2009年6月27日土曜日

寂しいお話


偉大な方々の死

昨日、6月26日(金)赤坂・草月ホールで、日本人タンゴ演奏家のSexteto(セクステート 六重奏楽団) Orquesta Aurora (オルケスタ・アウロラ) のアルバム発売記念コンサートに行きました。
日本人の演奏家の技術の高さに感心したのは確かなんですが、私にとっては心に響く演奏ではなかったというのが、本当の感想です。(音楽評論家でもないのに、生意気なこと言っていますね・・・。) 諺で、“美人は3日で飽きる”というのがありますね。 そういう感じです。 つまり、演奏は素晴らしく、心地良かったのですが、私にとって、アルゼンチン・タンゴって、昼下がりのお昼寝にちょうど良い、心地いい音楽ではなく、心を揺さぶられたり、引っ掻き傷を負ったり、あるいは、ボクシングのボディー・ブローをあびるような、大げさに言うとそういう感覚がある(何だか痛そう・・・)音楽です。 (って曲にもよるけど、コンサートでやるような名曲は、そういうのが多いんだもん。) でも、ラ・クンパルシータは良かったです。

それはさておき、そのコンサートのときに、またまた、タンゴ界で大切なお二方の訃報を伺いました。 お一人は、エミリオ・デ・ラ・ペーニャさんという、アルゼンチン人のピアニスト兼作曲家だそうです。 私はCDも持っていないし、どんな曲を作曲したのかも知りませんが、6月23日亡くなられたそうです。 その同じ日に、日本ではタンゴ研究家の石川浩司(イシカワ ヒロシ)先生が亡くなられたそうです。 石川先生は“タンゴの歴史”という著書で有名ですが、他にも数冊著書があるようです。“タンゴの歴史”は3年ぐらい前に読んだことがありますが、分りやすい本でした。(字の大きさ、写真の多さも私にちょうど良い感じでした。) お二人のご冥福を心からお祈り申し上げます。

それで昨夜、コンサートから帰ってきて、石川先生の“タンゴの歴史”をもう一度読んでいて、マズイことに気がつきました。 先日、カルロス・ラサリ マエストロの訃報の話をした時に、ダリエンソのことにふれ、ダリエンソが1900年お正月生まれだと書いていましたが、それは間違えでした。 先生の著書によれば、ダリエンソは1900年12月14日生まれだそうです。 お正月はダリエンソのハッピー・バースデーではありませんでした~(なぜかチョット残念でぬか喜びをした気分)。 そして、何だか私が書いていることって怪しい・・・と自分に自信がもてなくなってきていると、またさらに間違えを見つけました。 どうやらカルロス・ラサリ マエストロが亡くなった日は、6月9日ではなくて、6月7日みたいなんです。 皆さんあまり気になさっていないと思いますが、お詳しい方にしてみると、私は適当に間違ったことを書きまくっているということになっても困るので~。 訂正させていただきます。 ごめんなさい。 
あと、カルロス・ガルデルは生年月日不詳で1935年6月24日に亡くなっています。 私がブエノスアイレスのガルデル記念館に行った時に、フランスで生まれたことは分かっているが、いつ生まれたかは分からないと言っていました。 お父さんも判らず、フランスから移民してきて、お母様が洗濯とアイロンがけの仕事をして生計をたてていたと聞きました。 たぶん子供の時は裕福ではなかったと思いますので・・・。 お誕生日のお祝いとかはしなかったのでしょうか?

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