、ウチの母(166cm)の目線のあたりに腰があって、顔がはっきり見えなかったっていうのですが、ソレって近付き過ぎヤワ~! 私もいつか、デル・ポトロ選手のおへそのあたりぐらいしか見えないくらい近付いてみたいワ~!!

2009年9月13日日曜日

希望の星

いつも期待されることへのプレッシャー

先日の朝日新聞のスポーツ欄に、サッカーワールドカップ南米予選の記事が載っていました。 その記事によれば、アルゼンチン現地のスポーツ紙“オーレ”では、9月9日(水)のアルゼンチン敗戦記事の見出しを“ここでもアルゼンチンは勝てない!”と書いていたと言っています。 “ここでも”って? サッカーでも勝てない、そしてもう一ついつも勝っていたのに勝てなかったものは、アルゼンチン・タンゴ 世界選手権のサロン部門で“Hiroshi y Kyoko”の日本人ペアーに1位の座を奪われたことです。 とにかくアルゼンチン国民にとっては、相当ショックな出来事なんでしょうね~。 別の新聞の記事では、”メッシは世界的なスーパースターだが、アルゼンチンではただの一般人だ。“と書かれたそうですが、昨日9月12日(土)のスペイン・サッカーリーグ”リーガ・エスパニョーラ“ではさっそく試合の後半に出場してヘディングを決めていましたよ!

ま~、アルゼンチン国民の気持ちもわからないでもないですよね。 

先月オランダで柔道の世界選手権をやっていて、私は柔道ファンではないけれど、日本の選手が勝てないと、相当悲観的な気持ちになったりしていました。 柔道は日本のお家芸なのに・・・とかって。 でも、柔道がオリンピックの種目であるということは、この競技が全世界で普及しているということなんですから、当然他の国の人が勝ってもおかしくないんですよね。なのに、柔道に関しては、どうしても外国人選手が柔道着を着て、メダルを貰っていると、違和感があります。 私ってヘンな先入観があって、頭硬いですよね。 そもそも、私が柔道のことを堂々と語ること自体、恥ずかしい話なんですが・・・。 
昔、フランスでホームステイをしたことがあるんですけど、ステイ先のマダムが“ウチのセバスチャン(ステイ先の息子の名前)は柔道を学校で習っていて、今はオレンジ・ベルトなの。”と言うんです。私は柔道はテレビで試合しか見ていなかったから、黒帯しか知らなかったし、まず、マダムが帯のことをベルト(フランス語でCenture)というのにもピンとこなくて、“言っていることの意味が分かんないんだけど・・・”と答えると、マダムは察しが良くて“あなた、もしかして、柔道は上達するごとにベルトの色が変わること、知らないんじゃないの? ベルトはオレンジとか緑とか色々な色があるのよ。それで、上の方の人は茶色になって、最終的には黒になるのよ。”と教えてくれたんです。 それで、話の最後に黒ベルトが黒帯のことだと分かって、それで初めて柔道の帯の色が、その人のレベルをさすのだということを知ったんです。(それでも最初は、フランスでは子供の為にそうしていて、日本は違うんじゃないかと疑っていて、後から日本人の男の子を捕まえて聞いて、日本でも帯の色が何色かあることを確認したんです。) こんな柔道無知な私でも、オリンピックなどで日本が柔道で勝てないとガックリしちゃうのは、とにかく子供の頃から日本は柔道が強いと思い込んでいるから、それが実現されないと“こんなはずじゃない”と思っちゃうんです。 だから、日本の柔道選手のプレッシャーって大変なものなんでしょうね。 “いつでも勝って当たり前”と思われているんですから。  アルゼンチンのサッカー選手も同様です。 そしてアルゼンチンのタンゴ愛好家は、まさか日本人ペアーが優勝するとは想像もしていなかったかもしれません。
ただ、やっぱり日本のスポーツ選手がメダルを取ると、たとえ自分があまり良く知らないスポーツであっても、なんだかこちらまで元気が出てくるような気がしませんか? 今年で言えば、野球のワールド・ベースボール・クラシックとか、そうだ、スポーツじゃないけど、ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで辻井伸行さんが優勝したのも嬉しかったですね。  もちろん、Hiroshi y Kyokoの優勝も、すごく嬉しい知らせでした。
それで、現在イロイロな意味でガッカリ気味なアルゼンチンの人々に元気を出してもらいたいと思うんですが・・・。ただ今アメリカで全米オープンテニスをやっていて、20歳のアルゼンチンのデル・ポトロ選手が準決勝まできました。 (今年の6月の全仏オープンテニスでも準決勝まで勝ち抜きましたが、惜しくもロジャー・フェデラーに負けてしまいました。) 明日、スペインのナダル選手と準決勝を戦います。 私はナダル選手も大好きだから、どっちも応援しちゃいそうですが、でも今回はデル・ポトロ選手をひいきしちゃうかな・・・。 だってこれでもしもデル・ポトロ選手が優勝したら、アルゼンチンのみなさん結構元気が出るんじゃない?

2009年9月10日木曜日

ワールドカップへの道(パラグアイ vs アルゼンチン)


崖から片足が・・・

今朝、9月10日、起きてまず何をしたと思いますか? ネットでスポーツニュースをチェック。 そして・・・、ガーン!! 
サッカー・ワールドカップ予選でパラグアイにアルゼンチンが1対0で負けたことを知らされました。  
先日のブラジル戦はスカパーで見ることが出来ましたが、パラグアイ戦は日本で放映されなかったので、どんな試合模様だったのか分りません。 パラグアイは、この勝利によって、南米ではブラジルに次ぎ来年のワールドカップ行きを決めました。 ○○さーん、サンタ・クルス(パラグアイのエース・ストライカー、現在イングランドのマンチェスター・シティーで活躍、はっきり言ってハンサムです。)の調子が良ければ、来年もワールドカップで見ることができますよ~。 
ところで、私たち日本国民は、もちろんパラグアイが南米に位置する国だということは分かっても、どこら辺にあるのか、首都はなんという町なのか、知らないという人も多いかもしれませんが、結構サッカーファンにはお馴染みな国なんです。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A4
パラグアイは南米の厳しいワールドカップ予選を勝ち抜き、1998年、2002年、2006年のワールドカップに続けて出場しています。 出場のことだけ言えば、日本も1998年フランス大会から出場しているから、一緒ですが、パラグアイは1998年も2002年もベスト16に入りました。 強いです。 だから、昨日アルゼンチンがパラグアイに負けたとしても可笑しくないかもしれませんが・・・。 でも、どう考えても選手個人のレベルはアルゼンチンの選手の方が高いと思いますけど・・・。 サッカーの試合に勝つには、レベルの高い選手を集めただけではダメで、監督の戦略、選手をまとめ上げる力(マネージメント力)、運とか色々な要素が必要なのかと改めて感じます。 同じことはオーケストラにも言えることですね。 素晴らしい音楽を奏でるには、演奏家の技量はもちろんのこと、指揮者の表現力や演奏家を一致団結させる力が大事です。 
そこで最大の問題点は、マラドーナ監督です。 “名選手、名監督にあらず”という言葉があてはまってしまいそうです。
私も冷静になって考えてみると、やっぱりそもそもマラドーナさんをアルゼンチンのナショナルチームの監督に選んだアルゼンチンのサッカー協会も無謀だと思いますよ。 だってマラドーナ氏は、今まで監督業をやったことないんだから・・・。 日本の代表チームの監督を、全く監督をやったことがない人に任せると思いますか? そうだな~、今度の日本代表チームの監督を中田英寿さんにいきなりお願いするようなものですかね・・・。 アルゼンチンのワールドカップ行きを諦めるのは、まだ早いけれど・・・。(と、何だか非常に複雑な気持ちになっています。)
それはそうと、昨日はパラグアイ以外に、イタリア、スペイン、イングランドがワールドカップ行きを決めました。 段々とワールドカップが近付いてきたんですね~。

