11月ももうすぐ終わり、師走に突入しそうです・・・。
今年は、毎週のように日曜日の夜にNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を見ました。 私の周りでは、結構今年の大河ドラマを見ている人多いようなんです。 そして、明日の晩はとうとう最終回を迎えますが、そう思うと何だか寂しいです。 会社の人や、時々会う友人と、坂本龍馬の話、岩崎弥太郎の話、勝海舟の話、西郷隆盛の話など、幕末を生きた人々の話をし、大いに楽しみました。 また、品川の私が勤務している会社の窓からは、三菱財閥創業者の弟の岩崎弥之助のお宅で、現在は建物の名前は開東閣といって三菱グループの倶楽部用建物として使われている、大きなお屋敷が見えるのですが、窓から見えるそのお屋敷を見ては、仕事を一瞬忘れて物思いにふけることもあります。 いずれにしても、明治時代の岩崎家の人は、よもや未来の人々が自分達のこの広いお屋敷を、高い建物から見下ろすことがあろうとは、思わなかったことでしょうね。
ところで、幕末の偉大な人物の1人にあげられるのが、勝海舟ですが、そのお孫さんに目賀田綱美という方がいらっしゃいます。 目賀田男爵として知られ、青年時代に過ごしたパリで社交ダンスをマスターし、「バロン・メガタ」の愛称でパリ社交界の人気者となった(?)そうです。足掛け6年のフランス滞在を経て昭和元年帰国。フランスから当時パリで流行していたアルゼンチンタンゴのレコード持ち帰り、これにより彼は日本へのタンゴの最初の導入者となったそうです。 日本のアルゼンチン・タンゴの歩みはここから始まるのですね! 実は今年の10月16日にアルゼンチン建国200年を記念して、日本アルゼンチン協会の招聘を受けて、アルゼンチン国立タンゴ・アカデミーの副会長、ガブリエル・ソリアさんが、「日本のタンゴ50年」というタイトルで講演をしてくださったのですが、その中でも“日本に最初にアルゼンチン・タンゴをもたらしたのは、なんとパリからバロン・メガタがアルゼンチン・タンゴのレコードを持ち帰ったことに始まります。”とおっしゃっていました。 さらにソリアさんは、“バロン・メガタは踊りの名手で、ブエノスアイレスにいらしたことはないにもかかわらず、なぜかパリから当時ブエノスアイレスの街角で踊られていた荒っぽいタンゴ・ダンスを見事に習得していた・・・という話も残っています。” と付け加えられました。 ここ最近、日本人のタンゴ・ダンサー達が、世界選手権で良い結果を残しているのは、きっとバロン・メガタのDNAに違いありません!! ソリアさんの話に戻ります。 その後日本は世界大戦があり、暗い時代がありましたが、1950年代にアルゼンチン・タンゴが流行り、日本にもタンゴを演奏する楽団が現れましたが、日本とアルゼンチンが直接タンゴの交流をはかったのは、1953年に藤沢蘭子さんというアルゼンチンタンゴ歌手がオルケスタ・ティピカ東京という楽団とブエノスアイレスを訪れたことが始まりなのだそうです。 講演会ではその時の映像を見せてもらいましたが、蘭子さんは着物を着て、堂々と歌っていました。 その歌いっぷりはとてもご立派で、いわゆる現代の日本の若い女の子の、可愛いけれど歌はいまひとつなアイドルとは格が違っていました。 ちょっと蘭子さんの歌を聞いてみましょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=-9dAfdRwWkk&feature=related
そういえば、4年前にブエノスアイレスでタンゴシューズを買いに行ったあるお店で、私は日本から来たといったら、“ランコ・フジサワの国からようこそ!”と言われました。私もアルゼンチン・タンゴの歌を習っていますが、いつの日か、ランコさんのように堂堂(?)とブエノスアイレスでアルゼンチン・タンゴを歌ってみたい・・・ものです?!(今の私の夢)