2009年8月16日日曜日

ラ・クンパルシータ


またの名は、“ラプラタ河共和国の国歌Himno del Rio de La Plata”

先月からお世話になっている、ブエノスアイレス在住のTomokoさんのブログを見ていたら、ラ・クンパルシータというアルゼンチン・タンゴの名曲に関する話が書いてありました。 
http://blog.livedoor.jp/tomokoar/archives/51524718.html
1917年にマトス・ロドリゲスというウルグアイの学生が、カーニバルの行進曲の為に作った曲なのだそうです(でも、本当は何年に作曲されたかは定かでないみたいです)。 タンゴ名曲事典によると、このマトス・ロドリゲスのお父さんは、ウルグアイの首都、モンテビデオ市でキャバレーを経営していて、1917年にブエノスアイレスからやってきたロベルト・フィルポ楽団に頼んで、無理やりこの曲を演奏してもらって、それがこの曲の初演とされるのが、一般的な話みたいです。 ロベルト・フィリポは1910年代から永きにわたってアルゼンチン・タンゴ界をリードしてきた作曲家兼ピアニスト(1884~1969)のの大巨匠です。 フィリポは、本当は単純すぎるマトスの曲を弾くのがイヤで、もとの曲に音を加筆して演奏したそうです。 また、さらにバンドネオンの変奏部分はルイス・モレスコという方が加筆したそうです。 この曲には、後に歌詞もつけられました。 1924年にパスクアル・コントゥルシとエンリケ・マロニという2人が歌詞をつけ、カルロス・ガルデルがそれを歌って大ヒットしたそうですが、そのヒットにビックリしたのか、作曲者自信が別の歌詞を慌てて作りましたが、それはヒットしなかったみたいです。 アルゼンチン・タンゴのショーに行くと、必ず演奏されると言って過言でないこの曲は、実は色んないわくつきというか、変遷をへているんですね。 そして、アルゼンチン・タンゴといいますが、ラ・プラタ河を隔てたお隣の国のウルグアイ出身のタンゴの作曲家や演奏家も多くいるみたいです。 その代表は、ロベルト・フィリポと同時代に活躍した“タンゴ王”ことフランシコ・カナロ(1888~1964)です。 カナロの話は、また別の日にすることにして・・・。
ラ・プラタ河に話を戻すと、この河はそれはそれは広いのですが、ブエノスアイレスから高速(?)水中翼船でこの河を渡ると3時間でモンテビデオに到着します。(神戸あたりから瀬戸内の海を水中翼船で渡って四国に行くような感じかな?)で、以前、ブエノスアイレスに行ったとき、バスガイドさんが港の横で説明をしてくれました。 “ブエノスアイレスは、ラ・プラタ河が大西洋に流れる河口に位置し、昔から港町として栄えました。 皆さん、港の水をご覧ください。 汚いですね~。 この水はとても汚染されていて、ここで溺れて3分以内に助け出されなければ、死んでしまうといわれています・・・!!” 私、次回、アルゼンチンに行ったら、イグアスの滝を見たいのと、モンテビデオにラ・プラタ河を渡って行きたいと思っていますが、ラ・プラタ河を渡る船の上では、絶対おとなしくしています。 間違っても船から落ちたりしたくありません!!  

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