2009年9月9日水曜日

9月のお休み


日本にない風習、アルゼンチンにない風習

9月4日は、アルゼンチンでは“秘書の日”だったそうです。 そ、そんな日があったなんてーと驚きましたが、ネットで調べたら、アメリカでは4月の最終水曜日が秘書の日だということです。 どうやら“秘書の日”があるのは、この2カ国ぐらいみたいです。 で、“秘書の日”だからと言ってこの日秘書の皆さんがお休みをとれるわけではないそうで、上司の方がお花を贈ってくれたり、お食事に誘ってくれたりする習慣だそうです。 
ところで9月のアルゼンチンの特別な日は、日本で馴染みのない日となっています。
9月4日が“秘書の日”(Día de la Secretaria)、9月11日が“先生の日”(Día del Maestro)、
9月21日が“生徒(学生)の日”(Día de los Estudiantes)だそうです。 
“先生の日”には小学生が先生に贈り物をするそうです。
http://www.embargentina.or.jp/infoar/info.html
“生徒(学生)の日”は中学、高校はお休みだったり、学校が早く終わるそうです。 (先生から生徒にプレゼントは流石にないんですね~。)
逆に、日本の9月の祝日である“敬老の日”と“秋分の日”は、アルゼンチンでは存在しないみたいです。 なるほどね・・・。
ところで、今年は9月の“敬老の日”(何歳ぐらいから敬老されるの?)と“秋分の日”がくっついて、第二のゴールデン・ウィークになったことは、チェック済みだと思いますが、どのように過ごすか、既に決まっていますか? またこの期間、きっと高速道路の料金が安くなって、道が混むんでしょうね。 マイカーを持っていない私には大して関係がない話なんですが・・・。
以前、あるフランス人の上司から、“フランス人はよく休むというけれど、日本の方がよっぽど祝日が多いことを知っているかい?”と言われたことがあります。 するとすかさず、それを聞いていた隣の部署の日本人上司が“日本人は勤勉で、こうして祝日にでもならない限りは、皆なかなか休まないから祝日が多いわけです。 あなた達フランス人のように、祝日だろうがそうでなかろうが、勝手に自分達でこの日からこの日までお休みします・・・と長期休暇をとる人たちとはワケが違う・・・。”と反論していたことを思い出します。
その時は、その日本人上司の言うことを、“そうだ、そうだ!”と支持していました。が今では、やたらとこうして祝日の日程を変えて、連休にするのは、どちらかといえば、お休みの時に、みんなに出掛けてもらって、お金を使ってもらいたいという政府の意向が強いと感じますが・・・、どうなんでしょう。

2009年9月6日日曜日

大事な一戦(アルゼンチン vs ブラジル)


個々の力 + チームワーク

現地時間9月5日に、来年の南アフリカで開催されるサッカー・ワールドカップに向けた南米予選が開催されました。 そしてアルゼンチンのロサリオ市では、アルゼンチン対ブラジル戦が行われました。 南米予選は強豪国が揃っているので、そこで勝ち抜けるのは厳しく、一戦一戦が大切ですが、この一戦は特にアルゼンチンにとって非常に大事な戦いでした。 なぜなら、現在アルゼンチンの南米予選での順位は4位でブラジルが1位です。 以前のブログにも書いたかもしれませんが、南米予選上位4位チームまでがワールドカップに行く事が出来ますし、予選はこの一戦も含めて残り4試合だけです。 アルゼンチンは4試合全勝して予選突破を決めたいところでした。 結果は・・・。
1対3 でブラジルの勝ち!! 

これでブラジルは来年のワールドカップ出場が決定しました。 そして崖っぷちに立たされたアルゼンチンです。

試合の内容は、本当にブラジルが組織的に守って、セットプレーで点をとって、手堅かったです。 アルゼンチン選手達は、もちろん自分達の立場が分っているので、積極的に責めていたのですが、とにかくブラジルの守りが堅くて、なかなかペナルティー・エリアにも入れさせてもらえなく、ボールを持っていても、ボールを支配しているというよりかは、決め手をかき、持たされている感じでした。 また、アルゼンチンは守備面でも混乱が多く、無駄な動きが多かったです。 ブラジルのドゥンガ監督の采配通りの試合運びだったでしょう。 ドゥンガ監督といえば、選手時代に日本のジュピロ磐田に在籍していたこともありますよね。 試合中に、点が入ってもチームメイトの日本人選手を怒鳴っている映像がテレビでよく流れて、厳しい人なんだ・・・というイメージです。 確か1994年のアメリカ ワールドカップの時に、ブラジルがイタリアに決勝で勝って、優勝した時のキャプテンがドゥンガさんだったかもしれません。 ディフェンダーとして、とにかくスキがない名選手でしたが、その哲学を監督業でも具現化していますね。 ブラジルといえば、サンバのような楽しいスペクタクルなサッカー、というイメージですが、ドゥンガさんはカカ選手を中心に堅固なチームを作り上げました。 一方、選手時代にはスーパースターの名を欲しいままにしていたマラドーナ監督は、メッシ、アグエロ、テベスといったヨーロッパで活躍する世界的な大スター選手を何人も抱えながら、決め手にかけたように思います。 今回は、一人一人の選手に対する役割分担をもう少しはっきりさせた方が良かったかもしれません(私の意見ですが・・・。) でも今回の敗因は、アルゼンチンのディフェンスの守り方の問題で、一人一人の選手のレベルではなかったと思います。 とにかく、残り3試合、アルゼンチンには全勝してもらうしかありません。 下を向いてうなだれている時間はありません。 次には9月9日(水)に予選2位のパラグアイとの試合がもうすぐあるのですから・・・。

ところで、アルゼンチンはたいがい首都ブエノスアイレス市のスタジアムで国際試合をすることが多いそうですが、今回はマラドーナ監督がロサリオ市のスタジアムを選んだそうです。その理由は様々でしょうが、その1つとして、ロサリオ市がメッシの故郷だからということもあるといわれています。 以前のブログにも紹介しましたが、メッシ選手は幼少時に成長ホルモンのトラブルがあり、その病気を治すため11歳の時にスペインのバルセロナに行き、それ以来ずーとバルセロナに住んでいます。 メッシ選手の素晴らしい活躍ぶりは、サッカーファンであれば、誰もが知るとことで、日本のチビッコの間でも、彼のようになりたいと憧れのまとでもあるはずです。 今年の世界最優秀選手には、たぶんメッシ選手が選ばれることでしょう。(ちなみに、去年はポルトガルのクリスティアーノ・ロナウド選手でした。)ところが、アルゼンチン国内では、メッシ選手の評価は世界が注目するほどではないようです。 なぜなら、メッシ選手が普段活躍している勇姿を、アルゼンチン国民はあまり見ることがないからです。 アルゼンチンでも、もちろん最近はケーブルテレビとか衛星放送が発達してきましたが、海外のサッカーを見るのは有料放送で、一般的には有料放送のテレビ番組はそんなに発達していないのだそうです。
マラドーナ監督は自分の次のスーパースターはメッシだと言っていますし、それを国民に、とくにメッシの故郷で証明したいと思って、この地を選んだそうです。  あー、この試合でメッシが点をいれていれば・・・、でも世の中ってそんなに思った通りにはならないんですね。 (でも、まずは思い願うことが大切ですけど。)

話はそれますが、先日、日テレで全国高校生クイズ大会というのをやっていて、感動しました。 同じ高校の生徒3名が1組になって、全国の高校の中で最も知力が勝る学校はどこかを競う番組でした。 出題される問題は難しくって、私はほとんど答えが分りませんでしたが、高校生達が一生懸命難問に向かっていく姿が素晴らしかったです。 テレビに出る段階で、エリート校のエリート集団の戦いになっていましたが(全国予選を勝ち抜いた高校がテレビに出演)、彼らは頭が良いだけではなくて、心も一流だと思いました。 敗退する時に、インタビューされるんですが、みんな自分のチームメートを思いやり自分1人の力では、勝ち抜いていくことができなかったと言います。 そして、対戦相手に対する敬意の念も忘れていません。 番組の司会者も、“3人寄れば文殊の知恵”ということわざを使って、高校生の知恵比べの健闘を称えていました。 
人って、一人一人が優れていることも素晴らしいけれど、そうした個人が互いに力を合わせると、何倍にも素晴らしいことを実現させることができますね。
それって、サッカーもそうだし、会社もそうだし、いろんなことに通じる話ですね。

2009年9月3日木曜日

Christian y Nao ペアー も3位入賞おめでとうございました !!


アルゼンチン・タンゴ ダンス 世界選手権 続報

8月31日まで、ブエノスアイレスで開催されていた、アルゼンチンタンゴ ダンス世界選手権のサロン部門でのHiroshi y Kyoko ペアー優勝快挙に続き、最終日のステージ部門決勝では、Christian y Naoペアーが3位に入賞なさいました。  こちらも凄い! 

クリスティアンさん、ナオさん、本当におめでとうございます。 

お2人は、今年の7月に東京で開催された、アルゼンチンタンゴ ダンス アジア選手権のサロン部門の方で優勝なさり、サロン部門でのシード権を勝ち取って、世界選手権に臨まれました。 毎年7月のアジア選手権で優勝すると(サロン、ステージ両部門とも)、東京からブエノスアイレスまでの往復航空券と世界選手権に出場期間中のホテル滞在費とセミファイナルから出場できるシード権が与えられます。 お2人は、サロン部門はシードがあったからセミファイナルから、ステージ部門は予選から戦われました。サロン部門でも決勝まで出場なさり、最終的には16位という成績をおさめられ、最終日のステージ部門では3位入賞と、毎日毎日緊張の日々の中、集中力を切らさず大変だったと思います。 

お二人とも本当にお疲れ様でした。 そして、あらためて、おめでとうございます。

ところで、今回ステージ部門で優勝をしたのは、Jonathan Spitel y Betsabet Flores (ジョナサン・スピテル& ベサベ・フローレス)というアルゼンチンのコルドバ市出身のペアーでした。 コルドバでアルゼンチン?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、スペインにもアルゼンチンにもコルドバ市があるんですね~。 ややっこしいけど、これもアルゼンチンが昔スペインの植民地だったからみたいです。  いずれにしても、優勝ペアーのダンスは来年の民音タンゴシリーズで日本でも見ることができるので、今から楽しみですね~。

その他、今年も多数の日本人のペアーがブエノスアイレスの選手権に出場なさっていました。 それも、殆どの方々が、サロンとステージの両部門に出場し、連日大熱戦を繰り広げ、かなりの良い成績をおさめられました。 皆さん、インフルエンザをものともせず、本当にお疲れ様でした。 どうか日本にご無事にご帰国なさり、また来年に向けて、努力を重ね、切磋琢磨なさいますよう、お祈りしています。 プロの先生方のこうしたたゆまぬ努力と前向きな向上心が、私たちアルゼンチン・タンゴ ダンスを習っている生徒にも大きな力を与えてくれます。 

追伸: ちなみにクリスティアン先生は、アルゼンチン人ですが、2004年に日本に来日し、それ以来、ダンサー・講師として日本で活躍なさっているし、ナオちゃん先生が日本人だから、日本人のペアーということになってます。
(たいして重要な追記ではありませんが)

2009年8月31日月曜日

Hiroshi y Kyoko ペアー おめでとうございました !!


日本でも歴史が変わったその日に、アルゼンチンで日本人快挙 !!

昨夜8月30日(日)は、有料放送のテレビ番組以外、通常のテレビ番組はどのチャンネルも衆議院選挙の番組でしたね。 そして民主党のこれ程の圧勝ぶりには、私も驚きましたが、そんな中、別の驚くべき嬉しいニュースを友人からメールで知らされました。 現在、ブエノスアイレスで開催されている、アルゼンチン・タンゴダンス選手権のサロン部門で(サロン部門とステージ部門があります)、何と日本人のHiroshi y Kyoko ペアーが優勝したというではないですか。  凄い! 

ヒロシさん、キョウコさん、本当におめでとうございます。
 
お2人は、すでに2007年の世界選手権のステージ部門で第3位に入賞し、2008年はサロン部門でアジア選手権のチャンピオン、世界選手権のファイナリストになり、とうとう今年2009年はこのサロン部門で世界1位になってしまいました。 この素晴らしい結果は、お二人の普段からの努力・タンゴダンスに対する情熱と目標を達成しようという強いお心の賜物に違いありません。もちろん、毎日努力を重ねて、この選手権で勝ちたいと願っているのは他のダンサーの方々も同じことだと思いますので、その中で外国人ペアーが1位に選ばれることは、本当に大変なことだと思います。 

ところで、ダンス選手権はステージ部門とサロン部門があります。 
ステージ部門とは、私達がアルゼンチン・タンゴショーを見に行くと、ダンサーの方々が音楽に合わせて脚を高く上げたり、女性ダンサーがリフティングされたり、様々な派手な足技やアクロバティックな動きを見ることができますが、そういうステージで披露されるような踊りを競うのがステージ部門です。 ここに出場なさるダンサーは、プロだったり、これからプロになろうという方々が大半で、自分達で選曲をし、前もって振り付けを考えて戦いに臨みます。ちなみに世界選手権のステージ部門のチャンピオンは翌年の1月~3月まで、民音タンゴシリーズというツアーで日本全国をタンゴ・ショーをして巡業します。 
それで、ヒロシ&キョウコ ペアーが今回優勝したサロン部門というのは、アルゼンチン・タンゴのダンス・パーティー“ミロンガ”で皆が踊るようなダンスとでもいいましょうか・・・。 私のようなアルゼンチン・タンゴ愛好家が普段踊るのは、このサロン・スタイルというものです。アルゼンチン・タンゴは、ある程度自由なペアー・ダンスだと私は思います。しかし、ミロンガ・パーティーで、皆が(老若男女、上手い人も下手な人も)楽しく気持ちよく踊るのには必要最低限のルールというかマナーがあります。 フロアーをみんな左回りに踊るとか、他のペアーとぶつかってはいけないとか・・・。 選手権のサロン部門では、一度に10~15組ぐらいのペアーが同時に踊りますが、競技会ですからこうしたベーシックなマナーに加えてすごく厳しい規定が課せられます。 男女の足はフロアーから○○cm以上上がっていたら減点対象だとか、ペアーの2人が常に密接にコンタクトしながら動かなくてはいけないとか・・・。 また、ステージ部門と違って、サロン部門の大会ではどんな曲がかかるのか、誰にもわかりません。 だから、どんな曲がかかっても踊れるように普段から沢山曲を聴いてなくてはならないし、もしも知らない曲がかかってしまったら、当然不利です。 (大会でかかるような曲を知らないような人は、参加しないと思いますが。) サロン部門の審査は、イロイロ厳しい決まりがあるとはいえ、非常に困難です。 というのも、サロン部門に出場する選手達は当然レギュレーションを心得ているわけですし、また技が制限されている分、実力の差が出にくく、上位陣の戦いは、紙一重で、審査員の好き嫌いが左右されないとは言い切れないと思うからです。 そんな中で、世界チャンピオンになった、Hiroshi y Kyokoペアーにあらためて敬意を表し、心からのお祝いを申し上げます。

おめでとうございます!!

また、これを機に、さらに日本でアルゼンチン・タンゴに興味を持つ方々が増えることを期待します。

追伸: 本日8月31日は、ステージ部門の決勝戦が行われます。 ここでも日本人ダンサーの快挙第二弾があるのか楽しみに結果を待ちましょう。
http://www.mundialdetango.gob.ar/home09/web/es/press/news.html
 

2009年8月27日木曜日

ヨーロッパのサッカーシーズン、今年も始まりました


頑張れ 外人選手

8月22日(日)から、イタリアでは、サッカーシーズンが始まりました。 その開幕戦で、カターニャというイタリアの南の方のチームに所属する、森本貴幸選手がゴールを決めました。 このゴールをはずみに是非とも今シーズンはさらに活躍するよう応援したいと思います。 確か森本選手はカターニャで今年で4シーズン目を迎えると思いますが、サッカー選手の移籍が激しいヨーロッパで、日本人の選手が同じイタリアのチームで4シーズンも在籍を続けることは、とても珍しく、そして何よりも大変なことです。(中田英寿選手はイタリアには長く居たと思いますが、同じチームに3シーズン以上いたことはないと思います。) それに森本選手レベルであれば、日本のJリーグで活躍した方がお給料は良いかもしれません。 でも少しでもレベルの高い選手が居るリーグで自分を磨きたいという気持ちが高いのだと思いますので、とても立派だな~と応援しています。 もう、イタリア語もすでに堪能で、いつか現地のインタビュアーから“時々日本からも小包郵便が届くそうですが何が入っているのでしょうか?”と質問されて、笑いながら“おかしとエロ本です。”と答えたら、チームメートからからかわれたり、頭をボコボコ叩かれていて、微笑ましかったです。 それはそうと、森本選手のチームメートをチェックしたら、非常にアルゼンチンの選手が多かったです。(あまり知っている選手はいませんでしたが)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0910/italy/team/103511.html
イタリアのチームなのに半数近くはアルゼンチン人で、ちょっとビックリしました。 これらのアルゼンチンの選手の多くは、アルゼンチンで生まれたけれど、親がイタリア人だとか、完全な外国人枠ではないはずですが。  
前シーズンまでは、セリエA優勝チームのインテルが、イタリアの中のアルゼンチンチームと言われていましたが、夏の移籍シーズンを終えてみると、今年はアルゼンチン選手が減っていました。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0910/italy/team/4215.html
そのインテルにおいて、長年キャプテンを務めているのが、ハビエル・サネッティ選手です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3
1995年にアルゼンチンのチームからインテルに移籍してきて、それからずーとインテル(ミラノ)で選手生活を続けています。 インテルはここ数年、セリエAで優勝をしていますが、その前までは、いつもスター選手を大金で獲得しては失敗し、良いところまではいくのだけどもう少しのところで勝てなくて、ファンが怒って暴れたり、マスコミからも叩かれていました。 そのような厳しい時期に、地道にプレーをし、ファンをなだめ、マスコミの意地悪な質問にも真摯に受け答えをしていたのが、サネッティ キャプテンです。 そうした男気をかわれて、アルゼンチンのナショナルチームでも、代表キャプテンを一番長く務めました。(今はキャプテンではないと思いますが、代表には呼ばれています。) 私はインテリスタ(インテルのファンの人のこと)ではなく、ライバルチームのユヴェントスのファンなのですが、サネッティ選手のことはとても尊敬しています。 
この頃ふと思いますが・・・、私も既にお勤め先を何社も変わっています。 しかし、同年代の友人の中には社会人になってから、ずーと同じ会社にお勤めしている人も居て、凄いことだなーと尊敬してしまいます。 長いこと何かをやり続けるって結構大変なことなのだと改めて考えます。 このブログも細々ながら長く続けていけたらよいな~と思います。
で、話はサッカーに戻りますが、今度の日曜日からスペインのリーグが始まりますが、なんと言っても注目はレアル・マドリードです。 イタリアのミランに在籍していたカカ選手を92億円で、イギリスのマンチェスター・ユナイテッドからクリスティアーノ・ロナウド選手を129億円で獲得し、他にも数名の選手を加え、移籍のために400億円以上を支払ったと言われています。(もちろん良い選手を放出してもいるので、払ってばかりではありませんが。) 移籍金は本人に支払われる額ではなく、契約途中にある選手を獲得する時にクラブ同士で受け渡しする金額なので、ご本人には1/5程度が支払われると推定されます。ロナウド選手は“金額に見合った活躍をする・・・”と言っていましたが、129億円の移籍金に値する活躍って・・・??? とにかく頑張るしかありませんね~。

2009年8月23日日曜日

ブエノスアイレスの夏、秋、冬、春


ピアソラ vs ヴィヴァルディ

アルゼンチンの音楽家の中で、ジャンルを問わず一番世界的に知られている人は、アストル・ピアソラ(1921~1992)だと思います。 以前にもお話しましたが、私がアルゼンチン・タンゴを好きになったのも、テレビのサントリー・ウィスキーのコマーシャルで、ヨーヨー・マがピアソラの“リベルタンゴ(Libertango)”を弾いていたのがきっかけでした。 ピアソラは実に沢山の曲を作曲していますが、その中でも有名な曲として、ブエノスアイレスの四季シリーズがあります。(Primavera Porteño、Verano Porteño、Otoño Porteño、Invierno Porteño)まずはY-tubeでピックアップしたブエノスアイレスの春、夏、秋、冬の4曲を聴いてみてください。


・ブエノスアイレスの春
http://www.youtube.com/watch?v=ScS31gT_6y4&feature=fvw
・ ブエノスアイレスの夏
http://www.youtube.com/watch?v=RaGDlvW4Ths
・ ブエノスアイレスの秋
http://www.youtube.com/watch?v=S5FJb_nxoo0&feature=related
・ ブエノスアイレスの冬
http://www.youtube.com/watch?v=u-FuQn6XdxI&feature=related
ピアソラご自身が弾いている映像を探しましたが、春と冬は見つかりませんでした。(春は映像こそないけれど、たぶんピアソラのキンテートの演奏だと思いますけど) そして夏と秋の映像で、ピアソラの横で、それはそれは魅惑的な(まるで悪魔のささやきなのではないかと思うぐらい魂を持っていかれます)バイオリンを奏でているのが、マエストロ、フェルナンド・スアレス・パス(1941~)です。 上の写真の右から2番目が、スアレス・パスです。 マエストロは、今年2009年の1月~3月末まで民音タンゴ・シリーズというツアーで日本全国を演奏巡業しました。 もちろん私は東京公演に行きましたし、この写真は4月の初旬にご帰国なさる際に撮っていただいたものです。 とてもかわいいおじいちゃま・・・と言っては失礼なのかもしれませんが、日本でお孫さんに沢山お土産を買って、持ってきたスーツケースに荷物が入りきらず、秋葉原でもう1つスーツケースを買ったそうです。 とてもチャーミングな方でしたが、一度バイオリンを顎にあてたら、人が変わります。 その変身(?)ぶりも、見事です。 コンサートに一緒に行った方は、“凄い、人間国宝ものだ・・・。”とおっしゃっていました。 “ブエノスアイレスの冬”では、ピアソラ&スアレス・パスの映像が見つからなかったので、ギドン・クレーメル(1947~)の映像を選びました。 なぜなら、もちろんクレーメルも好きなバイオリニストだということと、スアレス・パスのバイオリンと聴き比べてみて欲しかったからです。 クレーメルのバイオリンの音色が澄んでいて天使の声のように聴こえませんか?(こう感じるのは私だけかもしれないので、今度みんなのご意見是非聞かせていただけませんか?)
ピアソラは“ブエノスアイレスの四季シリーズ”を、ヴィヴァルディの“四季”を意識して作ったという説もあるようです。 そこで、ついでと言ってはナンですが、クレーメルの演奏する、ヴィヴァルディの“四季”も聴いてみてください。 (完成度高し!ブラボー!!)
http://www.youtube.com/watch?v=tbwVJVNvMh4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=i-7GXPDVSWY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=u32_F7yY27g&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=vtTB49OjVdc&feature=related
ピアソラがヴィヴァルディの四季を意識していたかどうか分かりませんが、“ブエノスアイレスの夏”をまず1965年にある舞台劇の為に作曲したそうです。(その直後から2年間、大スランプに陥り、1つも曲が書けなかったし、1人目の奥様とも離婚) そして1969年に“ブエノスアイレスの秋”を作り、さらに同年“ブエノスアイレスの冬”と“ブエノスアイレスの春”を同時に年末発表したそうです。
で、皆さんはどの季節の曲が一番好きですか?
私の感想は、“ブエノスアイレスの夏”もヴィヴァルディの“夏”も私のイメージする夏とは違って、なかなか激しいな~というのが印象です。 そして私のお気に入りは、“ブエノスアイレスの冬”とヴィヴァルディも“冬”です。 ただ、普段は季節としては、夏と秋が好きなんですけどね・・・。 でも、曲の好きな順位って気分で変わったりしまよね。
ところでPorteñoという訳が“ブエノスアイレスの”となっていますが、“ブエノスアイレスの”とか“ブエノスアイレスの人”のことをPorteñoというのだそうです。スペイン語で港のことをPuerto(プエルト)と言うので、そこから転じて“港の人”という意味で、ブエノスアイレスの人は港の人だから・・・ということみたいです。

2009年8月21日金曜日

来た~~~!!!


イロイロと・・・。

今週は、“来た~”と感じることが幾つかありました。


その1: 8月30日(日)の衆議院選挙の投票所入場整理券が郵便で来ました。 テレビでも各党の代表者の方々が討論会をしていたり、テレビコマーシャルもしていますよね。きっと今回の選挙は投票率が高そうです。 ところで、アルゼンチンでも今年、6月28日に国会議員とブエノスアイレス市議会の選挙がありました。 ちなみに結果は・・・、与党大敗、野党大躍進だったみたいです。


その2: ベルリンで開催されている世界陸上、毎晩夜更かししてみていますよ~。 某テレビ局にご勤務の○○、視聴率に貢献しておりまーす。 で、ジャマイカのウサイン・ボルト選手、凄いですね。 早い速い。 100メートルを9秒58で、昨日は200メートルを19秒19で走って、両方とも世界新記録ですよ・・・。 テレビで見ていると、結構楽々走っているみたいなので、どれ程速いのかわからないけど、でもやっぱり凄く早いんだろうな~と思うのは、いつのまにか周りの選手をドンドン突き放して、転ばない限りは絶対に追い抜けない状態になっちゃうところです。 また、大会の本番で力を発揮できるというところも、凄いな~と感じます。 ところで、陸上競技って本当に様々な国から選手が出場しています。 しいて言えば、中近東アラブ諸国の参加者は見当たりませんが(トルコの選手はいましたけど)、私がみている範囲では、アルゼンチンの選手も参加していないようです。 南米では、ブラジルやコロンビアとかの選手はいたんだけど・・・。 まだ、大会は終わっていないので、アルゼンチン選手が出てこないか、これからも一生懸命チェックしようと思います。


その3: とうとう日本でもインフルエンザが・・・。 今週の火曜日から“手洗い”と“うがい”を心がけています。 (舛添大臣に“慢心”と非難されたくないし・・・。) そしてアルゼンチンは、インフルエンザ大国と言って差し支えないかもしれません。 (アルゼンチンの皆さん、ごめんなさい。) 7月の統計でインフルエンザによる死者は130人を超えて、その数はアメリカに次いで世界第2位にまで成り上がってしまったらしいんです。 で、8月のブエノスアイレスといえば、アルゼンチン・タンゴ月間で、8月14日からタンゴ・フェスティバルが始まり、8月23日から31日まではタンゴダンス世界選手権が開催されます。 インフルエンザのことがあるので、日本からのツアーはキャンセルになったりしたようですが、ブエノスアイレス市は、(外貨獲得の為??)開催の決行をしています。 日本からも特にタンゴダンス選手権に出場するプロの先生方(アマチュアの方々もいるかもしれませんが)、応援に行く方など、大勢ではないけどいらっしゃるようです。
是非とも体調管理に努め、楽しんできて欲しいものです。 (出場する先生方には、出来ればよい結果をお待ちしております。) とにかく、これ以上、新型インフルエンザの好き勝手を許さないようにしましょう。 この暑い時期にマスクはツライよ~。

2009年8月16日日曜日

ラ・クンパルシータ


またの名は、“ラプラタ河共和国の国歌Himno del Rio de La Plata”

先月からお世話になっている、ブエノスアイレス在住のTomokoさんのブログを見ていたら、ラ・クンパルシータというアルゼンチン・タンゴの名曲に関する話が書いてありました。 
http://blog.livedoor.jp/tomokoar/archives/51524718.html
1917年にマトス・ロドリゲスというウルグアイの学生が、カーニバルの行進曲の為に作った曲なのだそうです(でも、本当は何年に作曲されたかは定かでないみたいです)。 タンゴ名曲事典によると、このマトス・ロドリゲスのお父さんは、ウルグアイの首都、モンテビデオ市でキャバレーを経営していて、1917年にブエノスアイレスからやってきたロベルト・フィルポ楽団に頼んで、無理やりこの曲を演奏してもらって、それがこの曲の初演とされるのが、一般的な話みたいです。 ロベルト・フィリポは1910年代から永きにわたってアルゼンチン・タンゴ界をリードしてきた作曲家兼ピアニスト(1884~1969)のの大巨匠です。 フィリポは、本当は単純すぎるマトスの曲を弾くのがイヤで、もとの曲に音を加筆して演奏したそうです。 また、さらにバンドネオンの変奏部分はルイス・モレスコという方が加筆したそうです。 この曲には、後に歌詞もつけられました。 1924年にパスクアル・コントゥルシとエンリケ・マロニという2人が歌詞をつけ、カルロス・ガルデルがそれを歌って大ヒットしたそうですが、そのヒットにビックリしたのか、作曲者自信が別の歌詞を慌てて作りましたが、それはヒットしなかったみたいです。 アルゼンチン・タンゴのショーに行くと、必ず演奏されると言って過言でないこの曲は、実は色んないわくつきというか、変遷をへているんですね。 そして、アルゼンチン・タンゴといいますが、ラ・プラタ河を隔てたお隣の国のウルグアイ出身のタンゴの作曲家や演奏家も多くいるみたいです。 その代表は、ロベルト・フィリポと同時代に活躍した“タンゴ王”ことフランシコ・カナロ(1888~1964)です。 カナロの話は、また別の日にすることにして・・・。
ラ・プラタ河に話を戻すと、この河はそれはそれは広いのですが、ブエノスアイレスから高速(?)水中翼船でこの河を渡ると3時間でモンテビデオに到着します。(神戸あたりから瀬戸内の海を水中翼船で渡って四国に行くような感じかな?)で、以前、ブエノスアイレスに行ったとき、バスガイドさんが港の横で説明をしてくれました。 “ブエノスアイレスは、ラ・プラタ河が大西洋に流れる河口に位置し、昔から港町として栄えました。 皆さん、港の水をご覧ください。 汚いですね~。 この水はとても汚染されていて、ここで溺れて3分以内に助け出されなければ、死んでしまうといわれています・・・!!” 私、次回、アルゼンチンに行ったら、イグアスの滝を見たいのと、モンテビデオにラ・プラタ河を渡って行きたいと思っていますが、ラ・プラタ河を渡る船の上では、絶対おとなしくしています。 間違っても船から落ちたりしたくありません!!  

2009年8月9日日曜日

永遠のライバル対決


日本と韓国 あるいは アルゼンチンとブラジル

昨夜、8月8日の午後7時から、テレビのチャンネルをテレビ朝日とフジテレビに切り替えながら、2つの日韓戦を楽しみました。 テレビ朝日では、両国のサッカー・プロリーグの選抜選手によるJOMOカップという親善試合中継が、フジテレビでは、女子のバレーボールのワールドグランプリの試合中継があったのです。 今回は両試合とも日本が勝ったのですが、とにかく中継をしている解説者からは、“永遠のライバル”という日韓戦にはつきものの言葉が、ここでも聞かれました。 ところで、みなさんには、ライバルがいますか? 私は自分の人生の中で、あの人が私のライバルという人が思い当たりません。 でもきっと、学生の時などは、○○ちゃんには英語の点数で負けたくない、とか、バスケット・ボール部だった時は、○○先輩よりシュートが上手になりたいとか・・・、その時その時であったはずですが、今となっては忘れてしまいました。 でも、何かをする上で、尊敬できるライバルが居るのは、良いことなのかもしれません。 どうだろう?
日本のライバルが韓国なら、アルゼンチンのライバルはブラジルなようです。 私はブラジル人の知人・友人がいないので、ブラジル側がアルゼンチンをライバル視しているかはわかりませんが、少なくともアルゼンチン人は、ことサッカーの話になると、ブラジルに対する闘志はかなりのものだと感じます。 先日、タンゴ・ダンスのリカルド先生と、来年のサッカー・ワールドカップの話をしていた時に、“アルゼンチンは今度の9月5日の予選でとにかくブラジルに勝たないと絶対ダメ!”と鼻息荒くおっしゃっていました。 日本は早々にワールドカップ予選を通過しましたが、南米は予選の時点ですでに激戦で、現在1位ブラジル、2位チリ、3位パラグアイ、4位アルゼンチン、5位エクアドルとないっていて、上位4位がワールドカップに行けて、5位になると北中米の4位とプレーオフを戦いその結果次第となります。だから、9月5日にブラジルに負けるようなことがあれば、アルゼンチンは上位4位に入れない可能性がでてきてしまうのです。(残り試合はブラジル戦を合わせて3試合) 私は、ワールドカップでマラドーナ監督ひきいるアルゼンチンがどうなるのか、是非見たい。 (何かおかしな事が起こりそうな気がしません?) その為にも皆さん9月5日は(あと1ヶ月先)日本からアルゼンチンが勝つように、パワーを贈りましょう。
ところで、上のマテ茶の写真ですが、今日の話と何ら関係がないと思われるでしょう。 確かにそうなんです。 写真の左手の緑のシールにマテ茶と書いてあるほうは、グリーンマテ茶で原産国アルゼンチンなのに対して、ピンクのシールにマテ茶と書いてあるほうは、ブラックマテ茶(ロースト)で原産国はブラジルです。 違いは、平たく言えば、緑茶なのかほうじ茶なのか・・・ぐらいの感じかな。 ご興味のある方は、日本マテ茶協会の説明をご覧ください。
http://www.matecha-kyokai.jp/
単に先日、家の近くのカルディという、海外の食材を売っているお店に行ったら、このマテ茶をみつけて、箱の色が違うから、何だろうと思って箱の裏をみたら、こんなところでも、アルゼンチンとブラジル両国は、似て非なるものを食して対抗しているように私には思えたのでした・・・。

2009年8月3日月曜日

タンゴ・ベスト・セレクション


Bravo !!

先週の7月29日に、練馬文化センターに行って、タンゴ・ベスト・セレクションというタンゴショーを見に行きました。
パンフレットの写真の通り(但しパンフレットは7月5日草加市公演のもの)、今回のショーは、3人のミュージシャン、1人の歌手、2組のダンサーという構成で、1幕各40分の2幕(アンコールも含めて約1時間半)のショーは、楽しくてアットいう間に時間がたってしまいました。
このチケットをご手配してくださったタンゲーロのSさんから写真のパンフレットを頂いた時には、今まで私が見たことがあるタンゴショーに比べてステージに立つ人が人数的に少数だった為、こじんまりしたショーなのかと思っていましたが、そんなことを全く感じさせないダイナミックで、出演者全員の高い技術が充分に発揮されていた、素晴らしいショーでした。 また、私が一番気に入った点は、ミュージシャン、歌手、ダンサー全員が一緒になって、時にはコミカルなジェスチャーを交えながら、観客を楽しませようとしていたことです。 その結果第二幕では、お客さんの多くが手拍子をしたり、“ブラボー”と掛け声をかけ、ステージと観客席が一体となる場面が作り出されました。
演目は、タンゴファンならばお馴染みの曲が並びましたが、第一幕の中に、このショー のマエストロ(楽団長)のカルロス・ルルフィー(バンドネオン)が作曲した曲が2曲演奏されました。 この曲を演奏する前に、ルルフィ氏は、“私が作曲した次の=Silencio de un teclado=を日本のNさん、Mさん、そしてSさんに捧げます。 私が今日こうして日本で演奏することが出来るのも、これらの方々のお陰と心から感謝しています。”(私のスペイン語の解釈が間違っていなければ・・・。)とおっしゃって演奏をしました。 ここで名前のあがったSさんに、私はいつもお世話になっていて、ステージが終わってからさらにSさんのお計らいで、楽屋を訪ねることができました。 7月29日の公演は日本公演最終日ということもあってか、また出演者の皆さんはショーの成功に気分も良かったのか、出演者の方々の方から私たちに歩み寄って一緒に写真を撮ってくださったり、気さくに話しかけてくださり、私達はステージも楽しみ、ステージ後も楽しみ、2倍の楽しみを満喫しました。 また、さらにその後にSさんやSさんの奥様やお友達と一緒にお茶を飲みながら、タンゴ談義に花が咲きましたが、Sさんによれば、マエストロのルルフィー氏は1984年のプロデビュー以来、日本で既に7、8回来日公演をされているそうです。 (さっき年齢を調べたら、1970年ラプラタ生まれとありました。) そして、非常に“義理堅い”方なのだそうです。 勝手な偏見ですが、義理堅いという言葉は、何だかアルゼンチン人を形容するのにピンと来ない気がしてしまいますが、そんなことはもちろんありません。どんな国にもいつの時代にも、人から受けた厚誼に感謝して、それを忘れず、その恩に報いるように頑張る方々がいますね。 実は2年前にルルフィー氏が別の楽団の一員として来日した際にお会いしたことがあるのですが、お仕事で来ると毎日毎日イロイロな都市を回って、沢山の人にも会うだろうし、日本人の顔も彼らにとっては見分けがなかなかつかないだろうから、私のことをよもや覚えていてくださるとは思ってもいませんでしたが、驚いたことに、マエストロは私のことを覚えていてくださいました!! マエストロの義理堅さだけではなく、素晴らしい記憶力にも、惜しみない拍手とブラボーを贈りたいと思います。 

2009年7月28日火曜日

アルゼンチンのワインについて、聞いてみました!!


ワインショップ・エノテカ銀座店 店長さん、ありがとうございました。

先日、ワイン通の友人(そりゃ、ソムリエだかワインアドバイザーの資格もって仕事しているからワインのこと、よく知っている)を誘って(というか、頼んで)、ワインショップのエノテカ銀座店に行ってきました。(だって、ワインマニアの人達の会話って、ワイン用語や固有名詞の連発で日本語なのによく分からないことが多々あるので、その場で話の腰を折らないために、私は分からないことがあっても、殆どフンフンしておいて、後で彼女に質問するんです。)
http://company.enoteca.co.jp/index.html

目的は2つあって、1つはお中元を贈ってもらうこと。もう一つはアルゼンチンのワインに関して色々質問しちゃお~ということで・・・。
私たちが行った日は、暑い日だったので、お店の奥のバーカウンターで美味しいシャンパーニュを頂きながら、N店長にお忙しいところ、ガツガツ質問しちゃいました。 皆さんご承知の通り、フランスやイタリアのワインに関する情報って驚くほど沢山あるし、驚くほどそれについて知識が豊富な方々が沢山いらっしゃるのに、ことアルゼンチンのワインとなると、安くて味の濃い赤ワインが有名だということぐらいしか情報が集まらなくて・・・。 そこで、N店長ならもう少し色々と教えてくれそうだと思ったのでした。 以下、私の質問とN店長のお答えの要約です。
Q1:まず、アルゼンチン・ワインというと、ブドウの品種“マルベック”が代名詞のようになっていると思いますが、マルベックというブドウの品種の特徴を教えてください。
A1: マルベックは元々フランスが原産で、フランス南西部、カオール地区で使用されているんですよ。 色調が濃くて力強い果実味やタンニンが特徴です。 アルゼンチンで栽培すると、更に甘味が強くなる傾向があります。
Q2:赤ワインでその他のブドウでアルゼンチンらしいものがありますか? 
A2: カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロが主ですが、スペインの植民地だったため、テンプラニーリョも見かけられます。
Q3:白ワインのほうのブドウ品種はいかがですか?
A3 : トロンテスが有名です。
Q4:例えば、カベルネ・ソーヴィニオンとかメルロ、白ならシャルドネとかソーヴィニオン・ブランなどの品種はヨーロッパをはじめとして、他の国でも多く栽培されていますが、同じ品種でも、ヨーロッパのものと南米のものというレベルの違いはありますか? 
A4: 比較的冷涼なヨーロッパよりも、南米産の方が凝縮感が強く、酸味は穏やかになります。
Q5:特に、フランスやイタリアのワインはヴィンテージが良く取りざたされて、○○年のボルドーは当たり年とか言われますが、アルゼンチンのワインにもヴィンテージがありますか? もしあれば、ちなみに近年いつが当たり年だったのでしょうか?
A5: 申し訳ありませんが、それに関しては、殆ど情報はありません。 でも、年度によるばらつきは少ないでしょうね。
Q6:私が調べたところによると、アルゼンチンのワインの生産量は世界で5位で、国内消費量が世界6位、輸出は世界で11位だそうです。 アルゼンチンはかなりワインを生産するが、国内消費が多いそうです。 一方お隣の国、チリでは国内でワインはあまり消費されず、もっぱら輸出が多く、大切な外貨を稼ぐための手段なのだそうです。 従って、チリ・ワインの味はマーケティングにもとづいて、とても研究されているが、一方アルゼンチンの場合は国内向けが多いため、アルゼンチン人の嗜好にあったワインが主に作られているそうです。(あくまで、統計のまとめを見たらそのように書いてあっただけですが。) アルゼンチン人といえば、牛肉消費が世界1位の国です。 そこで質問ですが、アルゼンチンのワインってやっぱり牛肉料理に合うものがメインでしょうか?
A6: 濃厚かつスパイシーなので、ステーキ料理が一番合います。
Q7:また、その統計によると、日本がスパークリング・ワインを輸入する国の8位にアルゼンチンがランクされていました。(もちろん1位はフランスです。) アルゼンチンのスパークリングはどうですか?
A7: スパークリングは、総じて驚くほどコストパフォーマンスが良く、さっぱりしたものが多いように思います。
Q8:エノテカにいらっしゃるお客様で、アルゼンチン・ワインを自ら好んで買っていかれるお客様もいらっしゃいますか? それともお店側がお客様の好みや予算を聞いて、アルゼンチン・ワインを勧められる場合が多いのでしょうか?
A8: アルゼンチン・ワインを一度召し上がってみて、リピーターになっていただける場合があります。 その他には、1,000円代で強い味わいをお求めの方にオススメするケースが多々あります。
Q9 : エノテカで輸入しているアルゼンチン・ワインでオススメはどれですか? また、そのワインの特徴も教えてください。
A9 : まず、N.V. Extra Brut (Norton) 1,575円 は軽めのスパークリングです。
2007. KAIKEN Malbec (Montes) 2,625円 は非常に濃厚でスパイシーで、ブドウの特徴が良く出ています。 こちらはオススメです。

Q10 :これは、私が聞いた単なる噂ですが、フランスやイタリアなどのヨーロッパのワイン生産大国では、すでに相当長年ブドウが栽培されすぎて、その結果土壌がやせてしまっていて、また地球温暖化による気候の変化ともあいまって、今後は南米やオセアニア地域、あるいは日本が美味しいワインを作る国になる可能性が高いと聞いたことがあります。
店長はどう思われますか?

A10: 土壌が痩せることについては、あまり問題はないいと思います。 むしろ痩せていたほうが良い面もありますから・・・。 気候の温暖化が影響するとなれば、現状で寒冷な土地が適地になる可能性があるのではないでしょうかね。
私の質問は以上ですが、店長から何かお得情報とか、なにか楽しいアルゼンチン・ワインの楽しみ方があれば、教えてください。
アルゼンチン・ワインは、とにかくお得なワインと言って差し支えないですよ。 まずは、チャレンジして、自分の好みの美味しいものと出会っていただきたいです。

いや~、N店長、他のお客様もいらっしゃったのに、質問全てに丁寧にお答えいただき、感謝、感謝です。 ありがとうございました。   コレに懲りず、またよろしくお願いします。
ところで、添付の写真はエノテカ銀座店7月のお徳用10本セットの内容です。 ここに選ばれたワイン10本を通常価格で買うと24,297円になりますが、今なら10,500円でお求めいただけます・・・ということなのですが、この中に、アルゼンチン・ワインが3本も入っています。 その3本中の2本は、Q9で店長が特にオススメとして名前をあげてくれたワインです。 コレはお得! Don’t miss it !!  そして、エノテカ銀座店に行ったらN店長にワインのこと、イロイロ質問してみてください。 それに、お店にいらっしゃっているお客様の中には、すごい物知りなWine Loverがいらっしゃることもあって、そういう方々も更に楽しい体験談などを教えてくれて、話の輪が広がります。 楽しいですよ!

2009年7月27日月曜日

ピラニア


普段忘れている自然の怖さ

“肉食魚として有名なピラニアの祖先種(学名:メガピラニア・パラネンシス)の化石がアルゼンチンで発見された。1000万年~800万年前の南アメリカに生息していたと考えられる。現生種は体長15~60センチほどだが、発見された化石の個体はなんと1メートルもあったと推定される。” という記事を見つけました。
http://news.biglobe.ne.jp/animal/592/geo_090629_5925798818.html

私がアルゼンチンに興味を持ったのは、もともとアルゼンチン・タンゴに興味を持ったからです。 そしてタンゴやブエノスアイレスは、私たちに都会のイメージを与えますが、この国の国土は280万平方kmもあり(ちなみに日本は38万平方km)、ブエノスアイレスやコルドバなどの数都市以外は、広大で自然豊かな土地の広がる国だということを忘れてしまいがちです。 もちろんそれは、アルゼンチンに限った話ではなくて、日本の東京は摩天楼の聳え立つ大都会ですが、日本の国土の中には田園風景広がるのどかなところもたくさんあるわけですし、例えばフランスといえばパリのことをまず思い浮かべますが、パリから1時間も電車にのれば、牛が牧草を食べていたり、ぶどう畑が広がっているわけです。私たちは都会に住んでいると、自分が自然の一部であることや、自然の中で生きていること、そして大きな自然の前で自分達がいかにちっぽけな存在であるかということを忘れがちだと思うのです。 でも、先日の皆既日食の映像や、山口県の豪雨災害のニュースを見て、自然って凄いと改めて感じました。
何でこんな話を書いているかというと、実はたぶん私が初めて自然って怖いと思った体験はピラニアなんです。 私が小さかった頃、実は父親が家で大きな水槽に2匹ピラニアを飼っていたんです。(凄い物好きなヘンな家でしょう・・・。) 両親から、絶対に水槽の中に手を入れてはいけないし、入れたら大変なことになると、相当脅されていました。 父は会社から帰宅すると、お肉とかお魚を(もしかしてピラちゃん達って私たちより良いもの食べていたのではないかしら・・・)糸につるして餌を与えていました。 もちろんおチビだった私は、ピラニア達の豪快な食べっぷりを見るのが大好きでした。 そんなある日、父が急に出張で、その晩家に帰ってきませんでした。 ピラニアに餌をやるのは父の仕事だったので、その日、母も姉も私もすっかりピラニアに餌をあげることを忘れていました。 す、すると翌日、一匹のピラニアがお腹を食いちぎられてプカプカと水槽の上に浮いているではないですか!! そして、その横を平然ともう1匹が泳いでいるのです。 トモ食いです!  おチビの私には、一体何が起こったのか全く理解できず、母に矢継ぎ早に質問をして、状況を把握し、何だか子供ながらに言葉にならない空しさと悲しさの入り混じった気持ちになりました。これが私が初めて体験した自然の厳しさです。 
皆さんが自然の恐ろしさを感じた初体験って、どんなものでしたか? 

2009年7月21日火曜日

7月20日 


“海の日”は“友達の日”

昨日7月20日を、皆さんはいかがお過ごしでしたか? “海の日”にピッタリな暑い日でしたね~。 私は、ミロンガというアルゼンチン・タンゴのパーティーに行って、踊って、汗かいて、最終的には塩分がカラダから出て行ってしまったと言っては友人と連れ立ってラーメンを食べて1日を終了いたしました(ダイエットに反する行為!)。 
そしてアルゼンチンでは、7月20日は“友達の日”といって、Feliz Día del Amigo!(フェリース ディア デル アミゴ 友達の日、おめでとう)と挨拶するようです。 この日の由来は、アルゼンチンのエンリケ・フェブラロという学校の先生が、1969年7月20日に人間が始めて月に降りた記念に、1000通の手紙を世界中に送って、700通の返事をもらったのがきっかけだそうです。 どんなお手紙を送って、どんなお返事が来たんでしょうね? 1969年といえば、今のようにメールが発達していない時代で、手紙を書くことがもっと身近だったのでしょう。 私が小さかった頃(相当昔ですが・・・)、この次期、私は暑中見舞いを書き、母はお中元のお礼の手紙を書いていたと思います。 今では私は暑中見舞いを書くこともなく、母はお中元をいただいても大概電話でお礼を済ませています。 世の中どんどん簡略化されていくわけですが、でも本当は手紙ってステキですよね。
フランスに留学(イヤ、遊学か~)していた時に、両親からもらった手紙にはとても感動しました。 別に近況報告ぐらいで、後は“カラダを大切にしなさい”ぐらいのことしか書いてありませんでしたが、なぜか涙が出てきて、自分でも嬉しいのか悲しいのか分からないけど泣いてましたね~。  あと、友達が旅先から送ってくれる葉書もとても嬉しいです。 だから、自分も旅行に行った時には葉書ぐらい書けば良いのですが、だいたい葉書を買うまではするのですが、書かないで持って帰ってくるケースが多々あります。 そんな私ですが、アルゼンチンに行った時には10人ぐらいに絵葉書を送ったのですが、どうやら誰にも届かなかったようなんです。 失敗したのは、ホテルの人に頼んだことです! ホテルの人に、“葉書出しておいてください”と言ってお金を渡したのですが、きっとそのお金はチップとして、その人のポケットに入り、私の絵葉書はゴミ箱に入ったに違いありません!! アルゼンチンでは、どこらヘンまで人を信用できるのか、今ひとつそのレベルがまだつかめません。 こうした失敗を重ねて、経験値から推し測るしかないのでしょうか?? ま~、これからなるべく多くのアルゼンチン人の友人をつくり、イロイロ直接伺って、日頃の小さな疑問を解決していきたいと思います。

2009年7月17日金曜日

リベルタドーレス・カップ アルゼンチンのエストゥディアンテス優勝


ベロン選手 おめでとう!

昨日、(現地時間で7月15日)、サッカー南米1位のクラブチームを決めるリベルタドーレス・カップで、アルゼンチンのエストゥディアンテスがブラジルのクルゼイロに勝って優勝しました。(ちなみに、ヨーロッパの優勝クラブチームは今年は5月にバルセロナがマンチェスター・ユナイテッドに勝って、優勝を決めています。)
クルゼイロの監督や選手は日本のJリーグで活躍した方々もいたので、日本ではどちらかといえばブラジルを応援していた人が多いのではないかと思います。クルゼイロの応援をしていた皆さん、残念でしたね~。(悔しさは充分お察しします。) 今年から、どうやらTOYOTAカップは日本でやらなくなったみたいで(UAEで開催)、ちょっとつまらないな~と思ったのですが、とはいえ昨日はもちろんエストゥディアンテスを応援していましたよ。 解説者の人が注目してたのは、エストゥディアンテスのキャプテンのベロン選手のことです。 ベロン選手は長年イタリアで活躍していた選手なので、私にはお馴染みの選手ですが、何でもベロン選手のお父さんも、エストゥディアンテスで大活躍した名選手で、39年前にエストゥディアンテスがリベルタドーレス杯を3連覇もした時の立役者なのだそうです。 親子揃ってエストゥディアンテスのユニフォームを着て、リベルタのカップを手にすることが出来るのか・・・、ということが注目されていました。 ベロン選手は現在34歳ですが、ヨーロッパで活躍したというこもあり、もちろん選手としての世界的な知名度や稼いだ金額ではお父さんをはるかに上回っていましたが、アルゼンチンの人達にしてみれば、未だにあの偉大なラモン・ベロンの息子のファン・セバスティアン・ベロンという扱いなのだそうです。 今回こうしてリベルタ杯を獲得したことにより、やっと父と肩を並べることが出来た・・・ということになのです。 それぐらい、リベルタドーレスは南米のサッカーファンにとって、重要な試合です。 
試合は、7月8日にアルゼンチンで1回戦が行われ、その時は0対0でした。 エストゥディアンテスは、かなり良くせめていましたが、クルゼイロのゴールキーパーのスーパーセーブによって、3点ぐらい枠内のシュートを阻まれていました。 昨日の2回戦は、ブラジルで行われるということもあり、また、私はそのゴールキーパーのスーパー・セーブのことを考えて、エストゥディアンテス不利だと思っていましたし、まずはクルゼイロが1点を先に入れたので、これはクルゼイロが勝つのかな~と思っていましたが、結局1対2でエストゥディアンテスが勝ったのです。 素晴らしい見ごたえのある試合でした。
私がサッカーを観るのが好きな理由は、もちろん試合の中で、選手が見せる素晴らしい技や、ゴールが生まれる時の人の動きとかの美しさなどがあげられますが、それ以外にも、選手達の各々の様々なドラマを知ることにもあります。 例えば今回のベロン親子の物語とか・・・。 有名な話で言えば、イギリスのベッカム選手は、イギリスのアイドル的なサッカー選手だったのに、1998年のワールドカップ・フランス大会のイギリス対アルゼンチン戦で一発レッドで退場し、そのせいでイギリスがその試合に負けたと、アイドルから一瞬にして国辱扱いになってしまいました。 しかし、その後のご本人の努力によって、誰もが知る世界的なスーパースターになりました。 
個人的に、私にとって最も嬉しかったエピソードは、2002年の日韓共催ワールドカップの時に、私の誕生日の日に、イタリアのデル・ピエーロ選手がゴールをあげたことです。 一般的にこのゴールは、その前の年に亡くなったデル・ピエーロのお父様に彼が捧げたゴールだと言われていますが、私は勝手にあのゴールはデル・ピエーロが私にプレゼントをしてくれたと信じています。 
皆さんも自分の好きなスポーツの観戦で、選手や監督から、元気、勇気、力をもらったり、感動したりしたことがあると思います。 どんなエピソードがありますか? 

2009年7月14日火曜日

第一回フィエスタ・アルヘンティーナ2009 in お台場

毎年開催されたらいいですね!

7月11日(土)と12日(日)に、お台場のアクアシティーというところで、“第一回フィエスタ・アルヘンティーナ2009 in お台場”というイヴェントが開催されて、日曜日に行ってきました。
結構大勢の方がいらっしゃっていましたし、在日アルゼンチン人と思われる方々も多く、楽しい雰囲気でした。
私がイヴェント場所に到着したのは、3時少し前ぐらいでしたが、その時はアルゼンチンに関するクイズ・コーナーをやっていました。 どんなクイズが出題されていたかというと、例えば、
Q: アルゼンチンの首都のブエノスアイレス市と姉妹都市になっている日本の都市は?
A: 大阪市
Q: マラドーナも選手時代に在籍していた、アルゼンチンで最も有名なサッカークラブチームは?
A: ボカ・ジュニアーズ
Q: アルゼンチン・タンゴの演奏にかかせない、独特な楽器の名前は?
A: バンドネオン
Q: バンドネオン奏者であなたが好きな有名な人を1人あげてください。
A: アストール・ピアソラ
などなど。 正解した人には、キャンディーがプレゼントされていました。 私は大概の質問には答えられそうでしたが、1つ知らなかったことがありました。 その質問は、
Q: アルゼンチンは移民の多い国ですが、どこの国からの移民が最も多いでしょうか?
A: イタリア
エーッ?! スペイン出身者よりもイタリア出身者の方が人数は多いんだ。 なのに公用語はスペイン語なのね~。 と何だかわからないけれど、感心しました・・・。
クイズ・コーナーが終わると、写真のフォルクローレのダンスが始まりました。 フォルクローレを踊ったことがないから、難しいかどうか本当のところは判りませんでしたが、日本でいう盆踊りみたいな(つまりは、アルゼンチンのフォークダンスなんでしょう。)とっつき安いダンスなのかな~。大人から子供まで楽しめそうな踊りでした。 ただ、昨日も気温が暑かったので、踊っている方々の衣装が暑そうに見えました。 タンゴの衣装を見慣れているせいか、(もちろん、ブラジルのサンバの衣装が一番薄着だと思います。)フォルクローレって、お祭りなんかだといつもあの衣装を着て踊るのかな~とか思いながら見ていました。 それから、フォルクローレの一種なのか、“マランボ”という踊りも見ました。 男性一人が、アルゼンチン版タップダンスを踊っていましたが、こちらはかなり高度なテクニックが必要そうでした。
しばらくすると、今度は、先月コンサートに行ったオルケスタ・アウロラのメンバーが、タンゴを生演奏し始めました。 タダで彼らの演奏が楽しめるなんて、これはラッキーだなーと思っていると、在日アルゼンチン人のタンゴダンサー(講師)の方々が次々に踊りだし、これも楽しめました。(といっても、人が多くて、よく見えないから、結局知り合いと喋りこんでいましたが・・・。)予定では16:30から抽選会とアルゼンチン大使のご挨拶となっていましたが、17:00ぐらいになっても、始まりそうになかったので、帰ってきてしまいました。 会場では、こうしたデモンストレーション以外に、アルゼンチンのワイン、マテ茶、お菓子、雑貨なども販売していました。 私の知り合いは、昼間なのにワインを4杯も飲んでいて、普段はそんなにオシャベリな方でもないと思うのですが、とっても楽しそうに去年自分がアルゼンチンに行ったときの話しをしてくれました。(実は、彼の話の内容より、陽気になっちゃっている彼の姿を見ている方が面白かったりして・・・。)
で、私がその中で目をつけたのは、オーガニックのオリーブオイルです。 近いうちに、美味しかったかどうか、ご報告したいと思います。 (アルゼンチンの土壌はミネラル豊富だから、ワインにしろ、他の作物にしろ、味が濃いという話なので・・・。)

2009年7月9日木曜日

7月9日 (9 de Julio)


アルゼンチンの独立記念日

本日7月9日は、アルゼンチンの独立記念日です。 在日アルゼンチン大使館にお勤めの方はお休みですね~。
まずは、写真の大きな通りをご覧ください。 これはブエノスアイレス市の中心を通るAvenida 9 de Julio (7月9日大通り とでも訳すかね)! 世界一大きな通りだそうです。
アルゼンチン大使館のサイトの説明では、
7月9日通り (Avenida 9 de julio)大統領府と国会議事堂を結ぶ五月通りと交差して市の中心を走る大通り。南北4km、最大幅約140m、16車線の規模を誇る。アルゼンチン人曰く、世界で一番幅の広い道路であり、1回の青信号で渡り切るのは難しい。その名はアルゼンチンが独立を果たした1816年7月9日に由来する。同通りができる以前、この一帯にはフランス様式の家々が立ち並んでいたが、1936年、この通りを作るためそれらは全て取り壊された。唯一フランス大使館のみが取り壊しを免れ、7月9日通りがリベルタドール通りに合流する部分に今でも美しくそびえ立っている。
とのこと。
私が昔誰からか聞いたか、あるいは何かの資料で読んだかした時には、この通りはパリのシャンゼリゼ通りをイメージして作られて、オベリスクもパリのコンコルド広場のオベリスクを真似たものだ・・・とのことでした(でもシャンゼリゼ通りはせいぜい4車線4車線計8車線ぐらいじゃない?)。 ブエノスアイレスは、“南米のパリ”と呼ばれるそうですし、実際に街を作る時に建築家達はパリに似せて作ったといいます。(ガセネタではないことを祈る・・・。)移民の国だから、もちろんフランスからの移民の人もたくさんいらっしゃるのでしょうが、国民の大半は、もともとスペインかイタリアのご出身みたいなのに、何でローマ風な街づくりとか、マドリードっぽいとかバルセロナ的な街づくりにしなかったんでしょうか? 不思議です。 ま、それはいいとしても、この通り、メチャ広い。 説明文にも書いてあるけど、一回の青信号で渡りきるのは難しいと・・・。
そこで、タンゴの先生のリカルド先生に1回で渡りきれるのか現地の方々の対処方法を聞いたら、このテンポで歩けば大丈夫といって“1、2、3、4・・・”とカウントしてくれましたが、かなり早いテンポで、これではオシャベリしながら楽しく歩くのは難しそうな感じでした。 これからAvenida 9 de Julio を渡る可能性のある人、気合をいれてれ横断しましょう。
あと9 de Julioといえば、タンゴの曲もあります。
まずは、前のブログで少しお話したファン・ダリエンソ楽団の演奏をY-tubeでお楽しみください。
http://www.youtube.com/watch?v=8pS_qbG_tWU
いやー、タンゴ全盛期の迫力ある演奏ですね。 そしてバンドネオン奏者が5人も!!
その5人の中の左から2番目の、大きな目をギョロギョロさせてバンドネオンを自由にあやつっている方が、先日訃報をお伝えしたカルロス・ラサリ マエストロで、もちろん凄いアクションで指揮をしているのが、ファン・ダリエンソ マエストロです。 こんな演奏、生で聴けたらいいですね。 “ヨッ!ブラボー!!”と拍手拍手(ヨッ!はいらないけど、日本人だから思わず言っちゃいそうじゃない?!)。
曲の話に戻りますが、この曲には歌詞もついていたようです。 タンゴ名曲事典(アッ、この本も先日お亡くなりになった石川浩司先生が編集している!)の解説によると、作曲したのはホセ・ルイス・パドゥラで1908年に自ら初演しているそうです。 曲はかなり売れて、1919年にはパドゥラさんが知らないところで、勝手に暗黒街のことを歌ったスラング混じりの歌詞がついちゃったそうです。 で、1925年になって、アルゼンチン独立記念日にちなんだ愛国的な歌詞がついたんだけど、失敗に終わったんだそうです。 1931年になると、リト・パジャルドが、遠い昔の7月9日に愛を失った・・という内容のセンティメンタルな歌詞をつけ、まあまあ成功したようです。 でも、今ではほとんど歌われることはありません。 この曲の雰囲気で、昔の失恋を歌ったセンチメンタルな歌詞って・・・???  実は今年の2月からタンゴの歌も習っているんですが、ステキな曲だな~と思っても、歌詞の内容は失恋ばかし・・・なんですよー。 それもいいけどねー、誰かメチャクチャハッピーな内容のタンゴの歌を見つけたという方は、是非ご一報ください~。 それとも、私もパドゥラさんに無断で(だって断るにも本人たぶんご存命じゃないでしょ)、9 de julioの曲に楽しい歌詞とかつけちゃおうかな~、日本語で!!